松岡象一郎
(本館研究事業協力者/スペシャルメイクアップアーティスト)
大きな頭蓋骨との出会い
2011年の春、私は東京大学総合研究博物館の遠藤秀紀教授と共に国立科学博物館の川田伸一郎博士の元を訪れていた。理由は川田博士が管理する日本最大のアフリカゾウの頭蓋骨を貸して頂き、その頭蓋骨を型取り複製するのが目的だ。このアフリカゾウは1968年にアフリカで生まれ3歳くらいの時にタンザニアの飼育場から日本の多摩動物公園へやってきたそうだ。動物園に到着した時の体重は540キログラムだったが、動物園で順調に成長したこのゾウは日本の動物園で飼育されていたアフリカゾウの中でも最も体が大きくなり、生前の最大推定体重は約7トンだったそうだ。このゾウは残念ながら2006年に亡くなったのだが、このゾウの全身骨格は貴重な標本として現在国立科学博物館が保管、管理を行っている。
私とこのゾウとの出会いは国立科学博物館が年に一回、新宿にある分館を一般市民に開放していたある年の4月末に遡る。普段は絶対に見る事の出来ない貴重な動物の標本がこの日だけは見放題、しかも研究員さんによる丁寧な解説付きだ。私は当時購入仕立ての一眼レフカメラを小脇に抱え、新宿分館の各フロアを堪能した。その中でも特に私を釘付けにしたのが大量の骨を展示していた部屋だ。元々好きで骨を収集している私には部屋中に飾られた骨達が圧倒的な造形美の集合体に見え、心の底から自分が熱くなるのを感じていた。
それから
川田博士へ作品制作の趣旨を伝え無事に許可を頂く事になった私は、ワゴン車と多くの人手を伴い再び新宿分館を訪れた。改めてまじかに見るゾウの頭蓋骨は大きく、そしてとても重かった。厳重に養生し、この大きな頭蓋骨は私のアトリエに運ばれる事となった。
私のアトリエに無事に運び込まれた頭蓋骨はその養生を解かれ、作業台の上にそっと置かれた(写真1)。
私の目線の高さに鎮座したこの骨は圧倒的な存在感で、そこに居合わせた多くの人を唸らせる迫力に満ちていた。静かに、そしてじっとしたまま沈黙している頭蓋骨は遠巻きに見ると静物の骨なのだが、近寄ってそのディテールを見てみるとなんとも繊細な部分や、荒々しいまるで瞬間的に切り取った滝のような部分が見て取れる。一生を終えたこのアフリカゾウは学術研究のため遺体科学の学者、先生により第2の生涯を与えられた事になるのだが、遺体を標本にして情報を記録、管理するまでの苦労を想像すると改めて関係者への感謝で胸がいっぱいになる。そして私がこれからやろうとしていること、それはこのアフリカゾウの頭蓋骨を複製し、第3の生涯を新たに産み出し、この複製した骨に何かを語らせてあげたい。もちろん実際に骨がしゃべる訳ではないのだが、見る人の心にそっと染み込む何かを作り出せればと思う。そう、第3の生涯は皆の心の中に息づくことを願って。
そんな思いを胸に秘めながら型取りの行程に思考を巡らせて見ていると、実はこの頭蓋骨の型取りは相当大変なものになるであろう事が脳裏をよぎり始めた。骨の型取りは何度も行ってきているが、毎回とても苦労する。何が苦労するかというとその骨の複雑な形状である。骨はとても入り組んだ形をしており、簡単に は型取らせてくれないのである。しかしその複雑な形状は必然であり、そして大切な脳や各種器官を守るためとても硬く出来ている。いや、正確には硬い部分が大半を占めているが部分的に極薄の部分もあった。まるで紙のように薄くもろそうな部分が存在している事には驚いた。何とも繊細である。
re-birth
私の作品はシリコンで出来ている。このシリコンの成形物を作るには固いプラスティックの型が必要となるのだが、固い頭蓋骨に対して固い型で覆って型取りを行うと、型を外す時に頭蓋骨かプラスティックのどちらかが大破してしまう恐れがある。大切な標本が大破してしまったら私の心も大破してしまうと思われるので、まずは柔軟性のあるシリコンで頭蓋骨を型取りし、等身大の複製を作ることから始めなくてはならない(写真2)。複製した頭蓋骨を固いプラステックで型取りすれば以降の作業もスムーズに行えるのだ。固い型が完成すると型の内側に厚み約8mmほどの彫塑粘土板を敷き詰め、更にプラスティックを塗り込む。硬化後に粘土を取り除くとそこには固い型の8mm縮小されたコアが出来上がる。この作業は全て特殊メイクアップアーティスト達がアニマトロニクスやダミーを作る時の方法論と全く同じである。さて敷き詰めた粘土をかき集め重さを量ってみるとかなり重い。この粘土の敷き詰めてあった空間に後々シリコンを流し込むので、このタイミングで粘土の重さを量っておく事はことのほか重要である。ここで量った目方に0.7を掛けた数字がシリコンのキロ数となるためだ。完成後の総重量を計算すると持ち上げるのはかなり大変な事になると判断し、この段階でコアに基礎工事を行う事にした。工事現場等でよく見かける足場用の鉄のパイプをコアの内側で組み上げ、コア全体をパイプで支えるようにした(写真3)。そしていよいよコアに光ファイバーを纏わせる作業である。
