無限の遺体 ─生物系コレクション
自然を探究するとき、つねに人間の好奇心は生き物に向けられてきた。その理由は、人間が同じ地球上の命の一つであると同時に、豊かな生命として変遷していくからだろう。結果、多くの場合に学問が自然を見る目は、命を凝視する目となっている。人間は多くの場面で、けっして物質のみを探査しているのではなく、命ある存在に目を向け続けているのだ。
もともと、自然を対象とした学問の開闢はたとえばアリストテレスにさかのぼることができる。実験科学成立以前から、学問体系の始まりにおいて、生き物は好奇心の対象となった。命を見る目は、必ずしも再現性の高さに依存してきたのではなく、自然哲学においても既に成立している。宇宙観における地動説に相当する生命観の転換は一例としてはダーウィンの進化論であっただろうが、ダーウィン以前から続く博物学であろうがそれ以降に興隆する近代生物学であろうが、生き物は一貫して人類の好奇心探究心の中心にあったといえる。
それゆえ、UMUTオープンラボは、大量の生物の標本を展示の中に用意した。とりわけ動物学標本の世界を主題とすることに挑んだ。その訳は、ひとつには動物を探究する道において、その2000年間の歴史がいまも標本一点一点に確かに息づいていることを感じたいと博物館が思うからである。骨や剥製の標本群は、その時代の命をまさに固定し、未来へ引き継ぐ。いわば命の古文書といえる存在なのである。
とりわけ動物学では、生命を有して動いていた現物を、その瞬間に固定して永い時間封じ込める作業が、博物館で行われる。科学はもちろん生物と無生物を断絶させて研究しているわけではない。だが、博物館が生命あるものの探究にとりわけ熱狂してきたことは、科学史が示す事実である。
人類は命のすべてを知の体系に網羅することを、つねに目指してきた。第一に、数多の骨格や剥製や液浸標本は、それら自体が人類に限りない知識と考え方をもたらしてきたマテリアル・エビデンスである。動物の標本がこれまでに示し、今も見せ続けている最新かつ最深の知見を感じとっていただきたい。標本を観察する、知識として得るということはもちろんであるが、単純な合理的知識受容の世界を越えて、標本を知とともに感じとっていたたくことが、博物館の願いである。
続いて、標本には学に歩む人間の足跡が残されていく。学術標本の社会貢献は、何も知見そのものでのみ示されるわけではない。学の開拓を愉しむ人間たち、学者の、大学の姿そのものが、文化的社会の未来を発展させることを助けてきたのである。
遠藤 秀紀・楠見 繭