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大野秀敏 現在に接続する未来 UMUTオープンラボ・レクチャ03 



1 パリ郊外の風景

2 霞ヶ関の建物の年齢

3 戦前の日本の都市

4 シュリンキング・ニッポン

5 ファイバーシティ/東京2050

6 エッフェル塔

7 日本橋の改造の提案

8 旧門司税関改修

9 川奈OA邸

10 川奈OA邸

11 YKKファスニング工場厚生棟

12 YKK64ビル

13 フロイデ彦島

14 フロイデ彦島

15 木造密集市街地を貫通する緑の間仕切り

16 YKK保健センター




 


UMUTオープンラボ・レクチャ 第3回  2008年8月13日(水)
「現在に接続する未来」

講師: 大野秀敏氏 (建築家、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授)


今日は私が現在関わっている都市と建築の設計を題材にして、デザインにおけるさまざまな問題についてお話をしたいと思います。

消費される都市
最初にいくつかスライドを見ていただきます。アパート、オフィス、ショッピングモール、郊外の集合住宅、といった街の風景ですが、どこだかおわかりですか。実はこれはパリの郊外です(1)。ご覧の通り、東京でもアメリカでもアジアでもありうる風景です。都市中心部にはパリらしい街並みがありますが、郊外には国籍不明の洋風建築が数多く存在しています。パリでは人口の約30%が都心部(旧市街)に住み、残りはこのような郊外に住んでいます。
次の写真は皇居前の広場から霞ヶ関を見たものです(2)。建物の年齢が数字として記されています。こちらは日本橋です。首都高速が41歳で一番の高齢、建物はそれよりも若くなっています。東京の中心部では、建物が新しいことがわかります。日本の建物は平均するよ30年から40年の経済寿命で新しく建て替えられています。都市が消費され、めまぐるしく風景が変わります。 ここに別の写真があります。自由が丘のイタリア風の商業施設、旧大倉山精神文化研究所の混淆洋式からきた大倉山のギリシア風の商店街、多摩ニュータウンのガウディ的な住区、様々なスタイルがある住宅展示場。先ほどのパリ郊外と似たような風景が東京の郊外にも広がっています。
次の写真は戦前の日本の都市の風景です(3)。公共性のある建物は洋風建築、一般の人々が住むのは町屋や武家造りの流れを汲む伝統的建築です。日本は政治的には植民地化されずに独立を保ちましたが、文化的には自己植民地化したという言い方もできます。そのような都市の中で私たちは暮らしてきたのであり、これが私たちの近代化100年間の風景です。

縮小する都市
最近、『シュリンキング・ニッポン―縮小する都市の未来戦略』(鹿島出版会)という本を出しました(4)。人口問題や環境問題を通して「日本が縮む」という現象を考察しています。この歪んだ日本地図は都道府県面積を人口比で拡大縮小したものです。首都圏や関西圏をはじめ太平洋側が拡張しているために日本列島全体がエビが反ったように変形しています。日本の人口は今後50年間で約4000万人減少し、環境においては資源の枯渇やCO2の削減が課題となっています。いろいろな意味で「縮小」を考えていかなければなりません。
最近、「地域性」がよく語られます。世界全体が一つになる「グローバリズム」が進行し、それが都市風景にも及んでいることに対して地域の独自性を守るべきだという主張が多くなされています。一方では地産地消という動きがあります。今ここにあるミネラルウォーターはわざわざ米国から船で運んだものです。地元の水を飲めば、二酸化炭素の排出はぐっと減ります。最近のまちづくりでは「個性」がとりわけ重視されますが、実際には、日本のすべての市町村が個性的で他と違うということは殆どありえません。江戸時代には地域性があったと考えられがちですが、実は日本中が同一化したのが江戸時代です。日本沿岸に廻船のネットワークができ、物資だけでなく文化も動くようになります。日本中に同じ形式の町屋が行き渡り、各地に小京都が生まれます。
実は、地域主義はグローバリズムと同じ位置に立った見方とも考えられます。地域主義は旅人の視点に立っています。「まちづくりのジレンマ」というものがあります。旅人は郷土料理を求め、地元の人はスターバックスを歓迎するというものです。力の強い文明への憧れがあるので、文明は伝播していきます。地域主義がグローバリズムの対抗手段として有効かどうか疑ってかかる必要があるのです。地域主義は俯瞰的な視点から比較することで得られる概念であり、ツーリズムに対応する発想なので、先ほど見たような「捏造された風景」をつくってしまう危険性があります。それが世界各地で同時に起こっていることが特徴です。私たち建築家はデザインの根拠を求めるときに悩むことになるのです。これはもはや文明的問題として存在しています。

