東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
HOME ENGLISH SITE MAP
ウロボロス開館10周年記念号

フィールドワーク

高槻 成紀 (本館助教授/動物生態学)

本館では夏になると一人また一人と教員がいなくなり、閑散といってよい雰囲気になる時期がある。植物学、動物学、人類学、考古学などのフィールドワークに出かけるからである。国内での採集旅行に出かける者もいれば、海外に出かける者もいる。海外の博物館や美術館への訪問も広義のフィールドワークとみなせば、ほとんど全員がどこかに出かけているということになる。その意味で本館は数ある大学博物館でもフィールドワークの比重がかなり重い博物館といえるのではないかと思う。
中でもヒマラヤを中心とした植物採集調査は戦後間もない1960 年に始められた、全国的にみても最も古い海外調査であり、現在も継続されている。本学理学部植物学教室の植物分類学研究室教授であった原寛は、日本の植物の起源を解明するという壮大な研究のためにヒマラヤをターゲットとした。経済的にも国際関係も現在とは比較にならない困難な状況の中、ネパール中東部で精力的な調査が続けられ、早くも1966 年にFlora of EasternHimalaya が公表されて世界を驚かせた。その後、大場秀章を中心に高山帯に力点を置いた調査が行なわれた。これらの調査で採集された30 万点を超える標本群は世界有数の規模となり、ヒマラヤの植物研究に欠かせないものとなっている。総合研究博物館改組後もこの調査は継続発展され、対象地域もグレートヒマラヤ全域におよび、最近ではミャンマー、中国など、これまで入るのが困難であった地域へも拡大している。
調査は現地のシェルパとの強い信頼関係で行なわれてきた。初期の調査に参加したシェルパは引退して、その次世代が参加するようになっている。シェルパは植物調査の内容をよく理解し、採集方法や標本作りなどもよく訓練されている。食事の準備などもすべて行なってくれるので、日本人研究者は植物の採集に専心できる。このような調査行のシステムも原の時代からの伝統を引き継ぎながら改良されてきた。現在では全国から参加者があり、研究内容も拡大深化している。私も3 度参加したが、朝、テントの外から“Morning tea, sir.”と言って起こしてもらい、眠い目をこすりながらその日の準備を始めるときに感じた「ああ、今ヒマラヤの5,000 メートルにいるのだ」という充実した気持ちを思い出す。
人類の進化についても世界的な研究が行なわれている。諏訪元らのチームは1980 年代末からエチオピアの地溝帯においてエチオピア、アメリカの研究者と共同研究を進めてきた。南エチオピアのコンソ遺跡群ではボイセイ猿人とホモ・エレクトスなど8,000 点以上の哺乳類化石が発掘された。またアファール地域のミドル・アッシュ地区ではラミダス猿人とカダバ猿人が発掘された。これらの成果は従来考えられていた人類史を書き換えるものとなった。石ころだらけの荒涼たる土地で、石ころの中に埋没している骨や歯を発見するのは、きわめて小さな確率を期待することである。しかし発見のための訓練と、いくつかの偶然と必然が重なって重大な発見がもたらされる。ラミダスの発見はこうして実現した。ラミダスの乳歯をともなう顎片は、類人猿との類似を示すものとしてNature 誌の表紙を飾ることとなった。
西アジアの考古学調査も伝統があり、戦後初の人文社会系の大型海外調査として1956 年にイラク・イランで開始され、現在は本館の西秋良宏がその中心的役割を担っている。基本テーマは農耕社会の成立と展開である。1970 年代末にイラン・イラク戦争が始まったために、現在はシリアで調査を行なっている。1994年から1999年にかけてはシリアのテル・コサック・シャマリなどの発掘を行ない、紀元前5000 年から4000 年にいたる土器 工房が発見された。2000 年からはテル・セクル・アル・アヘイマルを発掘している。ここで発見された新石器時代の遺跡はこの地方最古のものであり、紀元前7500年頃と推定されている。この調査では考古学のほかにも地理学、地質学、動植物学の専門家を含む国内外20 名ほどの研究グループを組織して、総合的なアプローチを行ない、学術調査の成果をあげるとともに、シリア埋蔵文化財行政への貢献をもしている。
佐々木猛智が進めている海洋生物学の中で、深海生物の標本収集はとくに重要である。ときには水深7,000mもの極めて深い深度から採集されることもある。これらは超高性能の水中カメラを装備した無人潜水艇を用いて採集される。調査船上では採集された標本の整理や固定が行なわれる。水は淡水製造装置があるので心配はなく、電気や食事も心配はない。ただ、ひとたび出航すれば調査が終わるまでは着岸は許されないので、海が荒れれば船酔いに苦しむことになる。運が悪ければ調査せずに船酔いだけして帰ることもある。こうした経験をしながら、日本周辺はもとより、遠くインド洋、東南アジア、太平洋におよぶ航海によって多くの標本が採集されている。
高槻成紀は哺乳類の保全生態学の調査のためにモンゴルとスリランカで調査を行なっている。モンゴルのモウコガゼルの研究では世界で初めてモウコガゼルの長距離の移動ルートを解明し、保全にとって重要な情報を得た。またスリランカのアジアゾウについて、国立公園での他の草食獣との関係、農業被害の発生パターンなどを解明し、スリランカ社会におけるゾウと人との軋轢問題に貢献している。植物学や考古学のような伝統はないが、現地研究者は協力者との信頼関係を構築すること、海外調査にありがちな緊張などを考慮して、調査が過度の負担にならないようなペース配分やプライバシーの確保、また調査生活を楽しむ余裕をもつことなど、伝統から学んだものを活かすよう心がけている。
博物館資料として標本が重要であることはいうまでもないが、このようなフィールドワークそのものについての記録や調査器具類の保管もまた博物館の重要な仕事であろう。これらの研究活動が学問を通じての国際理解に役立つことを期待したい。

ウロボロス開館10周年記念号のトップページへ


植物調査隊のキャンプサイト。
パキスタンのデオサイ高原にて(1993年7月)



モウコガゼルの調査のためにソ連製のワゴン車で
モンゴル草原を行く(2003年8月)