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西アジア原始農村調査
先にも述べたように、西アジアにおける考古学調査は東京大学が戦後最初に組織した大型海外学術調査であった。以来、半世紀以上もの間、代々の後継教員を中心にした息の長い野外調査が続けられている。大きな研究テーマの一つは文明の起源である。文明の基盤は都市社会にあり、その基盤は食料生産にあろうとの認識のもと、狩猟採集社会から食料を生産する農耕牧畜社会への転換、そしてその発展に関する研究を続けてきた。
主たる調査地は、世界最古の文明が発祥した地、メソポタミアとその周辺である。最初に着手されたイラン南部のマルヴダシュト遺跡群の調査は1956年から1965年まで(代表:江上波夫)、イラクのサラサート遺跡群の調査は1956年から1976年まで続いた(代表:江上波夫、後に深井晋司)。イラン革命、イラク・イラン戦争など政情不安が続いた両国から1980年代以降は調査地がシリアに切り替わった。1987、1988両年にはカシュカショク遺跡(代表:松谷敏雄)、1994年から1997年にはコサック・シャマリ遺跡が調査された(代表:松谷敏雄、後に西秋良宏)。2000年から2010年までは、セクル・アル・アヘイマル遺跡における調査が続いた(代表:西秋良宏)。さらに近年では調査対象地域もひろがり、2008年以降、西アジアの北縁、アゼルバイジャン国においていくつかの初期農耕遺跡が発掘されている (代表:西秋良宏)。
これらの遺跡はいずれも初期農耕時代、すなわち新石器時代の集落遺跡である。年代的には紀元前8千年紀以降にあたる。西アジア地域における農耕牧畜の開始は前10千年紀にも遡る。なぜ、その時代の遺跡を調べないのかと思われるかも知れないが、農耕社会の発展とは数千年をかけた長いプロセスであって、その間にいくつもの画期が認められる。前8千年紀や7千年紀も大きな転換点の一つであり、徹底的な研究を向ける価値ある時代なのである。
前8千年紀には農耕村落が起源地の山麓地帯からメソポタミア平原部に拡散する。そして、前7千年紀末には、アゼルバイジャンあるいはヨーロッパなど、西アジアを超えてその生活様式が拡がった。そうした拡散の引き金をひいたのが何なのか。これまでの東京大学の原始農村調査は、それを探し求める研究遍歴であったと整理できるかも知れない。最終的な回答を提示できるにはなお時間がかかろうが、前8千年紀の拡散には、その頃達成された家畜技術の確立が背景にあるようである。ヤギ・ヒツジの飼養、乳製品利用技術を完成した集団は乾燥沙漠でも山岳でも、食料を持参できるようになったことを意味する。一方、前7千年紀末の農耕拡散の背景には地球規模の気候悪化があったらしい。8.2kaイベントとよばれる短期的な乾燥寒冷期の到来である。それによって、初期農耕村落が再編され、その後の温暖期に新天地への展開がなされた可能性がある。
今回の展示標本の中心は、1950、60年代に入手されたものである。メソポタミアの原始農村から出土した土器片のほか、古代文明の展開を示すイラン青銅器、鉄器時代遺跡で得られた標本を展示している。
1970年頃から文化財は当該国が保管、活用すべきという方針が国際的に定着しつつある。したがって、それ以降に東京大学にもたらされた発掘品は限られている。例外は現地の文化財保護活動やその普及に資すると当局が判断した場合である。その一つとして、シリアのコサック・シャマリ遺跡調査の遺物があげられる。ユーフラテス川に設けられたダムによる湖で水没する遺跡の救済事業に協力したことから比較的多くの研究標本が分与されている。そこでは、前6千年紀から5千年紀にかけての土器工房が累々と出土した。焼け落ちた土器工房から出土した土器群は壮観であった。こわれていたから接合が必要であったが、新品の土器が全部で200点以上、まとまって出土した。本学に分与されたのは破片群のみで、完形品はシリアで政情不安がおきるまで、国立アレッポ博物館の先史時代室の中央に飾られていた。 (西秋良宏)
参考文献 References
松谷敏雄(1997)「西アジアにおける学術調査」『精神のエクスペディション』西秋良宏編:102–110、東京大学出版会。
Nishiaki, Y. & Matsutani, T. (eds.) (2001) Tell Kosak Shamal, Vol. 1. Oxford: Oxbow Books.
Nishiaki, Y. & Matsutani, T. (eds.) (2003) Tell Kosak Shamal, Vol. 2. Oxford: Oxbow Books.
Nishiaki, Y. et al. (eds.) (2013) Neolithic Archaeology in the Khabur Valley, Upper Mesopotamia and Beyond. Berlin: ex oriente.
Nishiaki, Y. et al. (2015) Chronological contexts of the earliest Pottery Neolithic in the Southern Caucasus. American Journal of Archaeology 119(3): 279–294.