クロノスフィア─時を刻む先端科学
学術資料の年代を物理化学的な手法で決定し、時間情報を付与する研究を「年代学」と呼ぶ。英語ではギリシア神話の時の神クロノスにちなみchronology(クロノロジー)と呼ばれる。本学において1960年に始まった放射性炭素年代の測定は、現在、放射性炭素年代測定室として総合研究博物館で行われている。展示空間「Chronosphere」(クロノスフィア)では、2015年2月に導入された加速器質量分析装置(AMS)を中心に、放射性炭素年代測定室の研究現場を展示する。
放射性炭素が天然に存在することを確認し、世界中の有機物で割合が一定であることを示し、その半減期を5568年と見積もったのは、ウィラード・リビーという米国人科学者だ。1940年代末に「絶対年代」測定法として放射性炭素年代測定を確立し、考古学に革命をもたらした。その業績に対して1960年にノーベル化学賞が授与されている。例えば、遺跡に正確な年代を付与できれば、遺跡における人間活動と北極の氷に記録された気候変動とを直接対比して議論ができる。しかし、従来の炭素年代には問題があった。
我々が測定できる計測値は、炭素に含まれる放射性炭素の濃度である。その濃度が元々の値から半分になっていれば、半減期の5730年前の有機物だと計算できる(リビー推定の不正確な半減期もずれの原因である)。分母となる元々の放射性炭素の濃度は一定と仮定されたが、実は時代とともに変化していた。地球の磁場や太陽活動の強弱で大気上層に到達する宇宙線の量が変化するので、宇宙線と大気中の窒素が反応して作られる放射性炭素の濃度が変化するのだ。太陽活動が弱まると大気中の放射性炭素が増加し、有機物の炭素年代は見かけ上「若く」なってしまう。
このずれを直すために、「較正曲線」と呼ばれるデータベースが構築されてきた。別の方法で年代を数えられる木の年輪やサンゴ礁、海や湖の堆積物でデータベース作りが始まったのが1980年代だ。そして、測定限界の5万年前までデータがそろったのは2009年のことである。さらに2013年に発表された最新の較正曲線には福井県の水月湖の堆積物に含まれていた微細な化石のデータが採用された。
現代の炭素で1兆個に1つ存在する放射性炭素、その割合を正確に計測するのがAMSの役割だ。しかし、この装置に試料をかざすだけで年代が得られるわけではない。その測定には、加速器を操ってイオンを制御する「物理学」、試料から純粋な炭素を抽出する「化学」、炭素がどのような経緯を経てきたかを理解する「地学」など、様々な分野の知識が必要だ。すべてがそろってはじめて、1ミリグラム(1000分の1グラム)という微量の炭素で放射性炭素の数を正確に計測し、測定限界を1000兆個に1個(約5万年前)に下げることができる。
AMSは年代学に第2の革命をもたらした。これまでは、放射壊変にともなう放射線(β線)の発生頻度を計測することで間接的に放射性炭素の濃度を測定していた。一方、AMSでは加速器によって炭素イオンを高エネルギー化して、直接測定できる。1グラムの炭素では、現代の炭素でも1分間に約14回のβ線計測しか期待できない。古い炭素ではその数はさらに減少する。しかし、その中には約500億個の放射性炭素が含まれている(全炭素の数は約500垓個)。この数を直接数えられるので、AMSで必要な炭素量は従来法の数千分の1になり、例えば堆積物に含まれている木の葉や昆虫などの微細化石でも測定が可能になった。
いくら正確になっても得られる年代値は唯の数字だ。その意味を読み解くためには考古学や歴史学といった人文科学の議論が不可欠だ。また最新の統計手法を活用して、炭素年代データベースから過去の人口変動を復元するなどの研究も開発されている。年代学は様々な分野が絡み合った総合科学であり、東京大学の学術活動を文理の枠組みにとらわれず支えている。知が生み出される現場そのものを展示する本学の新しい情報発信装置として、年代学が選ばれたのにはこのような背景がある。
米田 穣・尾嵜 大真・大森 貴之