現実を未来に接続する
結論から申しますと、地域性を超えて、今ある現実に未来を接続することが大事であると考えています。日本の地域固有の風景といえば、多くは近世から近代初期に発展したものです。ところが近世以降、西洋文明を取り入れたことで、新旧が混在した風景が150年間近く続いてきました。では、純粋な日本の風景とは何でしょうか。日本は周縁に位置しており、西洋の前は中国の影響を大きく受けてきました。日本の貴族たちは中国王朝の真似をしていました。官位官制、有職故実、教養文化、建築技術などは中国の影響を受けたものです。私たちの文化は常にハイブリッドなものでした。「純粋な日本」という錯覚から出発するのではなく、混ぜこぜの現実を引き継いで、その先に未来を考えるべきではないか。個性的になろうとするのではなく、場所が要求していることに耳を傾け、今あるものを大切にしてそれを発展させることが大事ではないか、と考えています。

父親の仕事を壊さない
現実を継承するときに、「父親の仕事を壊さない」ということが重要です。最初に都市に対する提案をご紹介します。ファイバーシティは、2050年の東京の将来像です(5)。ここでは詳しく述べませんが、既存の都市に断片的・線的な要素で介入していくという提案です。この展覧会の成果の一部が先ほどの『シュリンキング・ニッポン』になりました。東京と香港で展覧会を行い、このプロジェクトが縁でパリの将来像を考えるグループに仲間入りすることになりました。
パリのエッフェル塔は1889年の万国博覧会のために作られましたが、景観破壊をもたらしたとして当初は大変評判が悪かったのです(6)。ある文豪はエッフェル塔のレストランで食事をするのを好みましたが、それはエッフェル塔を見なくて済むからだと言っていたそうです。ところがこんなに嫌われていたエッフェル塔も壊されることなく生き延び、結果的にはパリの名所になりました。
次は東京の日本橋です。ご存知のように日本橋の上には首都高速が走っていますが、小泉首相はこれを移設して日本橋川の上に空を取り戻す提案を行いました。首都高速はオリンピックのときに小河川や運河の上に建てられ、当時は日本の土木技術の輝かしい成果でした。私たちのプロジェクト「日本橋の改造の提案」は、首都高速を残しながら、日本橋が美しく見える様に既存の橋脚を取り去ったものです(7)。
歴史を振り返ると、日本人はオヤジの仕事を批判しジイサンの仕事を評価する傾向が見られます。しかし父親の仕事を破壊すると、祖父の時代の仕事がなくなってしまい歴史的遺産を残すことができません。自分たちの歴史を丸ごと引き受けるという態度がない限り、都市に歴史的継承性は生まれません。
これは丹下健三先生が1960年に発表した「東京計画」で、都市を東京湾に伸ばす提案です。次は尾島俊雄先生の1990年代の提案で、都市の建物を集約して残りを全部緑地にするという環境都市の考えです。しかしこれを実現するためには今ある東京を壊さなければなりません。それは本当に環境的でしょうか。
日本橋高島屋の例を紹介します。1930年代に高橋貞太郎が設計し、その後、村野藤吾が増築の設計に関わりました。建物の側面に回ると、不思議な立面をしています。歴史的な高橋の設計に近代的な村野の設計が絡まりあった「混交」のデザインです。
一般に古い建物が壊されて新しい建物が建設されるわけですが、今後もっと「混交のデザイン」が増えていくべきでしょう。増築によって過去と現在と未来が繋がっていく、そのとき決して過去に寄り添って過去を捏造するのではなく、現代的な手法で過去のものを再解釈しながら未来をつくっていく。このような態度が望ましいと考えています。
これは私たちが手がけた旧門司税関の改修(1998年)です(8)。元々は明治45年建設の税関庁舎ですが、その後オフィスから倉庫へと変転をとげて老朽化していたものを、北九州市の門司港レトロのプロジェクトの一環として再生したものです。倉庫として使っていた時に煉瓦造の壁に大きな穴があけられました。通常の歴史保存の考えでは、創建時の状態に復元するわけですが、私たちはこの穴を残し、税関から倉庫に至る建物の履歴をそのままデザインに使うことを考えました。
これは今工事中の新しい建物で、YKKの工場の一部を技術資料館にするプロジェクトです。鉄筋コンクリート造の工場の屋根を一部除去して中庭をつくり、一部に耐震補強を行いました。次の絵は先ほどの東京2050の中で提案している飯田掘の計画、そして立石のアーケード商店街の再活性化の提案です。

