東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime15Number1



収蔵資料紹介
学術標本資料コレクションの可能性

藤尾直史(本館助教/小石川分館担当・博物建築史学)
 ムカシトカゲ(Sphenodon punctatus Gray1842)とはムカシトカゲ目ムカシトカゲ科へ分類される爬虫類の一種のことである。ニュージーランドの孤島に生息し、その名のとおり原始的な爬虫類の形質が引継がれているとされてきたもので、顱頂眼(頭頂眼)をはじめとする数々の特徴とともに、有鱗目(Squamata)へ分類される一般的なトカゲとは少なからぬ相違点を有することでも知られている。
 写真01のように2008年1月から6月へかけてモバイルミュージアムの一環としてこのようなムカシトカゲの標本展示ということが行われた。「明治丗五年四月西川藤吉氏寄贈/仝年七月廿八日死ス」とあるように、100年ものの標本であるばかりでなく、寄贈されてから死んだもの、つまり生きた状態で寄贈されたものという点でも注目されるものとなっている。
 もともとはニュージーランドの首都ウェリントンの観光局(Department of Tourist)の2階において飼われていたもので、そのようなものの2体が同局の局長・書記らの厚意によっていずれも現地を訪れていた西川藤吉(1874―1909)へ生体のまま譲渡されることとなった。そこでいったんシドニーの日本領事館へ送られたのち、3月6日出帆の八幡丸へ積込まれ、はるばる赤道を越えて4 月中旬に東京帝国大学動物学教室まで運ばれてきたというものである。もっともその後5月、7月末にあいついで世を去ったということだから、わずかながら長生きした後者のほうの標本ということになる。
 写真02のほうは7月に命がまさに尽きようとする直前に撮られたもののようで「何となく勢がない」「写真の位置では普通頸から頭を、も少し持ち上げて居る」などと言われてはいるものの、ある種の崇高さすら備えつつある液浸標本と比べると何となく愛嬌が感じられるものとなっている。鼻の先に少し傷が付いていたというような情報やアマガエルのような鳴き声が聴かれたというような情報も伝えられている。
 「想へば何等縁あつてか、九千何百浬彼方の故郷New ZealandのStephens Islandから遙々と動物学教室迄来て、半年も立たぬに空しくなつた」「然し世界のあらん限り永久に動物学標本陳列室に保存せられ、我生物学者古生物学者に利するありと思へば、之の二頭のHatteria たるもの以て瞑すべしだ」などと言われているのは、いわば陳列室という場において標本というものが永久に保存されていくという当然といえば当然の未来像とともに、その前提をなす歴史像とでもいうべきものが反映されたものとも言えよう。もっとも実際にはその後数多くの動物学教室の標本が異なった歴史をたどることとなったことはよく知られているとおりである。
 そのような中にあって本標本は、生体のままニュージーランドから日本へ運ばれるとともに、その後幸いにも現代まで伝えられることとなったものである。
 咽頭鏡セットについては電気治療器と同じようにパリにおいて入手されたということが1863年幕府遣欧使節団の一員として渡欧した三宅秀によって伝えられている。それとともに写真03、04のようにそのようなことが本体へ「MATHIEU」という文字が刻まれていることや「1864」という年代が印字されたカタログ表紙とともに伝えられていることを通してもうかがえるものとなっている。
                                          Paris, le 28 avril 1862.
CHER MONSIEUR MATHIEU, Je viens de lire quelques rclamations faites au sujet de mon bras artificiel. Je regrette d'y voir embrouiller une question qui est pourtant bien simple.
Des fabricants honorables qui se sont prsents moi ds l'origine, m'ont offert des appareils dont j'ai pu me servir, il est vrai, mais seulement titre d'essai, car je dus bientt en reconnatre l'insuffisance.
Les bras dont je me sers exclusivement depuis deux ans sont de votre invention; ils doivent la prfrence que je leur accorde aux perfectionnements successifs que vous ne cessez d'y apporter, et qui leur permettent une facilit et une varit de mouvements inconnues jusqu' ce jour.
Tout a vous d'amiti et de reconnaissance,
                                                  G.ROGER.
 義手(bras artificiel)の製作主体をめぐって1862年4月28日付けでMATHIEU氏へ宛てて出されたものである。そもそも製作主体ということをめぐっては一般論としても本質的な難しさがあることは確かである。だが必ずしもそのような本質的な難しさだけによって問題が生じているわけではない。他人の製作物へあたかも自分がつくったかのような外形をつくりだすことについて無価値と考える人間ばかりであれば本来的にはそのような本質的な問題ということが中心となってくるはずなのである。ところがどうやらそうでないとなるともうひとつ新たな問題というようなことについてもいろいろと考えざるをえないこととなってくる。いわばそのような意識や考えを持ち合わせていない人間の存在こそがそのような新たな問題の根源をなしているともいえる。
