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    北メソポタミア先史土器編年

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    ニネヴェ5期土器。イラク、サラサート遺跡出土(1965年)、前3100~2550年頃、高さ:24.2cm(4ThV.P25 )

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    ニネヴェ5期土器。イラク、サラサート遺跡出土(1965年)、前3100~2550年頃、高さ:6.4cm(右)( 4ThV.P51)

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G2
北メソポタミア先史時代の編年
蒐集した土器を配列する

土器は、考古標本の中で最も数の多い資料の一つである。とりわけ破片はつまらぬ土塊にみえるかもしれないが、コレクションとして集積することによって学術的価値は飛躍的に高まる。

ここではまず、東京大学がイラク北部やシリア北部(いわゆる北メソポタミア)の諸遺跡から発掘あるいは採集した土器片を展示する。層位学や型式学といった考古学の古典的手法に加え、放射性炭素年代測定などの理化学的手法により、これらには時系列的順序を与えることができる。その結果に基づき、年代順に土器片を並べてみた。半世紀余りに及ぶ調査・研究によって、後期新石器時代(前6900~5200年頃)の全般をカバーするコレクションが形成されている。

セクル・アル・アヘイマルの土器は、当地最古の土器を約60年ぶりに塗り替える発見であった。続く時期の土器は大きく特徴を異にし、地域によって個性が強い。ところが前7千年紀末になると、地域を超えて華麗な彩文装飾が流行する。では、この間、人びとの暮らしに何が起き、なぜこのような変化が生じたのだろうか。経済を支える生業の転換か、社会構造を揺るがした環境変化か、あるいは複合的な要因が考えられるのか。このように、小さな土器片から研究課題が提起されていく。

並んで展示する2点の完形土器は、同じく東京大学によるイラク北部からの発掘品だが、時代は下って前3100~2550年頃のものである。台付鉢には彩文土器伝統の継続が窺える一方、同じ遺跡から出土した小型の椀は、無文ながらロクロ挽きによる薄手のつくりが美しく、高温で硬く焼き締められた質感も印象的だ。この頃、南メソポタミアには王の君臨する都市文明が築かれていた。北メソポタミアでも大量消費や贅沢品需要に応えて生産活動の効率化が進み、工芸品の多くは専門の職人に委ねられた。これらもそうした経済や社会の変質を反映した作例といえ、先史時代の終焉を物語る。 (小髙敬寛)

参考文献 References

谷一 尚・松谷敏雄(1981)『東京大学総合研究資料館考古美術(西アジア)部門所属考古学資料目録 第1部 メソポタミア(イラク)』東京大学総合研究資料館標本資料報告第6号、東京大学総合研究資料館。

深井晋司・堀内清治・松谷敏雄(編)(1974)『テル・サラサートⅢ 第五号丘の発掘 第四シーズン(1965年)』東京大学イラク・イラン遺跡調査団報告書15、東京大学東洋文化研究所。