私が総合研究博物館で過ごした研究室の窓の外には懐徳館の濃い緑が見え、都心とは思えない静かな環境で研究生活をすることに恵まれました。私はときどきこの日本庭園に入って、季節おりおりの植物を見るのを楽しみました。また、ゴマダラチョウやウラギンシジミなどの蝶も見かけますし、4 月の初めにはやや珍しいツマキチョウもいるのを知って驚いたこともあります。
私が本館に赴任したのは1997年ですから、ちょうど10年間お世話になったことになります。50歳をはさむ10年間という時間は、個人的には、久しぶりにのばした髭が白くなっていたのを発見したり、父を亡くし、娘が嫁ぎ、孫を得た、といった時間でもありました。その時間を、世界を代表する研究者を同僚として過ごすことができたことは、私の研究生活にとってかけがえのない貴重なものでした。
私の研究は哺乳類の生態学ですから、野外調査が中心で、農学生命科学研究科の院生を指導しながら研究を進めました。熱意のある学生に支えられてクマやサルをはじめ、さまざまな哺乳類を調べることができました。シカやクマだけでなく、ゾウまで対象としましたから、対象動物の体重でいえば、日本最大の研究室になったといえるかもしれません。私は院生にできるだけ野外に出て、自然を直視することを勧めました。不思議なことに私の研究室には中国、スリランカ、ベネズエラ、スペインと世界各国から留学生が来てくれました。お昼は学生といっしょに摂るようにしていましたから、小さな国際社会になりました。そういうときの会話は英語でしたが、ネイティブ・スピーカーは一人もいませんから、「It isdaijoubu, ne?」といった独特のことばができました。私は戦後の平和な時代に生を受け、生物学を学ぶことを通じて国際協力ができることを幸いなことだと受け止めてきました。留学生を引き受けると地球儀の上でその国がそれまでと異なった光を放つように感じられました。学生が研究をまとめるときはたいへんでしたが、それが完成したとき、とくに博士学位論文のときの喜びは格別でした。東京大学で6 人の博士、18 人の修士を指導できたことは私の終生の誇りです。
これらの研究に関連して得られる哺乳類の骨格標本を収集することに努め、ニホンジカについてはよいコレクションができました。また縁あって須田孫七先生の知己を得て膨大な昆虫コレクションを寄贈頂いたこともありがたいことでした。須田先生に昆虫のお話をうかがうのも楽しみでした。
骨の展示と学位記展を企画させて頂いたときは、博物館で仕事をしていることを実感したものです。その過程で、何を展示するかだけではなく、いかに展示するかのたいせつさを教えてもらいました。
私は少年時代から「観察」ということばが大好きで、今でも好きです。生き物に近づいてよーく観る、小学校の理科の時間にそのことを教わって、私は身の回りの植物や昆虫などを採ってきては、スケッチをするのに夢中になりました。昭和30年代の山陰の小さな町のことですから、動植物は溢れるように豊かでした。長じて研究者になり、論文を書くことが職務のようになりましたが、しかし多くの現代生物学者がおこなうような、論文がすべてであり、論文が完成したら試料を処分するような論文至上主義にはなじめません。論文を書くまでに必要な野外調査の計画(作戦というべきもの)を立て、その準備をし、データをとり、試料を集め、収集、整理して分析をする。これと並行して、人の関係作りや、学生の指導なども重要な要素となります。こうしたトータルなことどものすべてが必要であり、私にとっては貴重で愉しいことでもあります。これは研究「材料」の確保を他人まかせにする実験室生物学とはおよそ違うものです。
研究内容が専門化すればするほど、論文は先鋭化し、しばしば無色透明に近づきます。遺伝子や分子を対象とするミクロ生物学はまさにそのような研究世界になりつつあります。これらの研究も、もともとは生物を観察することから始まったはずですが、原理や一般性だけを重視することが加速されるなかで観察の精神を忘れてしまったかの如きです。それどころか、単純化した理論によって生物の動きやさらに複雑な現象を予測するという大それたことまでもくろむようになりました。
私はそのような還元主義あるいは一般性至上主義を採りたくありません。そのような科学の必要性を認めた上で、自分はそうではないスタイルを貫きたいと思います。おそらく生物学には他の自然科学とは違う個別性が本質的に重要で、それを求めたいという姿勢は少年時代からなじんだ「観察主義」をまっすぐ延長したものといえます。おそらく現代科学はこの原点に一度立ち戻る必要があるのではないでしょうか。
ただ、先進性が求められる研究の世界でそのような考えを維持するのは実は容易なことではありません。なんとなく時代遅れと見られがちで、取り残されるような気になるからです。そうした状況の中で、たとえ非効率にみえても、標本を直視する研究スタイルに自信をもつことができたのは、この博物館で研究と展示活動を通してお互いに議論し、試料のたいせつさやものごとを総合的に見ることの重要性を認識する機会を与えられたからだと確信しています。
私がいた東北大学理学部の生物学教室の会議室の壁には、いかつい顔をした外国人の画が掲げてありました。生物学教室の創立に貢献したオーストリアのハンス・モーリッシュ博士です。この先生が来日したときに、文部省の役人だったか、東大の先生だったかが、「先生、仙台などにいらしてもろくに文献もありません。東京におられてはいかがでしょう」と言ったとき、言下に「私は本を読みに来日したのではない。私が学ぶべきものは自然そのものだ」と言い放ったといいます。私は「本物を見極めること」を考えるときにいつもこの逸話を思い出します。
本物を見極めること、そして自然に対して謙虚になり、よく観察し記述することの重要性に気づかせてもらったこと、このことが、私がこの10年間で学んだ最も価値あることでした。それができたのは事務の皆様をはじめとするスタッフに支えられたこの博物館の環境をおいてほかにありえないことでした。
博物館は本郷キャンパ南の端にあり、目立つという意味ではロケーションがよくないと言われますが、そうであるからこそ、静かで落ち着いた空間が形作られていたとも言え、そのこともどこかで私たちの思考によい影響を与えていたように思います。
新しい職場ではこの10 年で学んだことを活かし、志に燃える若者と野生動物の研究にじっくりと取り組みたいと思います。今日が博物館での私の最後の日となりますが、私はお別れを言うつもりはありません。遠くに行く訳でもありませんし、ありがたいことに特任研究員としてときどきは本館にお邪魔させていただけることになりました。これからもいっしょに本物を見極める旅を続けさせて頂きますようお願い申し上げます。ありがとうございました。