高槻成紀
(麻布大学教授 野生動物学・保全生態学)
10月の末に新聞の一面を見慣れない蝶のカラー写真が飾った。見慣れなくはあるが、私はそれを見た記憶があった。ブータンシボリアゲハというたいへん珍しい蝶で、発見以来半世紀以上見つかっておらず、絶滅が心配されていたが、それが再発見されたというニュースであった。幾日も経たないうちにNHKテレビでその発見の記録番組が紹介された。私よりも少し年配の人から40歳代と思われる男たち(ひとり女性もいたが)が、ブータンの山中で長い昆虫ネットをうれしげに振り回していた。
番組の中で、私の前の職場である東京大学総合研究博物館の蝶の標本が紹介されたが、私は在職中に昆虫標本の寄贈に関して少し骨を折ったし、調査団の中には知人もいたので、感慨をもちながら眺めた。また私はネパールヒマラヤに何度か行ったので、そのときの実体験も重ねて観た。山の「匂い」や、ゆっくりと山道を登るときの脚の筋肉の感触などが蘇った。ブータンシボリアゲハをついに見つけたときの興奮と、しかしあまりに緊張して取り逃がしてしまったリーダー格の人にほほえましさを感じた。実は私もモンゴルでたいへん珍しい蝶をみつけたとき、久しぶりに使った昆虫ネットの長さの感覚を忘れていて取り逃がしたことがあるので、そのときの気持ちがよくわかる。
番組の作りはブータンシボリアゲハが貴重であること、なぜこのブータンの奥深い谷に残っていたかの興味を引くように意図されていた。また自然保護を重視するブータンが、日本の蝶研究者の質の高さを評価して調査を許可したことも強調していた。標高の高いところなのにアオタテハモドキという暑いところにいる種がいて、もちろん高いところの蝶もいることから、多様な生き物がぶつかる場所で特殊な進化が起きたのかもしれないというコメントもあった。
番組は蝶の保護、自然の保護に着地したいようだった。そのためにブータンの人の森林を大切にするシーンが紹介された。そしてブータン人の「森は大切にし、伐採は最小限にする」という台詞を紹介し、日本の調査者の「ブータンの人がブータンシボリアゲハを守ったといえるかもしれないね」ということばも紹介していた。
映像はおもしろいもので、カメラは蝶を映したつもりでも、まわりの景色も目に入る。それは緑の濃い、どちらかといえば亜熱帯的な林のゾーンの上部と見えた。それよりは高いゾーンにかかっているかもしれないが、ブータンシボリアゲハが捕れたのは、道沿いで、森林的な場所ではなく、薮というべきところ、つまり二次遷移の初期段階にあるものだった。しかもブータンシボリアゲハの食草はウマノスズクサだった。この植物はつる植物で、林縁に多い。決して暗い森林の中に出るものではない。
ブータンの人が森林を大切にしているのは、もちろん戦後の日本が原生林を皆伐したような破壊的なものでないという意味ではその通りだが、しかし森林を伐採しているということそのものは動かすことのできない事実である。長いローテーションによる間伐といってよいだろう。そのことが森林に明るいスポットを作り、そういうところがウマノスズクサにとって都合がよく、ブータンシボリアゲハが残ったと見るべきであろう。もちろん、伐採の頻度が強すぎたり、規模が大きすぎればネパールで起きたように土砂流失や土砂崩れなどが起きたりして、森林的な環境にすむ動植物は打撃を受けるに違いない。しかし映像でみる限り、その谷は非常に湿度が高く、植物のバイオマスは非常に豊富で、遷移は速く進むに違いない。むしろ「保護」すればウマノスズクサなどの陽性植物は減少してしまうはずだ。
そういう意味ではかなり微妙なところである。貴重な蝶が発見され、それがブータンの人のやさしい態度によるもので、それを蝶のことをよく知る日本人が発見し、今後の保護をブータン人に託したという筋書きは、ほぼよいと思うのだが、私だったら、もうひとつ掘り下げて、「完全保護」もまたブータンシボリアゲハの生息にはよくないこと、その「程よさ」がブータンで実行されてきて、それはかつての日本の山村で広くおこなわれてきたことであったというような作りにしたと思う。
いずれにしても、おそらく蝶の昆虫者ではなく、別の職業に就きながらアマチュアとして蝶の研究をしてきた年配の男たちが、その晩年に、あこがれのブータンで長い間発見されていなかった蝶を発見し、大喜びしていたのを見るのはよいものだった。
「ああ、少年時代の夢を追って来てよかった。」
そう思っているに違いない表情をしていた。