東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime12Number2

展示、展示のデザイン

洪 恒夫 (本館客員教授/展示デザイン)


 総合研究博物館にミュージアム・ミュージアムテクノロジー寄附研究部門ができて5年。これは私が客員教員として博物館にお世話になっている期間でもある。過ぎてみるとあっという間のことのように思うが、この間、私が大なり小なり関係した展覧会を数えてみたところ11本あった。『ニュートリノ』『東京大学学位記展II』『シーボルトの21世紀』『石の記憶』『プロパガンダ1 9 0 4 - 1 9 4 5 』『Systema Naturae―標本は語る』『関野貞アジア踏査』『アフリカの骨、縄文の骨』『サンゴ礁の貝類』『時空のデザイン』『遺丘と女神』。そして今回の『異星の踏査―「アポロ」から「はやぶさ」へ』で12本。我ながら「ずいぶん作ったな」と思うが、ここでの経験できたことは、なかなか得がたいものだった。博物館の名のとおり様々なテーマや内容を多様な専門分野の先生方と協働しながら企画・デザインを考え、特徴的な使いづらいカタチをしている新館展示ホールをふくめ、一つの展示室に違うアプローチで何度も向かい合い、違う「感動」を生み出すことを目指してきた。そのなか全てにおいて私の役割は常に一貫してきた。それは、情報伝達のための良質なコミュニケーションメディアを実現させるということである。展示のデザインというと、単純に「格好いい」とか「綺麗」という言葉で語られがちだが、そのデザインには結構な力や役割が秘められている。今回はそこを紹介しようと思う。

