宮尾 亨
(新潟県立歴史博物館専門研究員 考古学)
けがの功名
博物館収蔵資料の来歴は多様である。考古遺物の場合、出土地不詳の採集品や伝世品などに、修復履歴の残っていない資料が多く存在する。もっとも考古遺物の修復履歴は、正規の発掘調査資料でも、記録の残っていないことが多い。元来、考古遺物には、破片と破片とを継ぎ合わせ、欠落部分を充填材で補って、もとの姿かたちに復元したものが多い。それゆえに考古遺物の中には、作為不作為は別にして、後天的な造作物が混じることになるので、1点1点の修復履歴を残すべきであるが、実情は不明なままに収蔵されている場合も多い。このような資料について、考古科学のテクニックは非破壊・非接触の検査方法を多く提供してくれる。しかしながら、博物館収蔵の資料について、修復内容のみを改めて調査することはほとんどなく、資料の破損など不測の事態から図らずも調査することになる。2004年12月21日、共同通信が2004年10月23日に発生した新潟県中越地震に被災した新潟県立歴史博物館収蔵資料の縄文土器に関する記事を配信した。
この縄文土器は、形態や文様などの特徴から、北関東周辺に分布する縄文時代中期の加曾利E式土器様式の深鉢と判断されているものである。出土地や出土状況に関する記録を伴わない購入資料で、当然ながら修復履歴なども詳らかではない。高さ55cm、口径27cm、底径7cmと重心が高く、安定性を欠いている(写真1)。中越地震では強い揺れのため、転倒し、器体下半を残して、バラバラの破片となった(写真2)。この縄文土器は、もともと破片を接着して復元しており、被災当初、改めて破片をつなぎ合わせ、修復する予定であった(写真3)。修復準備の過程で、形をとどめた器体下半の表面の一部が剥落した内部に、縄目文様を発見したのである(写真4・5)。震災という負の出来事に派生した発見は、けがの功名に例えられよう。
縄文土器の施文
縄文土器は、粘土紐の輪積みによって成形を行い、表面に文様を施すという手順で作られる。一部の縄文土器では、成形の途中に文様を施す場合があり、粘土が文様を覆い隠す場合がある。縄文時代早期信州の表裏縄文土器や押型文土器、縄文時代中期南東北の大木式土器などを典型とする。これらの土器は、容器を形作る粘土紐を一段積み重ねるたびに、その表面に文様を施しており、覆い隠された面と表面とで文様の異なることはない。
しかし、被災した縄文土器では、表面と剥落面の縄目文様が異なっていた。表面は、左撚りの縄(縄文原体LR)を、土器の左右(横)方向に回転させて施文したものであり、剥落面は右撚りの縄(縄文原体RL)を、土器の上下(縦)方向に回転させて施文したものであった(写真6)。つまり、目にすることのできる土器表面の文様に隠されて、もう一面の文様が存在する可能性を示唆することとなった。ちょうど同じ縄文時代中期の火炎土器の文様の作り方を調べていて、表面の隆帯文様が、容器の成形後に貼り付けられた粘土で構成されていることが判明した直後であったため、文様が二重構造となっている可能性を大いに期待することとなった。しかし、文様が二重構造になっている事実は、表面の剥落した部分でしか観察できない。そこで考古科学の出番となった。
透視した事実
表面の剥落していない部分を非破壊で観察するには、透視術を現実のものとするX線CT装置が威力を発揮する。実際には東京大学総合研究博物館のマイクロフォーカスX線CT装置(TXS225‐ACTISU テスコ株式会社/BIR)を利用して断層撮影を行い、画像解析ソフト(Analyze4.0 mayo clinic)で、表面及び内部画像を再構成した。
被災した縄文土器は修復を取りやめ、バラバラの状態のままである。CT画像を作成したのは、形をとどめた器体下半の胴部部分1点と、バラバラになってしまった器体上半の胴部から頸部にかけての破片3点と口縁部の破片2点である。それぞれの部分について、透過度を調整して、表面の文様を再構成したCT画像と剥離面の文様が見える可能性のあるCT画像とをそれぞれ作成した
結果、形をとどめた器体下半の胴部部分では、内部に縄目文様が確認された。それは剥落面で観察されたように、縄の撚り方と施文の回転方向とが表面と異なるものであった。ただ同時に重大な事実が明らかになった。被災後も形をとどめた器体下半は、表面的には欠落した部分のない復元となっているが、内部の縄目文様が見えるように透過度を高めると、相互に接合していない破片の存在がわかる(写真8・9)。つまり、表面部分は縄文時代の所産ではなく、修復作業に際して塗り込まれた可能性がきわめて濃厚といえる。
事実、被災によってバラバラになってしまった器体上半の胴部から頸部にかけての破片(写真10・11)と口縁部の破片(写真12・13)では、内部の縄目文様を認められない。また表面と内部とに縄目文様が存在するためには、土器の製作工程上、成形後に施文し、そのうえで表面を化粧土で覆って、改めて施文する必要がある。仮に文様が二重に施文されていないとしても、土器胎土の断面は二層構造となるはずである。しかし、胴部から頸部にかけての破片(写真14・15)(写真16・17)と口縁部の破片(写真18・19)では、そもそも、そのような二層構造を観察できない。
巧妙な修復
この縄文土器のCT画像を読解した成果は、期待を裏切るものであった。CT画像によって、器体下半表面の文様が修復の手による可能性が浮き彫りになったのである。念のために蛍光X線で、器体下半の剥離面の胎土(写真20)と表面の胎土(写真21)の元素構成を比較した。よく似た元素構成であるが、カリウムの有無などに違いがあり、由来の異なることがわかる。
ところで、器体下半表面の文様は、器体上半のバラバラになった破片の表面文様と一連となっている。器体上半のバラバラになった破片のCT画像は、それらの表面に修復の手が及んでいないことを示している。その一方で器体下半内部の文様は、器体上半のバラバラになった破片の表面文様とは異なっている。器体下半内部の文様は、相互に接合しない破片のものであり、器体上半の表面文様とは不一致の代物といえる。
このような事実を総合すると、この縄文土器は器体上半と下半とで異なる個体を継ぎ接ぎし、器体下半を構成する破片の表面に粘土を塗り込めて、器体上半の文様と一連となるように新たに縄目文様を施していると知れる。
修復された遺物を改めて修復する機会は滅多にない。文化財として扱われ、博物館に収蔵された資料を敢えて壊すこともない。そんな考古遺物には巧妙な修復が潜んでいる場合が少なくない。土器や土偶などの土製品は、明治期の学術雑誌にすでに贋作への注意が促されているが、修復の妙技はむしろ博物館関係者の秘術として、記録されないものであった。しかし、考古科学のテクニックは、肉眼ではわからない巧妙な修復すら、明らかにしてくれる。過去の秘術に対抗する新たな魔法の杖を提供してくれる考古科学の重要性がここにある。
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