東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime14Number1



特別展
鉄―137億年の宇宙誌

宮本英昭 (本館准教授/固体惑星科学)
 鉄は車やビル、橋、さまざまな機械に使われている。私たちの文明にとって、鉄がかけがえのない存在であることに異議を唱える人は居られないだろう。それでは、どのようにかけがえのない存在なのか?この問いに答えることは、実は難しい。
 鉄は安価でありながら高い強度を持つために、建築物や機械の構造を支える素材として広く使われている。さらに鉄は、磁性という特殊な性質を持つため、数多くの電化製品で利用されているし、そもそも発電所では、この特性を利用して電気が作られている。鉄は現代文明を根幹から支えていると言って差し障りない。近代において、鉄を確保することは国家戦略的にも重要な位置付けにあった。「鉄を制するものは天下を制する」、「鉄は産業の米」などの言葉に表れる通り、経済や産業の発展や文明同士の衝突などにおいて、鉄が重要な役割を果たしてきたことは、良く知られている通りである。
 なお、これは単に2度の世界大戦やその後の歴史においてのみ当てはまることではない。人類の生活は産業革命によって大きく変化したが、そこでも鉄は起爆剤と言えるほど重大な役割を果たした。例えば 鉄を大量に供給できたからこそ、蒸気機関に代表される新型機械が生まれたのであるし、鉄の特性が理解されたからこそ、電気エネルギーを利用できるようになったと言える。つまり人類の生産性や生活を大きく変化させた、機械による効率化と電気文明の発展という産業革命の2大要素は、鉄の利用に基づいているのだ。
 こうした発明は、当時のヨーロッパにおける進んだ科学技術があってこそ可能であったわけだが、それではなぜヨーロッパに進んだ科学技術が発達してきたのかというと、これよりはるか前から文明同士の衝突を繰り返し、生き延びてきた一つの帰結であるとする見方がある。ここで銃や大砲、鉄製の船舶の建築が果たした役割は言うまでも無いが、それより以前の古代文明においても、例えば鉄器の利用が農耕の効率を格段に向上させ、生産性を大幅に改善したことが、社会を安定化させ科学技術や発明を促したと考えられている。さらに鉄を使った武器をいち早く利用できた文明は、他の文明と対抗する上で優勢を保つことができた。つまり産業革命以前においても、文明を維持拡大する上で、鉄は本質的な働きをしたのである。そのため人類史全般において、鉄の有効利用が人類の進歩に重要な役割を果たしてきたといえであろう。
 だが鉄がかけがえないと考えられる理由は、それだけではない。わたしたち人間の体においても、鉄の存在は必須なのだ。私たちの血液が赤いのは赤血球が赤いからであり、その中に含まれるヘモグロビンが原因である。ヘモグロビンは、鉄を中心とした構造を持っており、呼吸を通して取り入れた酸素を体の隅々まで運ぶという重要な役割を担っている。そして運ばれた酸素を用いて、体の隅々でエネルギーが作り出されるが、そのときも鉄が鍵を握る。私たちの活動の基盤となるエネルギーは、鉄を使って生み出されている。鉄が無ければ、私たちは生きてゆくことができない。鉄は人間にとって、それほど重要な元素なのだ。
 鉄の生物学的な重要性は、なにも私たち人間に限られた話ではない。実は現在地球で知られているほとんど全ての生物にとって、鉄は必須な元素なのである。呼吸や光合成、DNA合成、窒素固定など、生命体に必須ないくつもの機能において、鉄は中心的かつ不可欠な役割を果たしている。鉄が無ければ地球上のほとんどの生命体は、生きていくことができないと言えるほど、鉄はかけがえのない存在なのだ。
 さらに言えば、私たち地球生命体が地表面で快適に生活できるのは、鉄が大量に地球に存在しているからなのだ。生命にとって、宇宙からの有害な放射線は危険極まりないものであるが、これが地表面に危険なレベルで届かないのは、地球の持っている磁場のお陰である。この磁場は、地球内部に存在している鉄の一部が溶融し、電流が流れているために形成されているのだ。つまり地球内部の大量の鉄が、地球表層を生命に安全な環境へと変えていると言える。
 大量の鉄と書いたが、どれほど多いのだろうか?野山を歩いていても、特に鉄を見かけることは無いため、鉄がそれほど大量に地球に存在していると言われると意外に思うかもしれない。これは地球の鉄の多くが、地球の中心部に集中して存在しているため、単に私たちが普段は目にできないだけである。驚くなかれ、地球を構成している元素の中で、最大の重量比を持つものは鉄である。地球の重量の3分の1は鉄なのだ。ユーリ・ガガーリンの有名な言葉などから、地球は水の惑星などと言われるが、これは地球表面の7割を水が覆っている事を重視した言い方であって、重さでみれば地球は「鉄の惑星」なのだ。
 それでは鉄の惑星は、どのように形成されたのだろうか?最近の研究から、太陽のような恒星であっても、その周囲に惑星が常に形成されるわけでは無いことがわかってきた。太陽系ではないところに、これまでも数多くの惑星(系外惑星)が見つかっているが、宇宙空間に形成されるためには、沢山の金属が必要とされることがわかってきた。つまり大雑把に言えば、人類が住むことのできる地球のような惑星が形成されるためには、鉄が存在している必要があると考えられるのだ。
 それでは宇宙に鉄はどれくらい存在しているのだろうか?宇宙の元素存在度は詳しく調べられているので、この問いに対する答えには、かなりの確実性がある。ひょっとすると驚かれるかもしれない、鉄は他の元素との相対量を比べると、特異的に多く存在しているのだ。そう、私たちが住むこの宇宙全体において、そもそも鉄は特異な存在なのである。
 このように、宇宙や地球、生命、人類の歴史を考えると、さまざま側面で鉄が重要な役割を果たしてきたことがわかる。そしてその鉄とは、宇宙において特殊な立場を占めるようなのだ。これは単に偶然が重なっただけなのか、それとも何らかの必然性があるのか?私たちはこの問いに答えるために、先端科学の研究成果を踏まえて学際的な視点から、「鉄」を見渡すことにした。そうすることで、宇宙137億年の歴史のなかで鉄が果たした特異な役割が浮かび上がるに違いない。この特別展示では、物理学や天文学、地球科学、生命科学、材料工学、資源工学、考古学、経済学などさまざまな分野の専門家が集い、「鉄」をキーワードとした新たな宇宙誌、地球誌、そして人類誌の提示を狙う。



