石井龍太(日本学術振興会特別研究員PD(東京大学))
ユーラシア大陸の東側に沿って、長く島々が連なっている。島々の列は大陸の東海岸との間に内海を築きつつ、北東から南西にかけて長く並ぶ。島々はそれぞれ強い個性を持っているが、中でも九州島から南へと続く南西諸島の南半、ひときわ細長い島を基点に大きな弧を描きながら連なる島々がある。ある者は沖に縄のように伸びる姿を指して「沖縄」の字を当て、あるいは「花綵」とも形容されたこの島嶼地域は、古代中国の用いた伝統的な名称を取って「琉球」と呼ばれてきた。その字義は紺碧の美しい玉であるという。
自然、社会、習俗等様々な点で、琉球諸島には東アジア、東南アジア諸地域との共通性と、この地域ならではの独自性とが混在している。琉球諸島が独特の世界を展開することになったひとつの要因は、その地理的特性にあると言えるだろう。東が上になるように世界地図を傾けて見ると、琉球諸島がアジアの中でどういった位置にあるのか理解しやすい(図1)。琉球諸島は東シナ海をはさんで中国の沿岸諸地域、さらに朝鮮半島と対面している。そして北側には奄美諸島、その先には日本列島があり、南側には台湾、その先にはフィリピン、東南アジア諸地域が広がっている。琉球諸島は東シナ海を巡る東アジア地中海世界の拠点的地域であり、この島々が東アジア・東南アジア諸地域との密接かつ頻繁な交流の歴史を辿ったのは至極当然のことだったと言えるだろう。
一方で、琉球諸島は決してひとつのまとまりある文化圏を形成しているわけではない。東京―大阪間に匹敵するほど長く連なる島々にはそれぞれ独特の環境があり、特色ある文化・習俗が展開されてきた。例え隣接する島同士であっても、共通点とともに相違点は厳然と存在している。琉球諸島の多様性は、島の生活を取り囲む海が単純に回廊とも障壁とも片付けられない特殊な存在であることを示している。
本展示は、琉球諸島を舞台に展開した文化史を主要なテーマとする。中でも東京大学が所蔵する土器・瓦資料を中心に、琉球諸島の物質文化史について考えてみたい。東京大学には様々な琉球関係資料が収蔵されているが、中でも明治・大正年間を中心に鳥居龍蔵氏、松村瞭氏達によって調査・収集された考古資料は、何れも近代考古学の黎明期に行われた調査成果として学史に輝く意義深いものばかりである。また彼ら先行研究者達は、琉球諸島の調査を通じて東アジア・東南アジア諸地域との比較研究が必要であると強調した。彼らが当時示した見解は、その後の調査成果の進展、資料点数の目覚しい増加によって再評価の必要を指摘されているが、一方で広域な比較研究を重視したその視点は高く評価されるべきであろう。東京大学が所蔵する琉球関係考古資料は学史上の意義を持つばかりでなく、調査者の目的意識を強く反映して、琉球諸島の文化史をより広い視点から検証出来る価値の高いものが多いのである。
本展示では中でも土器・瓦といった窯業関係資料を中心に扱っている。窯業史には琉球諸島の文化史が如実に反映されている。先史時代から琉球諸島では素焼きの土器が盛んに作られたが、これら土器群には日本列島の土器文化から繰り返し受けた強い影響が垣間見える。一方で土器を飾る紋様を始めとして、琉球諸島の独自色もはっきりと打ち出されている。また近世期を代表する窯業製品である瓦は、韓国、中国、日本の瓦文化の影響を強く受け続けてきた。一方で素焼きの赤い瓦と白い漆喰が組み合わさる屋根景観は、周辺諸地域に類例を求められない独特のものである。土器、瓦はそれぞれの時代に周辺諸地域に展開した諸文化の影響を敏感に受け止めつつ独自性を加味して、単純な模倣ではない琉球諸島ならではの物質文化を織りなしてきたと言えるだろう。本展示では琉球諸島に留まらず、周辺諸地域の土器・瓦資料も合わせて展示している。資料同士をつき合わせることで、それぞれの物質文化に見られる共通点と相違点とが明示されてくるだろう。
また土器・瓦以外にも、琉球諸島の密接かつ継続的な対外交流を指し示す資料は多い。本展示は土器・瓦文化をメインとしたが、貨幣、黒曜石、貝、陶磁器といった資料も合わせて展示し、琉球諸島を舞台に展開した多様な交流のあり方を示した。これらの資料もまた、資料そのものの価値とともに学史上意義深いものばかりである。中でも古代中国の貨幣である明刀銭は、国内での出土は二例のみという貴重なものである。これら展示資料を通じ、東アジア、東南アジアの一員であるとともに特色ある独自の世界を展開していた琉球諸島のあり方を示してみたい。
また多くの島々が連なって形成される琉球諸島は、しばしば内部に複数の異なる文化領域を形成してきた。そうした文化的多様性もまた、窯業史に明瞭に表れている。アジア全体の中に琉球諸島を位置付ける作業とともに、琉球諸島を形成する島々の個性も見落としてはならない。それぞれの島々ではそれぞれ独自の土器、独自の瓦が作り出され、用いられていたことが知られている。本展示では土器・瓦資料を島毎、時代毎に並置し、窯業史を通じて見えて来る琉球諸島の多様性と共通性を示してみたい。
物質文化を通じて示される琉球諸島の姿は、観光地から繰り返し発信される「南海の楽園」イメージとは異なるであろう。また大国の動向に翻弄されるアジアの一地域でも、辺境の異界でもないであろう。周辺諸地域との密接な交流の上に独自の文化を生み出した琉球諸島の力強い姿を、来館される方々にお伝え出来れば幸いである。
会期:2009年3月28日(土)〜5月31日(日) 月曜日休館 開館時間:午前10時〜午後5時(ただし入館は4時30分まで) 会場:東京大学総合研究博物館2階展示室 東京大学には、 明治期以来の現地調査によって収集された琉球諸島産の考古学標本が多数収蔵されている。今回のミニ展示では、そこから主に土器や瓦などの土製品を選び、 日本列島とも大陸とも異なる琉球地方独自の文化史に光をあてる企画を試みた。展示にあたって主体的な役割を果たしたのは、大学院人文社会系研究科考古学研究室の石井龍太君(日本学術振興会特別研究員PD)である。石井君は、琉球諸島の歴史時代考古学を専攻しており、博士論文研究では近世の瓦の分析を進めてきた。そこで、今回の展示品にも、総合研究博物館収蔵品だけでなく、石井君自身が現地で集めた瓦標本や、独自に復元製作した瓦葺き建造物模型などが含まれることとなった。総合研究博物館の蔵品を研究利用するユーザーは数多いが、そこから博物館活動の発展に理解と意欲をもった若手研究者がでてくることはたいへん望ましいし、そのような機会を設けることも本館の役割として重要であろう。本ミニ展示は、その一つの試みである。 西秋良宏(本館教授/先史考古学) |