私はこの10年、光ファイバーという素材に魅了されている。特に好んで使い続けているのが(株)アロマックラボにより作られているマックビームという商材だ。この光ファイバーは京都の西陣織で編み込まれた光ファイバーで、その光り方はまるで宇宙の瞬きや星雲を想起させられる。このマックビームをコアへ張り込んでいくのだが、アトリエを暗くし、マックビームを光らせながらの張り込み作業はデザイン的にとても重要である。 ここでの張り込み作業が最終的な作品の完成度に大きく影響するからだ。この作業はいつも日没とともに開始され、徹夜になる事が多い。しかし光の洪水の中に身を沈めていると心は穏やかで、自己の精神は安定する。
みなさんは「1/f ゆらぎ」という言葉を聞いた事があるだろうか。「1/ f (エフぶんのいち)ゆらぎ」とはパワー(スペクトル密度)が周波数fに反比例するゆらぎの事を指す。この法則は人間の生体にリラクゼーション効果をもたらすとして注目を集めている。具体的には人の心拍の鼓動間隔、ろうそくの炎の揺れ方、電車に乗っている時に感じる揺れ、海中から見る太陽の光の揺れ、小川のせせらぎ音、木漏れ日などに「1/ f ゆらぎ」の効果があるとされている(科学的効果はまだ実証されていない)。実は光ファイバーも「1/f ゆらぎ」効果が有るとされている。光ファイバーは光源器に差し込む事により光を伝達するが、あえて言うとするならば光源器は太陽。私たちに降り注ぐ太陽の光は光源器から光ファイバーを通して漏れてくる太陽の光という訳だ。私の作品に置き換えると濃淡のついたシリコン越しに見える光はさしずめ木々の木漏れ日と言った所だろうか。
コアに光ファイバーを張り終えたらそのコアを型に再び戻し、いよいよシリコンを流し込む作業である。シリコンという素材は様々な用途に使用され種類も豊富だ。私は使い慣れているという事からワッカーシリコンのM8520をよく使っている。このシリコンの持つ半透明(薄い乳白色)の加減が光ファイバーの光の透け具合にとても合うのだ。シリコンの固さもちょうど良い。シリコンは元々は液体で硬化剤を混ぜる事により形になる。シリコンに硬化剤を混ぜた時には多くの泡が混入するため、脱泡した後にゆっくりと型へ流し込むことになる。硬化には24時間掛かるため1日そわそわと待たねばならない。
何とも歯がゆい時間が過ぎてゆく。
翌日、完全硬化のきたシリコンを型から外す。成功しているのか否か、緊張の一瞬である。無事に型から外されたシリコンは艶のある白い物体として産み出されるのだが、型と型の合わせ部分に薄いシリコン幕が付着しており、それはまるで子宮から産み落とされたばかりの赤ん坊を想起させるものである。体を奇麗に拭き取り幕は取り去られ(写真4)、作業はいよいよ着色へと向かう。普段から私は着色にアイシャドーを愛用しているのだが今回は物理的にアイシャドーの筆塗りは不可能と判断、エアブラシでの着色を試みる。白い物体から凹凸が着色により現れ始め、物体はアトリエに運び込まれた時のアフリカゾウの頭蓋骨へと復活し始める。まさにre-birth(再誕生)なのである。
これから
トラックに積まれたアフリカゾウの頭蓋骨の作品は東京大学へ運び込まれ、展示台に鎮座した。牙を付け光源器をセットされた作品は電源を入れるとヴーンという音と共に静かに自ら発光を始めた。ゆっくりと、そして時に瞬くかのごとく光を発するゾウの頭蓋骨はここで皆さんと共に暫し時間を共有する事になる。第3の生涯を身に纏ったこの作品は混沌とした先の見えない将来に対し明快な答えを探せないでいる我々に、まるで過去から語りかけてくる死者(使者)のようでもある。思えばこの作品の完成までは本当に大変な道のりであった。だが無事に作品は完成し、ステージの幕は上がった。あとは多くの人の目に触れ、作品を見た人たちの心の中に、そして網膜の裏に何かが残る事を願う。
最後になりましたが、この作品を制作するにあたり最大限のサポートを賜りました東京大学総合研究博物館の遠藤秀紀教授、そして国立科学博物館の川田伸一郎博士に感謝の意を表します。