展示とデザイン
 「展示」は、ミュージアムの機能の一つとしても知られている言葉で、「展示する」と何気なく使われるが、そこにはこんな意味がある。展示の「展」はそれ一語とした場合、「ひろげる」とか「丁寧に見る」という意味になる。また「示す」は、相手にわかるように見せたり、指し示したり、何かをして見せたりする時に使う言葉である。辞書を見ると「考えなどが相手に伝わるように、何かの方法で表して見せる。」という意味がある。つまりこの二語がくっついた「展示」には、「ひろげてしめす」という意味が込められていることになる。ミュージアムでは、収集・保管されたコレクションや資料を展示室で公開されている。普段は仕舞っているものを「ひろげて、みせて」いるため、これらを一般の観覧に供すること自体が既に「展示」ということである。しかし、もっと積極的にとらえると、それは展示の見せ方、情報の伝え方を工夫することととらえることができる。展示が企画され、展示物が収蔵庫から持ち出されたその時点で、そこに並べられるものは、ある考えの下に選ばれたものである。そこには「これを見せよう」とする人の意思と伝達するべき情報が含まれていることになる。それならば、その意図を明快に伝える必要があるだろう。そして、意図を伝えるためには、ただ並べるのではなく、グループで分ける、対比する、見せる順番を考えるなど、いわゆる「編集」行為しなければ展示で訴求したいポイントは伝わりにくい。つまり、展示の効果を高めるためには、考えたことを伝わりやすいカタチにして示すことが必要なのだ。
 さらに、編集されたモノ、情報をどう表現するかとなると、ここにデザインが大きく関ることになる。伝え方と見せ方である。見やすく並べる、配置するという行為はデザインの基本だが、ここに必要かつ効果的な解説を付記することや、映像資料などで付加要素を持たせ、情報伝達のためのメディアを構築にしていくこともデザインの一つである。さらに、伝えたいテーマのイメージ、世界観をも創出しようとするなら、こうした演出も展示デザインであり、デザインが展示で果たせる役割や力は大きい。
遺丘と女神
 特別展「遺丘と女神」展の構想作業を開始した頃、担当の西秋教授から「今回の展示物は、本当に小さいものばかりですよ。」と言われた。しかも、ちょっと見ただけでは、どのような意味を持つものかも分かりづらいという。さてどんなものなのかと実物を見せてもらうと、小さくて茶色いものばかりだった。話のとおりだった。しかし、これら展示物の持つ意味、展覧会の企図となっている西アジアにおける「原始農村―ドメスティケーションの追求」というテーマ、コンテクストは非常に興味深く、イマジネーションを掻き立てるものがあった。また、展示物である資料が出土する「テル(tell)」と呼ばれる独特の遺跡も魅力的なカタチをしている。「各時代の生活様式を一箇所に重ねて残した考古学者用タイムカプセル」と話される西秋先生の言葉からも想像力は広がった。
 この西アジアのフィールドワークは1956年から始まり、今日まで50年に渡り続いてきた息の長い研究分野という。本展の作業には、西秋教授の前に調査団長をしておられた松谷敏雄名誉教授や、学生たちも参加してくれていた(そして、大きな戦力となってくれた)。ミーティングで語り合う彼らの姿を見ていると、この調査が50年受け継がれてきたものであることと、そしてこの先も何十年も受け継がれていくであろうことが容易に想像できるものだった。研究について本当に楽しそうに論じている様子を見るにつけ、テルは彼らにとって(もちろん我々人類にとっても)宝の山なのだと感じた。
 デザインの方向性を決めた。このテルを実際の展示室に作って中央に象徴的に配し、周辺にはテルから出土した資料をテーマごとに分類して展示することにした。鑑賞する方々にも、数千年前の人々の様子の創造という宝を掘り当ててもらえる山にならないかと考えたカタチである。
 デザインプランを提示した後、資料室から退出しようとすると、西秋教授から「この写真を、よーく目に焼き付けておいてください。」と壁にかけられたモノクロの写真を指差された。何もない平らな土地にポコっとした丘があった。50年前の調査時に撮られたテルの写真だった。「これがテルですよ。他のカタチになったら許しませんよ」と言われた。その顔はなんだか嬉しそうだった。このデザインをとても気に入ってくれているようだった。
 展示デザイナーである私にとっての宝の山はそんな彼らの姿だったりする。彼らの思いやモノの持つ力を何でどう表現するか。見る人にそれを伝える手段として、空間をデザインするということは、ただ格好に仕立てるのではなく、思いや狙いを格好にしていくことなのである。
デザインをカタチにする
 製作段階に入ると、このテルを何で作るかその方法に苦慮した。リアリティをどうやって表現するかで悩んだのだ。最初は、土を盛って山を本当に作ってしまおうかと考えていたが(土については多方面から止められてしまった。)、最終的には山のベースに発砲スチロールを用い、形を似せて削り出し、ボンドを撒いた砂で山の表面を固めることとした。さらにまわりに砂を撒き、広がりをつけた。砂はそのままでは白っぽかったため、オレンジ色の演出照明をあてることで雰囲気を与え、イメージとしてのリアリティを出すことに努めた。
 また、ただ山があるだけでは雰囲気が出ないため、電球照明を下げることで現場感を醸成させる要素を加えることにした。作業現場には裸電球が似合うという、ごく単純な発想から考えたことあったが、発掘現場の雰囲気とテルとの間に緊張感を創出ながら、アートの世界でいう「インスタレーション」的な効果と生むことを狙ったデザインだった。
 完成した展示を見た複数の人から「シリアの満天の星のイメージですね。」と言われた。星は全く想定していなかったので、意外な言葉であったが、少なくともこのデザインが見る人の想像を掻き立てることができたのはとてもうれしいことだった。
展示のデザイン
 展示におけるデザインの役割は、先に述べた通り、見せたいものが見やすいというハード面の条件を満たすことと、伝えたい情報が効果的に伝わるというソフト面の条件を満たすことが第一義にあるが、私は見る人の気持ちに訴えかける、マインド面での効果を発揮する展示であることを狙うべきと考えている。本展に足を踏み入れたときに、このテルと照明がつくる世界感から何か感じていただけたなら、それはデザインに秘められた気持ちを感じていただけたということになる。
 当館で行う展示には、大学という学術研究機関で行われている研究のなかで生じた学術標本を用い、研究者がその研究成果を論文とは違う「展示」というかたちで公開するという目的がある。そしてこの「展示」には、学術を翻訳し、広く社会に大学の学術研究やその成果をわかりやすいかたちで伝えるためのコミュニケーションメディアたる役割も求められる。そのなかで、私は展示デザインによって、観覧される方々とおもしろい対話、コミュニケーションが生み出すことを狙い続けている。
 皆さんが、例えば「綺麗だな。おもしろいな。」と思う展示には、それなりの理由と苦労があることを少しだけ知っていただければ幸いである。




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図1 . ファーストインプレッション イメージスケッチ.


図2 . レイアウト図.


図3 . スタディ用マケット.




図4 , 5 . 完成した展示.
中央のテル越しに発掘現場の映像をみることができる.