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アジアゾウ骨格
諏訪子と春子
定量化と再現性を旨とする動物学の世界で、研究する対象を飼育時の愛称で呼ぶことはまれである。どのような固有名詞をもとうと、それは特定の個体の例でしかなく、集団の普遍的属性を記録しなければならない科学の厳しい姿勢としては推奨される方法ではないからである。しかし、ゾウやサイほどの大型獣になると、研究の現場でも生前の愛称が引き続き用いられることがある。それは、博物館で標本となった大型獣が、生前に多くの人々と社会に残した印象の強さを物語っているといえる。同時に標本を収集している学者にとっても、譲られた日の経過とともに記憶に刻まれ、個体の姿を思い出すことがあるからかもしれない。
総合研究博物館は、過去10年の間に、4頭のアジアゾウ(Elephas maximus)の死体を譲り受けることができた。そのうち成獣、老獣のものは、神戸市王子動物園の諏訪子と大阪市天王寺動物園の春子である。諏訪子は死亡時に65歳。その時点で日本最高齢である。春子は推定66歳。世界でも指折りに長寿の個体であった。関西の動物園で半世紀以上にわたって親しまれた両個体は、死後、たくさんの市民が別れを惜しんだ。実際来園者としても三世代にわたって同じゾウの姿を楽しんだという家族が多く、人と町の歴史の語り部ともいえる。
両個体とも、老齢のゾウによく見受けられるように、臼歯の奇妙な変形と咬耗が確認される。しかし、飼育者の深い気遣いによって、この最後の臼歯で餌を食べることができたことは間違いない。まさしく天寿をまっとうした個体といえよう。
ゾウの研究は体が大き過ぎるがゆえに、一般に難しい。だが、総合研究博物館は、これだけの巨体を長く飼育し、ついには大学博物館への譲渡を決意してくださった動物園の方々にできる限りの感謝の気持ちをこめて、研究を継続する。現在、総合研究博物館のゾウについては頭骨と四肢骨から骨の内部構造のデータが得られつつあり、巨大な体重を支えるための特殊なゾウの骨格の構造が、解明されつつある。 (遠藤秀紀・楠見 繭)