東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime13Number1



常設展
モバイルミュージアム

関岡裕之 (本館特任研究員/博物館デザイン)
  モバイルミュージアムに関しての社会的意義とその可能性については、これまでも幾度か述べられてきた。ここでは、その特異体質的な展示デザインとしての側面について考察してみたい。
  これまで博物館の中で手厚く展示されてきた、あるいは保管されてきたモノたちが、未知の世界を体験することになる。優雅な姿をしていても孤独を感じるモノがいる。かれらを輝かせてやるためには、なにか特別なものを身にまとわせる必要がある。
  通常、博物館の展示では、展示具は主張しないか、もしくは見えない工夫を施すかに重点を置く。それは、純粋にモノを観察できるための配慮であるが、そこには必ず考えぬかれた演出と静的な空間が準備されている。したがって付加的なものは付加的なものでしかありえない。多くの場合、有機的形態である展示物は多様な外界の喧噪の中では埋没してしまうか、あるいは本質的に元の世界に戻ることにより、その存在が希薄化してしまう。また、閉じられた空間であったとしても、それがまったく別の目的で機能している場合も同様である。これを補うためには、演出を担った展示具との、または、同一空間関係にある造形とのコラボレーションが必要である。
  これらは主役に負けないくらいのポジションを共有することになる。いわば博物館の展示では、まったく付加的要素でしかありえなかったものが、お互いにとって必要な存在に変容するのである。例えば艶やかに輝く真鍮の展示具や、展示物よりもボリュームのあるアクリルブロックや、幾何学造形の展示台がそうである。仮に四角い展示物を、同質同色の四角い台に乗せても見栄えがしないことは容易に理解できるであろう。デザインにおいてもっとも重要な要素のひとつである「対比」を美的な観点から強調することにより、展示物自身の表現力を高め、空間に緊張を与え、準備されていなかった空間を彩ることができるのである。さらにいえば、これらの展示物となりうる学術資源には、その容姿もさることながら、美術品のそれとはちがう、時間的、思考的価値が内包されている。この新鮮な違和感こそが一般的な感覚に「対比」しているのである。

  次に展示ケースについてはどうか。これまでにもいろいろな場面で展開してきたガラスの直方体という究極的なミニマムスタイルは、それ自体美しく、展示物との「対比」において十分機能しているが、それとともに見えないものとして定義されている。前述したことを引用すれば、博物館での準備された空間では、展示ケース自体が付加的なものとして認識される場合がある。最低限のバリケードとしての機能を満たすためには、構造的に不透明な部分を極限まで排除することが要求されるが、しかしながら消し去ることのできない存在感という矛盾をかかえている。
  もう一つの見方は、展示物自身がもつ空気感を拡散させずに閉じこめることにより、隔てられたふたつの空間を「対比」させるという効果である。このとき外側に位置する空間は、現実的俗世のエリアとして意識されることが多いが、「写真家上田義彦のマニエリスム博物誌」展で試されているように、準備された空間であっても、また同一対象物であっても、写真とモノというそれぞれのもつ空気感を、ガラスの色や質感、映り込む景色までもが効果的に機能し、空間全体に緊張感を与えることに成功している。
  これらのことからわかるように、展示ケースはそのポリシーによっては、単に展示物保護としての機能を超えた演出の立役者になりえるのである。
  現在のモバイルミュージアムでも、俗世側との関係において同様の捉え方が適用されている。展示ケース自体は空間に同化させつつも、そのシャープなデザインが展示物のもつ特異な存在感と空気感を表現している。ここで、外界に接する空間においての別の展開を考えるとすれば、展示ケース自体あるいは内部の展示台に、審美的な面としてのボリュームを与え、展示物自身では補えない存在感を演出することが可能ではないか。これは展示具での考察を引用したものである。

  最後に照明について考える。本来照明とは光さえあればいいのだが、いかんせん光源本体を消し去ることはできない。構造体として現れる以上、それをデザインしなければならないというのが照明器具に課せられた宿命であるといえる。インテリアやプロダクトデザインにおいては、この「問題」を性格づけられた空間における機能的造形として捉えるより術がなかった。ではミュージアムにおいてはどうかというと、前置きしたとおりである。この解決策は建築と手を組むことによって図られてきたとはいえ、多種多様なコンセプトをもとに組み立てられる展示では、最終段階でその意志についてこられない設備的事情と美観的妥協が必ずあるといってよい。このことはモバイルミュージアムにとってはいうまでもなく切実な問題である。何かをディスプレイするという行為に対して、屋外彫刻でもないかぎり、ライティングの効果は必要不可欠であるにもかかわらず、最大の難関として立ちはだかるのである。
  現在展開しているモバイルミュージアムの一部では、これらの「問題」に対して斬新な発想による解決策を試みている。それは本体から発せられた光源をミラーに反射させ、展示物に照射させるというものである。具体的には、光源本体を展示ケースの下部構造体に収納し、本来光源であるべき位置にミラーを設置する。通常の場合、直接照射させようとすると本体は美観にとって付加的要素として現れる、または設備的条件を回避できないが、この方法では本体は何処か見えない場所に追いやってしまい、現れる部分を極力ミニマムスタイルに化けさせることを可能にしている。それは博物館での展示概念に即したものといえる。
  ここでもまた別の発想を展開できる可能性がある。それはインテリアやプロダクトデザインにおいてのアプローチと同様に、見せる機能として空間に位置づけることである。たとえばデスク用のアームライトを模したものを展示ケースに設置してみたり、フロア用のスタンドライトを展示ケースの中に配置してみるようなことである。これまで述べてきた要素と同様にモバイルミュージアムにおける可能性を示唆するものではないだろうか。

  これまで博物館の展示で当たり前におこなわれてきたことを、モバイルミュージアムではさらに飛躍、または転換させる必要がある。それは実験工房としてのヴィジョンの発信と、「アート&サイエンス」の実務だといえる。つまり、これまで既成概念として与えられてきたいくつものジャンルの融合であると同時に、モノを見ることのみに止まらない空間デザインとしての価値を付加することにほかならない。

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