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    ドゥアラ洞窟中期旧石器時代生活面の断面。黒い部分はエノキ種実などの植物化石密集部。長さ17.7 cm(左)(DR sample 8)

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    ドゥアラ洞窟の中期旧石器。左上が石核、他はルヴァロワ石刃・尖頭器。長さ9.1 cm(左上)(DRI.984ほか)

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    ドゥアラ洞窟(撮影:西秋良宏)

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    ドゥアラ洞窟の中期旧石器時代生活面の一部、黒い箇所が植物化石密集部(撮影:西秋良宏)

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G9
沙漠の更新世人類

イスラエルのアムッド洞窟で華々しい成果をあげた東京大学西アジア洪積世人類遺跡調査団が次の調査地に選んだのは、シリアのドゥアラ洞窟であった。1967年に都合8ヶ月、レヴァント地方各国を踏査して見つけた遺跡の一つである。ドゥアラ洞窟が位置しているのはシリア沙漠の北端、年間降水量が100ミリにも満たない乾燥地帯である。近辺にはローマ時代の世界遺産遺跡、パルミラが所在する。

ドゥアラ洞窟の発掘は1970年から1984年まで、4シーズンおこなわれた。中期旧石器時代と終末期旧石器時代の堆積がみつかったが、調査団が特に関心をもったのは、旧人の化石人骨発見が期待された中期旧石器時代である

打製石器の様相はアムッド洞窟の石器群とはずいぶん異なっていた。同じ中期旧石器時代ではあるが、アムッド洞窟はその後葉(約7万5000年〜5万年前)であったのに対し、ドゥアラの堆積はそれより古かったからである。大きく二つの文化層があり、下層は25万〜13万年前、上層は13万〜7万5000年前頃と位置づけられた。どちらの地層からもルヴァロワ式の石刃がたくさん出土した。

特に興味深い発見があったのは、下層である。石器や動物化石とともに植物化石がたくさん見つかったのである。20万年前ほどの古さの遺跡で植物化石が大量に出土することはきわめて稀である。ほとんどがエノキの実であった。現在の洞窟周辺には木が一本も生えていない。当時はもっと湿潤だったのだろうか?しかし、一緒に見つかった動物化石はラクダが多かった。やはり、当時も乾燥地であったに違いない。植生が失われた現在の禿山は、少ないながら雨がふる冬場にヤギを過放牧した結果なのだろう。家畜ヤギがいなかった旧石器時代には乾燥地と言えども一定の植生が確保されていて、保水条件がととのっていたのだと思われる。

植物化石が見つかった地層には、人々が起居した生活面がよく保存されていた。それを分析してみると、洞窟の奥には炉があり、その近辺には食べ残しの動物骨とそれを切り分けたかも知れない完成石器が残されていることがわかった。洞窟入り口近くには石の粗割りをした痕跡があった。植物化石が多かったのは壁に近いところである。一部の植物は敷きものの材料だったのかも知れない。要するに、場の使い分けがしっかり残っていた。

人骨化石が見つからなかったから、住人がだれだったかはわからない。20万年前頃と言えば、アフリカ大陸では解剖学的な現生人類が誕生した頃にあたる。同じ頃、西アジアにいたのはどんなヒト集団だったのだろうか。 (西秋良宏)

参考文献 References

Akazawa, T. & Sakaguchi, Y. (eds.) (1987) Paleolithic Site of Douara Cave and Paleogeography of Palmyra Basin in Syria: 1984 Excavations. Tokyo: University of Tokyo Press.

Nishiaki, Y. & Akazawa, T. (2015) Patterning of the early Middle Paleolithic occupations at Douara Cave and its implications for settlement dynamics in the Palmyra basin, Syria. L’Anthropologie 119: 519–541.