2005年9月、神奈川県相模原市の宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部(ISAS)に国内外から十数名の研究者が集まっていた。2003年5月に打ち上げられて以来、2年半にわたる巡航を続けてきた小惑星探査機「はやぶさ」が、目的地の小惑星イトカワに到着し、観測を開始したのである。巡航中は工学チームを中心に一部の理学チームメンバーが探査機の運用を行っていたが、三ヶ月におよぶ観測期間中は、理学側のメンバーと工学側のメンバーが一体となって探査機を運用するのだ。
このネット時代にわざわざ実際に人間が集まる必要があるのか? と思われるかもしれない。しかし、「はやぶさ」は三ヶ月間漫然と小惑星の近くで観測をすればよいというものではない。到着の時点ではまだ目標との距離は20km。「はやぶさ」の最終目標は小惑星表面に着陸し、表面の岩石を採取して地球に持ち帰ることにある。つまり、限られた期間の中で、小惑星になるべく接近し、天体全体の形や表面の様子などの詳細なデータを取得した上で探査機を小惑星のどこに着陸させるべきかを決めてから、着陸ミッションを成功させなければならない。イトカワは平均直径が約360mしかない、これまで探査された中ではもっとも小さい天体である。このため、地球からの観測ではほとんど点にしか見えず、着陸に必要な精度を持った情報は全く得ることができなかった。「はやぶさ」は観測対象についてほとんど知らぬままに到着し、到着後に観測−解析−判断というサイクルを短い周期で回しながら運用を行う必要があったのである。極端な場合、一日数時間の探査機との通信時間の前半で得た情報で、後半何をするかを決断する必要もある。これを三ヶ月間続けるにはどうしても実際に人間が一箇所に集まり、面と向って議論をしなければならない。
「はやぶさ」とイトカワは、地球から遥か三億km以上離れた彼方にあった。これは光や電波をもってしても往復で30分以上を要する距離である。このタイムラグを埋めるためにも、探査機はそれ自体がある程度自律的に判断、行動することが可能な機械として設計されているが、通常は人間の手を完全に離れて動くことはない。運用チームが地上でその時々の行動を決定し、指示を出している。例えてみれば、頭脳である運用・解析チームだけが地上に残り、感覚器と手足が宇宙空間に送り出されて、細い通信回線を介して繋がっているような状態と考えればよい。その意味で、われわれの詰めている小さな部屋は、三億km 離れた小惑星イトカワにもっとも近い場所だったと言えるだろう。
「はやぶさ」が見たものは、そのままわれわれが小部屋の中で見るものでもある。送られてくるイトカワのデータは、全く予想もしなかった小惑星の実態を伝えてくれた。毎日が新鮮な驚きの連続で、われわれは喜びとともに三ヶ月間を過ごすことになった(もちろんその一方、多少なりとも事前に準備していた観測と運用の計画は、予想外のデータを前にしてほとんど新たに練り直しとなってしまったわけだが)。今回の特別展では、当時われわれが感じた興奮が来館者にも多少なりとも伝われば幸いである。 最後に、「月にもっとも近い部屋」のことにも触れておきたい。2007年9月13日に、「はやぶさ」に続く新たな探査機である「かぐや(SELENE)」が打ち上げられ、月を目指すことになる。この原稿が印刷物になるころには、もう打ち上げの結果も出ていることだろう。「かぐや」のミッションは丸一年の長丁場になるので、詰め切りというわけにはいかないが、相模原の一角の「月にもっとも近い部屋」で、「はやぶさ」の時と同じ感覚をまた味わえるのを今から楽しみにしている。