東京大学総合研究博物館特別展示 「鉄―137億年の宇宙誌」
       会   期:2009年7月24日(金)〜10月31日(土)
       休 館 日:月曜日(ただし9/21・10/12は開館)・8/13・8/14・
              9/13・9/24・10/13
       開館時間:10:00〜17:00(ただし入館は16:30まで)
       会   場:東京大学総合研究博物館 1階新館展示ホール
       備   考:入場無料


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写真1 鉄であって鉄でない、鉄の中の鉄―世界最高純度の
超高純度鉄は東北大学金属材料研究所の安彦研究室で
作られた。この鉄は、錆びない、柔らかい、塩酸に溶けな
いなど、鉄の常識を越えた性質を示す。不純物を徹底的
に取り除いた超高純度鉄を革新的ベースメタルとして用
いることは、鉄系材料の飛躍的発展につながる
可能性を秘めている。


写真2 世界が驚いた鉄系超伝導物質。世界中の注目を集
めるこの物質は、東京工業大学の細野研究室で開発され
た。人類悲願の超伝導実用化への扉は開いたのか?
「The New Iron Age(新たな鉄の時代)」と題された
雑誌Natureの論説でも華々しく紹介された
この物質は、強相関物理学に大きな
波紋を投げかけている。


写真3 東大に眠る世界最大級の鉄鉱石コレクション。
これはかつて国家プロジェクトで収集され、
現代の鉄鋼生産の基盤を作った貴重な
標本群である。


写真4 鉄がなければ、地球上の生命体は生きることが
できない。これを如実に示す例として、鉄欠乏症が
研究されている。農学系研究科西澤研究室の
協力を得て、イネを育てる実験を
展示期間中に行う。