穴を穿つ
建築においても社会においても、全体の秩序とバランスを取りながら個性を発揮する仕組みをつくることが大きな課題になります。環境問題はあらゆる個が自由を主張した結果起きています。オランダの街並みを見てください。切妻屋根が連続した景観ですが、その中で個々の建物個性には窓が重要な役割を担っていることがわかります。次は香港の昔のアパートです。戸々の外壁に、それぞれ金属製の出窓をつけることによって非常に個性的な立面になっています。普通は建築の輪郭線に個性を求めますが、それが寄り集まると現在の日本の都市風景のように視覚的秩序が失われてゆきます。外側の輪郭ではなく内側の輪郭である開口によって建築の個性を発揮させるという意識が、最近の建築家にはかなり共有され始めてていると思います。隈研吾さんや千葉学さんもそういう意識だと思います。
これは会場に展示されている伊豆の川奈OA邸(1992)です(9, 10, 17)。シンプルな切妻のボリュームの中にいろいろな穴が開いています。庭に向いた穴もあれば外殻との間にある垂直の穴もあります。「穴」が3次元的にこの空間を活気づけています。別荘の管理で面倒なのは戸締りですが、プールの向こう側にある木格子のフェンスを手前に動かしてくると建物の穴にはまります。2階は3つのボリュームの間に1mほどの隙間があり、そこを利用して太陽光を取り込んでいます。このようにして単純な輪郭の中で、開口がいろいろな関係性をつくり出しています。
同じような考え方は、YKKファスニング工場厚生棟(2001)でも採用されています(11)。既製品の60センチ幅の外壁素材を組み合わせることでいろいろな開口をつくることができます。YKK64ビル(1999)では、単純な輪郭の中に開口を配置し、額縁の中に人の動きが見えるような効果を出しています(12)
山口県の老人ホーム、フロイデ彦島(2005)です(13, 14, 18)。各個室のバルコニーに白い帆のような日除けがついており、高齢の入居者がゆっくりと過ごせるようにしています。バルコニーからは関門海峡を始終往来する船を見ることができます。建物には3つの中庭があります。平面的に広がった建物に性格の違う中庭を配して、周囲に独特の雰囲気をつくっています。それを軸にケアユニットと呼ばれる9人分の生活単位がつくられています。また、複雑の平面計画の中で領域性を明確にするためにパブリックな空間に面したところでは壁を赤くし、そうでないところでは壁を白くしています。場所と場所は人が動くことによって結び付けられ、また視線が通ることで結び付けられます。開口それ自身が場所を繋ぎ、場所の個性をつくる手段になっているわけです。このような関係性はどのような建物にもありえますが、それを意図的につくることによって場所の豊かさが形成されます。

風景に繋げる
しかしながら、現代建築は今お話したような考え方とはまったく逆の方向に進んでいます。アラブ首長国連邦のアブダビや中国の沿岸諸都市では、大規模な都市開発が進行し、現代建築の展示場のような状況を呈しています。そこでは、建築の輪郭線の特異性を競っています。自分だけ目立とうとするわけです。そのような建築は東京にも現れてきており、都市全体が無秩序な風景になります。
これは町田の文化施設に対するプロポーザルです。町田は丘の上に行くと緑がたくさんあり、谷の部分が町になっています。建物のまん中に三角形を組み合わせてできた塔があり、その周囲に緑のマントを被せて丘の上の緑と繋いでいます。
愛知県小牧市庁舎のコンペでは、市役所の上に大きな藤棚をつくり、それを小牧山の照葉樹林の緑に繋げていくことを考えました。市庁舎を緑で覆えば太陽熱を遮り余分にエネルギーを使わなくて済むという効果があります。
次に都市のレベルで「穴」の利用を考えてみます。東京で防災上一番危険な地域は環状6号線から7号線にかけてのエリアです。関東大震災の後で都市化したところで、都市計画がないままに市街化して木造密集住宅地になりました。この対策は戦後の東京の都市計画の大きな課題でした。公的な対処方法としては、都市計画道路をつくって延焼を防ぎ消防車の進入を可能にすること、もう一つは建物を集合化して耐火建築にすることが考えられます。しかし実行は困難です。私たちの提案は、エリア内にある空き地を繋いで緑地の防火帯をつくるというものです(15)。緑地帯をつくることで環境がよくなり、それに応じて地価が上がり、計画の経済的バランスを取ることができます。
最後にお見せするのは、YKK健康保険センター(2008)です(16)。2000年以降は工場の中国移転が進み、富山県黒部市の工場には空き地が目立つようになってきました。そこで空き地を照葉樹林の森に転換し地域に貢献しようというプロジェクトに関わってます、その森に健康保険センターを建てました。まん中に芝生の緑地があり、建物は緑地を囲い取る「塀」になっています。塀をつくっているのは地中梁で使う金網製の型枠です。鉄筋棒はやがて錆び、壁は錆色に汚れていきます。時間とともに場所に根付いていきます。診察室には大きなガラス窓があり窓の外に坪庭の森が見えます。森に開いた病室の入院患者はそうでない人より退院が早いというイギリスでの調査結果がありますが、自然景観による癒しの効果が期待されます。

