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    ペトログリフ「フェリーノ」。ペルー、カハマルカ州、モスキート遺跡

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    ペトログリフ「フェリーノ」をトレースする筆者、2009年

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    モスキートZ神殿の発掘現場での現地説明会、2014年

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    小堀 巌によるアンデス各地採集の地学サンプルの一部、ペルー・ボリビアの砂(2369.8ほか)

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アンデス文明の起源を求めて

文化人類学教室の石田英一郎と泉 靖一が立ち上げたアンデス調査は、江上波夫らの西アジア調査と呼応し、文明の起源の解明というテーマを共有していた。また初期の調査団には人文地理学の小堀 巌など、環境分野の専門家が参加し、アンデス地域の環境史研究を平行して進めた点も特徴である。コトシュ遺跡の発掘が大きな成果を挙げたあと、継続的に実施されるのは考古学調査だけとなったが、人骨・獣骨・鉱物などを分析する日本人研究者と連携し、学際的に調査団を組織する方針は今も続いている。文明の起源の解明は一貫して中心的テーマであり、形成期の神殿遺跡の多いペルー北部山地が主要なフィールドである。しかし1990年代にクントゥル・ワシ遺跡の調査に学生が多数参加し、21世紀に入って彼らが海岸部や南部でも活動するようになり、また形成期より後の諸文化を専攻する者も増えた。日本人研究者は互いにゆるやかに結びつき、アンデス考古学界における一大勢力となっている。

東京大学では現在、本館の鶴見英成がペルー北部ヘケテペケ川中流域を拠点に調査を重ねている。テーマは文明の起源の解明で、コトシュ以来の本学の伝統的なスタンスだが、新たな視点も取り入れられており、それを象徴するのが岩絵の研究である。自然岩に図形を施した岩絵はしばしば人里離れた荒野で発見され、短期的な土地利用、つまり旅行者の逗留や信仰の場と考えられる。神殿の登場は定住村落の成立と連動する現象であるが、神殿の周辺につかず離れずの距離をおいて同時代の岩絵がしばしば発見されることは、注目されてこなかった。単一の図像としてはペルー最大のペトログリフ(線刻岩絵)である「フェリーノ」は、胴体に猛禽を納めたネコ科動物(フェリーノ)の図で、美術様式的には土器に先立つ時代の特徴を見せる。ヘケテペケ川流域での神殿の成立は土器の導入以降と考えられていたが、2009年からの調査により、フェリーノから1.6kmほど離れたモスキートZなど、土器を伴わない神殿群が続々と発見された。ヘケテペケ川流域におそらく最初にできた神殿に、岩絵が伴うのはなぜか。今では失われているが、アンデス山中にかつて遠隔地を結ぶ交通網が展開しており、神殿の立地条件の一端となっていたのではないか。想定されるルート上を踏査すると、実際に形成期の神殿遺跡や岩絵を多数発見できることもわかり、アンデス文明の知られざる特徴が明らかになりつつある。なお今日の研究状況に照らして知見をアップデートすべく、2015年よりコトシュ遺跡の再調査にも着手した。

経済格差のもたらす諸問題、横行する盗掘や遺跡破壊など、調査を困難にする要因は少なくない。しかしペルーでは学位や現場経験などの条件を満たせば、外国人であっても資格を得て、各自の関心に応じて調査できる点が大きな魅力である。そして何より調査者の足取りを軽くするのは、いつしか胸中に生まれた、アンデスの自然と文化への敬愛の念である。 (鶴見英成)

参考文献 References

大貫良夫(2010)「アンデス文明形成期研究の五〇年」『古代アンデス 神殿から始まる文明』大貫良夫・加藤泰建・関雄二編:55–103、朝日新聞出版。

鶴見英成(2014)「北部ペルー踏査続報-ワンカイ、ワラダイ、ラクラマルカ谷からの新知見」『古代アメリカ』17: 101–117。

西野嘉章・鶴見英成(編)(2015)『黄金郷を彷徨う-アンデス考古学の半世紀』東京大学出版会。

Tsurumi, E. & Morales, C. (2015) Un gato con muchas vidas: un petroglifo Arcaico Tardío en el valle medio de Jequetepeque. Mundo de Antes 8: 141–157.

Embassy of the Republic of Peru in Japan (2015) Aporte japonés a la investigación de las Antiguas Civilizaciones de los Andes del Perú.