苦悩の部屋へ、ようこそ
あなたを苦悩のどん底に陥れる空間を東大の博物館に創ってみたいと思っていた。「命の認識」は、博物館を快楽やサービス提供の場などと称した昨今の悪しき意思を根本から破壊して、そこに個人が命を認識するまでの根源的苦悩の場を広げることを、私が試みたものである。
ここであなたは商業主義が唱える形式的な楽しみを得る必要など微塵もなく、ましてや科学的客観的事実や昔の学者や文化人の整った学理を受容してもらうには及ばない。何千何百の骸の形から、あなたが命を認識していく、その経過自体が私の作品である。それが、この空間が背負った、唯一の宿命である。展示場で快適な時を過ごそうと思うなら、ただ楽しいだけの催事場から丁寧に自然科学や美術を説明してくれる親切な部屋などは無数に存在するのだから、そういうものが好きならばそこを訪ねるのがよい。だが、一たび私の「命の認識」に迷い込んだならば、あなたは、苦悩する孤独な一人に過ぎない。
瑣末な話を棚上げすれば、空間は高さ六五〇ミリの平らな舞台からなっている。この不定形の平面上を見据えて、あなたには悩み続けてもらいたい。暗色に静かに設えられるこの平らな面こそ、あなたが命をどう感じ取り、命をどう知るかという、闘いの場に化けていくはずだ。そのために、普通に展示空間に漂っているいくつかの存在に立ち退いてもらった。その第一は、文字と、意味もなく文字を空間に配置する人の意志だ。
遠藤秀紀