私が今日お話したことをまとめます。地域主義はある種の正義の味方のように主張されますが、多くの場合、歴史を捏造する結果に繋がりやすいのです。地域主義はグローバリズムと同じように上からものを見る視点に支えられており、そのような地域主義には未来はありません。私たちの文化を本当に成熟したものにするならば、「現在に未来を直接接続していく」という立場が重要であろう、ということをお話しいたしました。

質疑応答
Q:東京への人口集中が続く場合、横方向と縦方向への都市の広がりが予測されます。建蔽率いっぱいに建てることが当たり前になっている現状で、東京の建築についての展望をお聞かせください。
A:人口集中に関しては、東京と地方のバランスの問題があります。今のままいけば、東京近郊の人口はあまり減らないという予測があります。しかし、今後50年で4000万人の人口減があるわけですから、首都圏人口が変わらない場合、地方の人口が激減することになります。地方の地価は大幅に低下することになるでしょう。地価の格差は、東京から地方への人口の逆流を促す可能性があります。東京の居住環境はこの30年でどんどん悪化しています。果たして今後も皆が東京の現状に我慢し続けるかどうかはわかりません。そこにかすかな希望があります。私たちの計画と政策、そして何より私たちの意思の問題になってきます。

Q:建物の輪郭の特異性よりも窓から見える内部の景色を重視すべきとおっしゃいました。輪郭と窓から見えるものはどのように違うのでしょうか。
A:設計する立場に立つと、建物外観の輪郭を特異なものにするか、輪郭は平凡でも窓の開け方を工夫するか、という選択があります。輪郭の特異さはやがて尽きます。外観が特異でも内部空間は平凡という建物は少なくありません。むしろ、開口に着目して空間の諸関係を豊かにする方が、そこに住む人にとって可能性があると考えています。

Q:個性的になろうとせず、場所が要求していることに耳を傾ける、というお話がありました。地域性の捏造という現実も指摘されていますが、デザインのときに大野先生は場所からどのように発見をされるのでしょうか。
A:基本はまず現地を訪れ、周辺との関係、場所からの眺め、空気の流れ、光の方向、植物の状態などを観察します。建物は多かれ少なかれ場所を変えてしまうので、変えた後の状態にも思いを及ぼすことが大事です。場所と関係なく舞い降りてきたような建築とは違うと思います。捏造とは、たとえばディズニーランドのようなものです。人を惹きつけるために膨大な資本投下をして、場所と無関係に「○○風」を再生産する建築が増えています。そうではない方法論を豊かにしていく必要があります。

Q:今ある現実をどのようにデザインに活かしていけばよいのでしょうか。
A:全ての現実を受け入れると何もできなくなるので、残す/壊すといった取捨選択をすることになります。そこでは建築家の価値観が反映されています。丸々新しいものをつくるのと違って、古いものがあることによって、個人の個性の発揮のされた方に制限がかかります。設計者には過去との対話が課されるわけです。少なくとも日本よりもヨーロッパの建築家の方がそのことを意識しており、社会もそれを期待しています。対話から建築をつくっていくときに、たとえば茶室を引き合いに出して日本文化とするだけでなく、電線だらけの都市、和洋混淆の建築といったものも日本の現実として認めていく必要がある、というのが私の主張です。

(記録: 松本文夫)


大野秀敏
建築家、都市デザイナー 1949年生
東京大学大学院修士課程修了、槇総合計画事務所、東京大学助手、 助教授、デルフト工科大学客員研究員などを経て、現在東京大学大学院教授。
著作は、『建築のアイディアをどのようにまとてゆくか』 (2000)、『ファイバーシティ/東京2050』(雑誌JA, 2006)、『シュリンキグ・ニッポン 縮小する都市の未来戦略』 (2008)など。
建築作品は、NBK関工園 事務棟・ホール棟、 茨城県営松代アパート、YKK滑川寮 、旧門司税関改修、鵜飼い大橋、フロイデ彦島など。作品でJIA新人賞、日本建築学会作品選奨、建築業協会賞、ベルカ賞、土木学会田中賞など受賞。
大野秀敏ホームページ   アプルデザインワークショップ

17 川奈OA邸模型 (縮尺 1/50、制作:坂井禎介)

18 フロイデ彦島における場所と場所の結びつきを示すダイアグラム

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