総合研究博物館にミュージアム・ミュージアムテクノロジー寄附研究部門ができて5年。これは私が客員教員として博物館にお世話になっている期間でもある。過ぎてみるとあっという間のことのように思うが、この間、私が大なり小なり関係した展覧会を数えてみたところ11本あった。『ニュートリノ』『東京大学学位記展II』『シーボルトの21世紀』『石の記憶』『プロパガンダ1 9 0 4 - 1 9 4 5 』『Systema Naturae―標本は語る』『関野貞アジア踏査』『アフリカの骨、縄文の骨』『サンゴ礁の貝類』『時空のデザイン』『遺丘と女神』。そして今回の『異星の踏査―「アポロ」から「はやぶさ」へ』で12本。我ながら「ずいぶん作ったな」と思うが、ここでの経験できたことは、なかなか得がたいものだった。博物館の名のとおり様々なテーマや内容を多様な専門分野の先生方と協働しながら企画・デザインを考え、特徴的な使いづらいカタチをしている新館展示ホールをふくめ、一つの展示室に違うアプローチで何度も向かい合い、違う「感動」を生み出すことを目指してきた。そのなか全てにおいて私の役割は常に一貫してきた。それは、情報伝達のための良質なコミュニケーションメディアを実現させるということである。展示のデザインというと、単純に「格好いい」とか「綺麗」という言葉で語られがちだが、そのデザインには結構な力や役割が秘められている。今回はそこを紹介しようと思う。
さらに、編集されたモノ、情報をどう表現するかとなると、ここにデザインが大きく関ることになる。伝え方と見せ方である。見やすく並べる、配置するという行為はデザインの基本だが、ここに必要かつ効果的な解説を付記することや、映像資料などで付加要素を持たせ、情報伝達のためのメディアを構築にしていくこともデザインの一つである。さらに、伝えたいテーマのイメージ、世界観をも創出しようとするなら、こうした演出も展示デザインであり、デザインが展示で果たせる役割や力は大きい。
この西アジアのフィールドワークは1956年から始まり、今日まで50年に渡り続いてきた息の長い研究分野という。本展の作業には、西秋教授の前に調査団長をしておられた松谷敏雄名誉教授や、学生たちも参加してくれていた(そして、大きな戦力となってくれた)。ミーティングで語り合う彼らの姿を見ていると、この調査が50年受け継がれてきたものであることと、そしてこの先も何十年も受け継がれていくであろうことが容易に想像できるものだった。研究について本当に楽しそうに論じている様子を見るにつけ、テルは彼らにとって(もちろん我々人類にとっても)宝の山なのだと感じた。
デザインの方向性を決めた。このテルを実際の展示室に作って中央に象徴的に配し、周辺にはテルから出土した資料をテーマごとに分類して展示することにした。鑑賞する方々にも、数千年前の人々の様子の創造という宝を掘り当ててもらえる山にならないかと考えたカタチである。
デザインプランを提示した後、資料室から退出しようとすると、西秋教授から「この写真を、よーく目に焼き付けておいてください。」と壁にかけられたモノクロの写真を指差された。何もない平らな土地にポコっとした丘があった。50年前の調査時に撮られたテルの写真だった。「これがテルですよ。他のカタチになったら許しませんよ」と言われた。その顔はなんだか嬉しそうだった。このデザインをとても気に入ってくれているようだった。
展示デザイナーである私にとっての宝の山はそんな彼らの姿だったりする。彼らの思いやモノの持つ力を何でどう表現するか。見る人にそれを伝える手段として、空間をデザインするということは、ただ格好に仕立てるのではなく、思いや狙いを格好にしていくことなのである。
また、ただ山があるだけでは雰囲気が出ないため、電球照明を下げることで現場感を醸成させる要素を加えることにした。作業現場には裸電球が似合うという、ごく単純な発想から考えたことあったが、発掘現場の雰囲気とテルとの間に緊張感を創出ながら、アートの世界でいう「インスタレーション」的な効果と生むことを狙ったデザインだった。
完成した展示を見た複数の人から「シリアの満天の星のイメージですね。」と言われた。星は全く想定していなかったので、意外な言葉であったが、少なくともこのデザインが見る人の想像を掻き立てることができたのはとてもうれしいことだった。
当館で行う展示には、大学という学術研究機関で行われている研究のなかで生じた学術標本を用い、研究者がその研究成果を論文とは違う「展示」というかたちで公開するという目的がある。そしてこの「展示」には、学術を翻訳し、広く社会に大学の学術研究やその成果をわかりやすいかたちで伝えるためのコミュニケーションメディアたる役割も求められる。そのなかで、私は展示デザインによって、観覧される方々とおもしろい対話、コミュニケーションが生み出すことを狙い続けている。
皆さんが、例えば「綺麗だな。おもしろいな。」と思う展示には、それなりの理由と苦労があることを少しだけ知っていただければ幸いである。