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クランツコレクション
19世紀の教材
明治10年に東京大学が設立される以前、日本には西欧式の古生物学という学問は存在していなかった。日本に古生物学をもたらしたのは初代お雇い外国人教師のナウマン(Edmund Naumann)である。ナウマンは明治8年(1875年)にドイツから来日し、東京開成学校で教え、後に東京大学の地質学科の初代教授になった。ナウマンの後任は同じくドイツ出身のブラウンス(David August Brauns)である。従って、日本の初期の古生物学はドイツの影響を強く受けている。
古生物学がドイツから導入されたことにより日本には緻密な記載を重んじるドイツ流の古生物学が導入された。日本人最初の古生物学者、横山又次郎は、明治15年(1882年)に地質学教室を卒業し、ミュンヘンのZittelのもとに留学し、明治22年(1889年)に帰国した。続いて神保小虎、矢部長克がベルリン、ウィーンに留学し、日本人古生物学者の第一世代を形成した。彼らはクランツ標本を見て古生物学を学び、古生物学の中心地であるドイツに留学し、帰国して古生物学の発展に尽力した。その標本が現在も保管され、1世紀以上が過ぎた現在でも研究教育に現役で活用されている。
クランツコレクションはこの当時に形成された教育を目的としたリファレンスコレクションであり、その数は古生物標本だけで6000点を超える。このコレクションはドイツのクランツ商会から購入した標本を核に英仏の標本を追加して形成されている。クランツ標本は国内の他の大学にも保存されているが、東大のコレクションが最大のものである。(佐々木猛智・伊藤泰弘)
参考文献 References
田賀井篤平(編)(2002)『東京大学コレクションXIV. クランツ標本』東京大学総合研究博物館。