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    材木座人骨の出土状態。29群(中央)はヒトの頭骨を集めたもの、30群(左下)はウマ、イヌの集積(鈴木 1963より改変)

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    材木座(鎌倉時代)人(上2例)と現代日本人(下)の比較(鈴木 1963より改変)

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鎌倉材木座中世遺跡出土人骨

鎌倉市は、南を海に、それ以外の三方を山に囲まれた自然の要塞であり、鎌倉時代にはそこに都が置かれた。当時の海岸段丘は、墓所、あるいは遺体の集積所として使われたようであり、現在の由比ガ浜から材木座のあたりからは、発掘調査によりおびただしい数の人骨が出土している。材木座中世遺跡とその人骨資料はこれら中世鎌倉遺跡調査の端緒を築いた標本群である。

東京大学理学部人類学教室が主体となり、昭和28年(1953年)に第1次、第2次、昭和31年(1956年)に第3次発掘が、鎌倉材木座(現 鎌倉簡易裁判所)にて行われた。大小さまざまな32群の人骨集中区より、総数910体以上の人骨が収集されている。全身骨格またはそれに近いものは少なく(約30体)、大部分の人骨は遊離した頭骨と四肢骨が2次的に埋納されたものである。出土した陶片、古銭より鎌倉時代を中心とした遺跡と考えられ、大量の人骨は当時の合戦(新田義貞の鎌倉攻めなど)による戦死者を片付けたものと推断されている。

1次・2次発掘資料については、人骨の刀キズや頭骨の形質(長頭傾向)についての詳細な報告がある(日本人類学会編 1956)。頭骨をもとにした性および年齢構成は、男性が多く、次に女性、幼若年が最も少なく、ほぼ6:3:1の比である。年齢については、成年が多く(75.4%)、次いで熟年(13.2%)、老年はわずか(0.4%)である。

刀キズは頭骨を中心に観察されており、深い創(斬創、切創)より浅い創(掻創)が多く、8割以上を占める。これについて鈴木(1956)は、これらのキズが直接の合戦時ではなく、頭部の軟部組織を剥ぎ取った際にできたものであり、戦の後の恩賞と見るよりもある迷信に基づく、たとえば悪病の治療のために戦死者から無差別に軟部を剥ぎ取ったものではないかと考えている。

材木座人骨は、中世東日本を代表する人骨群として、日本人の小進化を物語る主要標本群である。頭骨の形質については、脳頭蓋の強い長頭傾向と歯槽部の前突(反っ歯)が特徴的である。とくに強い長頭は日本人形質の時代変化のなかで、中世人が極大となる(もっとも前後に長くなる)ことが示されている。

近年、周辺の同時期の集団墓地遺跡の調査が進み、人骨の性、年齢構成や、受傷のパターンに違いがあることがわかってきた(平田ほか 2004)。材木座遺跡においても、遺跡内の各墓坑(群)ごとの分析検討が必要とされている。 (近藤 修)

参考文献 References

鈴木 尚(代表者)(1956)『鎌倉材木座発見の中世遺跡とその人骨』日本人類学会編、岩波書店。

鈴木 尚(1963)『日本人の骨』岩波書店。

平田和明ほか(2004)「鎌倉市由比ヶ浜地域出土中世人骨の刀創」Anthropological Science (Japanese Series) 112: 19–26.