 世界旅行ということが特権階級のものであった時代においては「世界」の受け売りということのほうが常態であったかもしれない。この点については同時代の研究水準を広く踏まえた検討ということが必要となろう。もっとも渡航者の量的質的拡大ということもあって海外各所において現地の水準を超えるような研究成果の地道な積み重ねということが行われてきたことも確かである。
 写真05は「天覧模型」とされているものである。あまり見られない模型なのではないかと思われるが内容的には養狐事業へ使われた小屋と金網の模型にあたるものである。
 大正5(1916)年7月10日に東京帝国大学卒業式において「貴重毛皮獣の養殖に関する設備の模型及写真」の天覧ということが動物学教室教授渡瀬庄三郎(1862―1929)によって行われている。このことからおそらくはこのときの模型にあたるものと考えられる。
 「加奈陀に於ける養狐の実況」について「模型及写真」によって説明が行われ「樺太に於ける養狐事業の現況」について示され最後に「我国に産する狐の種類」について「毛皮標本」によって説明が行われたとされている。
 写真06はキツネ・小屋・金網そのほかが撮影されたものである。このようなものは一連の写真資料のうちのガラス写真においてまとまって見られるもののひとつとなっている。前出の模型の写真も含めて一連の写真と見られるものへ番号が付されている。
1、2、3、4a、5、6、(6a)、7a、8、9、10、11、13、14、15、18、19、20、21b、22、23、25、26、27、28、29、30、31、32、35、37、40、41、42、43、44、45、45a、46、50、51、55、64、65、66、67
 たとえば以上のようなもので必ずしも全てへ付されているわけではないし番号がそろっているわけでもないものの一定の関連性ということがうかがえるものとなっている。
 1 点目が「U.S. BIOLOGICAL SURVEY FOURTH PROVISIONAL ZONE MAP OF NORTH AMERICA」(1910年のものでC.Hart Merriam + Vernon Bailey + E.W.Nelson +K.A.Preble らによるもの)、2点目がプリンスエドワード島の位置が示された地図となっていることから大正4(1915)年7月にカナダ・北米へ派遣された渡瀬によるものと考えられる。
 大正5(1916)年2月18日に南葵文庫において「野獣の養殖に就いて」と題された講演が渡瀬によって行われている。
・「獣」と「畜」との別
・野獣養殖の意義
・野獣養殖と人間進化の関係
・毛皮問題
・養狐の利益
・娯楽的野獣の養殖
以上のようなことについて説明が行われ
・北米大陸の養狐に適せる地帯及其地相
・養狐の歴史
・赤狐、白狐、黒狐、銀狐の形状及狐の野生状態
・狐の養殖状態
・養殖場各種の設備
・養殖狐の生活状態
・養狐会社の景
・動物園の飼育法と養殖場の飼育法との差異
・アラスカの原始的養殖の景
・狐の交尾状態
・産屋の設備
・人に馴れる状態
・治病の景
以上のようなことについて「幻灯」や「活動写真」が使われるとともに極めて面白い「幻灯」について詳細な説明が行われたとされている。
 一連の写真と見られるものについても前出のもののほかにもたとえば7a arctic fox、8 red fox、9 gray foxあるいは21b模型、22図面、23図面などというように随所へ内容的な対応性ということがうかがえるものとなっている。
・狸
・貛
・臘虎
・川獺
・鼬
・スカルプ
・ドヒヨー
・山猫
・ウルベリン
・狼
・ヘルバリン
・膃肭臍
・白熊
・田鼠
・マスクラツト
・ビーバー
・チンチラ
・野兎
・馴鹿
・エルプ
以上のような有用動物について「幻灯」が使われるとともにことごとく説明が行われプリンスエドワード島における養狐事業の実際光景について「活動写真」が使われるとともにそれらが目に見えるように映出されて説明が行われたとされている。
 学術標本一般の内容と記載事項とは文書文献資料の本文と表題の関係へ限られるものではないし、書式が決まっているなど何らかの前提がない限りは両者が一致しないからといって一々カッコ付けが行われるようなものでもない。例外的にそのようなことが行われてきたことについてはそれを強要してきた当人の理解が示されたものともなってこよう。自然史関係の学名やカタログはそれ自体が分類学的な内容となっているがそれ以外のものは必ずしもそうなっていない。ありとあらゆる分野の写真や模型について論じてきたがそもそも写真や模型というような共通性だけではどうにもならない。前提とされているモデルが単純すぎると、学際性も国際性も実質的に同じようなものとなってしまいかねないし、それらが独占ということを目標として主張されること自体に無理がある。
 反射的反応自体にさしたる意味がなかったとしても、そのようなことが行われてきたこと自体は何らかの意味を持ちうる可能性があるし、反射速度が意識されているもののほうが概していろいろと明らかにしやすいということはあるものの、そこへどのような意義を認めるかは状況によっても異なってくる。結論ありきで理由は何でもよいというようなのははなから論外としても、そもそも明らかになるかどうかということすら明らかでないことと、海外であれ研究によってすでに明らかになっていることでは前提からして異なっている。
 眼前の限られた状況へ対する違いということを説いても、それらがそもそもどのように変化してきたかという前提へ対しての違いということを問わなければいろいろおかしなこととなってくるであろうことは容易に想像がつくところであろうし、すでに複数の実例によって示されてきたところでもあろう。いろいろな標本があることからの帰結はいろいろ考えられようし、一意的な帰結ということも考えられなくはないであろうが、実際のところはやはり一意的なものとはなりえないのではないか。それは少なくともそれぞれについて前提にあたるものが違っているからであって、逆にいえばだからこそ全体としてさまざまな可能性が考えられるのである。

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写真01


写真02


写真03、04


写真05


写真06