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タヌキノショクダイ
未整理標本の中から見いだされた珍奇な植物のタイプ標本
タヌキノショクダイ(Thismia abei (Akasawa) Hatus.)(ヒナノシャクジョウ科) は、常緑樹林の林床に生育する腐生植物で、葉緑体をもたず、高さ3~4cm ほどの奇妙な形の花を地面近くにつける。花の姿をタヌキがろうそくを持って立っている姿にたとえて「狸の燭台」という名がつけられた。学名の中に見られる "abei" は、徳島県の植物相の解明に多大な貢献をおこなった阿部近一氏を記念してつけられたものである。タヌキノショクダイは、最初に徳島県で発見され、その後宮崎県、静岡県、東京都(神津島)からも報告があるが、稀な植物である。
展示されている2本の瓶は、博物館の未整理標本の中から見いだされたものである。もともとは液浸標本として作製されたものが、中のアルコールが蒸発し、内容物が乾燥して底にへばりついたものと考えられた(1本には後にアルコールを入れてある)。ラベルには、「Glaziocharis Abei Akasawa. タヌキノショクダイ(一名 トウロソウ).阿波國那賀郡澤谷村小畠.Aug. 4, 1950. 阿部近一 採.」とあった。すなわちこの瓶の中のものが1950年8月4日に阿部近一氏によって採集されたタヌキノショクダイ(もともとは Glaziocharis abei として発表された)であることを示すものであった。そこで、タヌキノショクダイの原記載(学名がつけられた最初の論文)を確認したところ、1950年8月4日に阿部氏を含む3人でタヌキのショクダイを採集していることが判明した(Akasawa 1950)。つまり、この標本はタヌキノショクダイを正式に世に出した時に参考にした貴重な標本(基準標本)だったのである。
基準標本(タイプ標本)にはいくつかの種類がある。植物の学名をつける際の規約を定めた「国際藻類・菌類・植物命名規約」(McNeill et al. 2012; 大橋ほか 2014)によると、タイプ標本には正基準標本(ホロタイプ)、副基準標本(アイソタイプ)、等価基準標本(シンタイプ)、従基準標本(パラタイプ)などがある。東大で見つかった瓶入りの標本はパラタイプにあたるものであった。ところが、原記載論文によると、ホロタイプは国立科学博物館に、アイソタイプは東京大学に収められていることになっているのだが、両方とも見つからなかった。命名規約上、ホロタイプが見つからない場合、選定基準標本(レクトタイプ)を選ばなければならず、アイソタイプがある場合はアイソタイプから、アイソタイプがない場合はパラタイプから選ばなければならない。科学博物館にあるはずのホロタイプも、東大にあるはずのアイソタイプも見あたらないことから、この標本がレクトタイプとして選ばれる可能性が出てきた。レクトタイプの選定に関しては、念のために阿部氏の標本が収められている徳島県立博物館の標本庫を調べたところ、意外にもアイソタイプに当たると考えられる標本が見つかったことから、その標本をレクトタイプにすることで落ち着いた。この顛末については、植物研究雑誌89巻3号で報告された (Ikeda et al. 2014)。 (池田 博)
参考文献 References
Akasawa, Y. (1950) A new species of Glaziocharis (Burmanniaceae) found in Japan. Journal of Japanese Botany 25: 193–196, pls. 1 & 2.
Ikeda, H. et al. (2014) Lectotypification of Glaziocharis abei Akasawa (Burmanniaceae). Journal of Japanese Botany 89: 176–180.
McNeill, J. et al. (2012) International Code of Nomenclature for algae, fungi, and plants (Melbourne Code). Koenigstein: Koeltz Scientific Books.
大橋広好・永益英敏・邑田 仁(編)(2014) 『国際藻類・菌類・植物命名規約(メルボルン規約)2012』北隆館。