地史古生物部門には、確認されているものだけで6万点を超える化石標本と、1万点以上の現生標本が所蔵されている。その中で特に、古生物学などの研究に用いられ論文等で記載された、もしくはデータとして用いられた登録標本(以下、「登録標本」という。)が保管されている。その数は約2万点に達する。この登録標本の始まりは、本学の初代地質学教授であるドイツ人のナウマン(Edmund Naumann, 1854-1827)による論文「先史時代の日本の象について」(1881)で記載されたゾウの歯の化石からである(図1、2)。日本人の研究による最も古い登録標本は、横山又次郎(1860-1942, 本学地質学科古生物学教授)の「長門産(現山口県)植物化石」(1891)で記載されたものである。これらの登録標本は、19 世紀に始まり2000 年を越え21 世紀に至る120 年以上の間に、約800件の論文で記載されてきた。すなわち、明治初期以来、我が国の古生物研究をリードしてきた本学の研究の歴史をまさに物語るモノである。しかも、これらは過去の研究の遺物などではない。新種記載の基準となり、国際的にその保管の望まれるタイプ標本も多数(3000 点以上)含まれており、現在でも研究のために繰り返し照会される現役である(図3)。また、そのキュレーティングは今も続いており、2000年以降も概算であるが3000点近く新たに登録されている。
さてこの度、これらの登録標本の全データベース化が、(これまで部分的に公開してきたが)完了する見込みとなった。データ件数としては2万点強であり、数だけを見れば、現在さまざまな場所で公開されている自然史関係のデータベースと比べて特に多いわけではないかもしれない。しかし、その内容は、当該標本における論文の記載箇所と、図版に使われた場合にはその図示箇所を抽出した情報から成る。そのため、標本の登録番号や種名情報の他、原著論文の記載・図示箇所も参照できることから、学術的に有益なデータベースになると考えられる。また、このデータベース化は、本部門に所蔵されている登録標本以外の関連標本、例えば、論文中では図示もリストにも記載されていないが、同一研究者により、同一産地から採集され、登録標本と同様の価値をもつ標本群についてのキュラトリアル・ワークを促進し、その公開や利用にも繋がると期待される。
さらに、この他登録標本に関連して、画像等のデジタル化も進行中である。その一つは、登録標本を掲載した原著論文の内、明治・大正・昭和初期のパブリックドメインとなった学術論文をデジタル画像化することである。その第1弾として約160件分の論文のアーカイブを公開する。おもに、横山又次郎による関東地方の新生代軟体動物化石の一連のモノグラフと、小林貞一(1901-1996, 本学地質学第二講座教授)による朝鮮半島・中国東北部の古生代頭足類・三葉虫類の研究に関する論文である。これらは、多数のタイプ標本を図版とともに記載しており、本部門においてその登録標本の照会依頼も多い。また、登録標本自体のデジタル画像化も進めており、白亜紀アンモナイト化石のタイプ標本(公開中)、横山又次郎の新生代軟体動物化石タイプ標本、最近発見された昭和前期の標本写真乾板(一部公開中:まだ詳細は調査中であるが、小林貞一等によって論文図版に使用され、タイプ標本も多数含まれる。)など、今後データベースとともに順次公開していく予定である。
このように、地史古生物部門では、所蔵している登録標本のデジタル情報が徐々に蓄積されるようになった。しかしその一方で、結果として様々な形式のデータベースや画像が乱立することになってしまい、古生物データベース全体としては必ずしも使い易くなっていない。また、現在のデータベースは、標本に添付されたラベルや標本カタログを参考に項目設定されたため、基本的に旧来の標本カードや標本台帳と変らない。データベースは効率よく整理・編集・統合できれば本来は利便性が高くなるはずなのだが、現状のままでは折角入力したデータベースが有効に使われないことが危惧される。そのため今後は、登録標本データベースを基盤にして、画像や論文アーカイブを連携させ、さらに標本情報の管理や検索をし易くするために標本のメタデータを充実させるなど、その利便性を高めていきたいと思う。この度の登録標本の全データベース化は、標本カードや標本台帳にかわる、次世代の長期的・持続的キュラトリアル・ワークを可能にする標本情報管理システムを研究するための最初のステップでもある。
おわりに、このようなデータベース化が可能であったのは、市川健雄氏(本学元助手、本館元協力研究員)の長年の献身的御努力によるキュラトリアル・ワークという土台があったからであることを強調したい。また、歴代の古生物学の教授・教官たちが、その長く時間のかかる地道なキュレーティングを支え続けたからである。その成果である標本カタログは、本館標本資料報告として第1部(1978)、第2部(1983)、第3部(1988)、第4部(1995)までが出版されている。その成果の上に今日のデジタルデータベース化が成り立っているのである。これらの標本カタログは出来上がってしまうとただのリストにしか見えないかもしれない。しかし、その背景には実際の標本と論文を照らし合わせた標本情報の抽出作業、標本台帳や標本カードの作成、そして標本整理という本当に地道なキュラトリアル・ワークがあったのである。もし同じことを一からやろうとするならば10年や20年では済まない。我々は、デジタル化が進み、情報化のスピードが増大した現代においても、これらの地道なキュラトリアル・ワークを引き継いでいかねばならない。標本カタログ「第5部」の出版こそが引き継ぎの試金石となろう。