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    当館に不明人骨として保管されていた西ヶ原貝塚出土人骨。膝蓋骨の表面にみえる小さな四角形の傷はサンプル採取した痕である(撮影:山田昭順)

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    炭素・窒素同位体比を測定するための安定同位体比質量分析装置。前処理のための元素分析計などが複数接続されており、炭素・窒素・酸素・硫黄などの同位体比を測定できる(撮影:大森貴之)

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    西ヶ原貝塚出土人骨で測定された炭素・窒素同位体比と較正年代

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縄文人骨の年代を決める

地球規模の炭素循環は私たちの身体にもその痕跡を刻んでいる。例えば、東京都北区にある縄文時代の貝塚遺跡である西ヶ原貝塚から出土した人骨の例を見てみよう。この遺跡では、2007年の発掘調査で、縄文時代後期初頭の称名寺式の土器に収められた胎児骨が発見された。土器の研究から、称名寺式の土器は後述する較正年代で4420~4250年前(cal BP)に使用されたと推定されている。ところが、この胎児骨の放射性炭素年代をそのまま較正すると4568~4440年前となった。土器編年では、骨が納められていた称名寺式よりもひとつ古い、縄文時代中期加曾利E4式期(4520~4420年前)に相当する年代だ。

縄文人が魚貝類を食べたため、炭素14が減衰した海の炭素が影響したのだ。そこで私たちは、骨のタンパク質(コラーゲン)で炭素と窒素の安定同位体比(δ13Cとδ15N)を測定した。この値は食物の割合に応じてその特徴が反映するので、過去の食生活を推定できる。食料資源の安定同位体比との比較から、この胎児骨の場合、母親が摂取した魚貝類を通じて海洋リザーバの炭素が約34%含まれていると推定された。

上述の東京湾採取のシオフキなどの年代から東京湾の海水は大気よりも約460年古いと推定された(Yoshida et al. 2010)。3割が海洋由来の炭素だとすると、胎児骨の年代は海産物のせいで150年ほど古くなっていることになる。その分を加えて再計算すると、4412~4296年前という年代になった。称名寺式土器の年代とぴたりと一致する。人骨の年代推定は一筋縄ではいかないが、炭素がどのような経路を経由して、何から由来しているのか、丁寧に読み解ければ、正確な年代を得ることができる。

今回調査中に、不明人骨とされていた資料の中に、「西ヶ原十七区」と書かれたメモと一緒に1951年の新聞紙にくるまれた人骨が見つかった。メモを残したのは理学部人類学教室で多数の発掘を行った酒詰仲男だ。しかし、酒詰が残した日誌の記録と骨に注記された発掘区が一致しない。そこで、調査記録と形態学的な特徴から別個体と想定された7点について、同位体分析と年代測定を実施した。

頭骨を除く全身がほぼそろっていた1号人骨は成人女性で、その箱には酒詰日誌にあるように別個体の男性の膝蓋骨が含まれていた。この2つは非常に近い年代を示すが、安定同位体は一致しない。3号と想定された下顎骨と4号と想定された大腿骨も年代は一致するが、安定同位体は大きく異なり明らかに別個体だ。一方、3号と想定した距骨と5号と想定した大腿骨は年代も安定同位体比もよく一致しており、同一個体の可能性が示された。

結論として、考古学的な情報が失われてしまった西ヶ原人骨には、縄文時代後期の加曽利B式期の少なくとも6個体の人骨が含まれていると判断され、酒詰日誌にある5個体と膝蓋骨という記録とよく整合的である。まるで法医学ドラマのような研究だが、わずかな破壊分析によって、失われた資料価値が復活した瞬間である。食生活の個人差は、先史社会の複雑さについての情報な情報源になる。(米田 穣・佐宗亜衣子)

参考文献 References

Yoshida, K. et al. (2010) Pre-bomb marine reservoir ages in the Western Pacific. Radiocarbon 52: 1197-1206.