東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime17Number2



特別展『東大古生物学』
化石の付加価値

椎野勇太

 「化石」という言葉を出すと必ず「発掘ですか」という言葉が返ってくる。確かに、メディアで取り上げられる化石の話題といえば、「新発見の〜」や「最古の〜」が付き物である。化石を扱う古生物学者に対して多くの人が持っているイメージは、いにしえの埋蔵金をひたすら探し続けているトレジャーハンターのような姿なのだろう。
 化石は山に埋まっているので、研究をするためにはまず掘りに行くことから始める。地学の一分野ともされた古生物学は、その土地が形成された年代を知るために、土地の性質を知るために、化石を指標として扱うことが多かった。ときには未報告の化石を発見し、大々的に新種発見などと新聞記事に取り上げられた。そういった経緯からすれば、化石研究者をトレジャーハンターと認識することは、あながち間違いではなかった。しかし、時代とともに調査例が増えてくると、必然的に未開な地は減ってゆく。地質の全体像が見え始めてくると、ハンターたちは次第に発見すること以外に研究の付加価値を求めるようになった。化石を扱う近年の研究を見渡すと、そのような流れがはっきりと見えてくる。
 化石を含む地層の多くは、生物の痕跡である化石と、環境の情報を保存した堆積物が、時代ごとに積み重なって形成されている。生物の痕跡として捉えるなら、化石は古生態を復元する材料になるし、その時間変化を追いかけていけば進化の研究へと発展するだろう。また、限られた地域から化石を網羅的に集めてくれば、その地域における生物相や生態系を知ることができる。さらに、地層から読み解いた環境データを化石と照らし合わせれば、環境変動に対する化石生物の変遷を理解することができる。このような生物と環境の関係とその時間変化を自在に行き来する視点が、近年の化石研究を強く特徴付けている。化石という物質的な神秘性を超えた部分に、各研究者の哲学を反映するかのような付加価値が見出され始めている。
 このような研究スタイルの変化は良いことばかりではない。各研究者が化石を始点に自分の道を歩き出した結果、研究内容や明らかにしたいことに大きなギャップが生まれ、他の研究者と手を取り合うことが難しくなってしまったのだ。また、化石に関る展示を行う場合は、よりいっそう大きな問題となる。各学者の見つけた付加価値を無理やり展示に詰め込もうとすると、統一感のない情報過多の見世物になってしまうからだ。これを回避するためには、事の発端となった“化石”へ今一度立ち戻り、研究内容の進展具合に関らず、とりあえず化石を展示しておけば収まりが良い。いつまでたっても“化石”は、かつての古生物学者像を思い起こすだけの題材であった。
 多くの古生物学者が試みた研究と展示の有機的な融合は、成功した例がないと言っても過言ではない。それどころか、両者の間に横たわる溝は埋まることなく深まり続けており、難しい課題として残されたままである。近年では、比較的近い研究内容を組み合わせて、少しずつ研究者の知識が展示に反映されつつある。しかし、特定の化石標本ありきで展示が企画されてしまうことが多く、最新の知識を発信するには大きな弊害となっている。これに対して、化石の企画展「東大古生物学−130年の軌跡」は、化石に見出された研究成果を研究者の足跡とともに示し、それに付随するかたちで化石標本を展示している。つまり、化石そのものを見せることが第一義ではないのだ。本学で古生物学に携わる者たちが残した130年に渡る長い研究史を垣間見てもらうと共に、化石に内包された他階層に渡る付加価値を感じ取っていただきたい、という立案者の思いが込められているのだろう。かつての展示コンセプトであった物質的な化石観だけでなく、化石に見出され始めている現代的な付加価値までを統合的にまとめ上げた展示は、かつてない先進的な試みではないだろうか。
 付加価値の展示について、もう少し噛み砕いて説明してみようかと思う。例えば一見シンプルなデザインをした棒状の鉄が飾られていたとする。その鉄棒は、緩やかに弧を描くような形をしている。もしそれが鉄棒以上の何物でもなければ、鉄棒の標本を前にして何も思うことはなく、心を奪われることもないだろう。しかし、それが日本刀の刀身であると知りながら標本に直面すれば、多くの人はある種の美、いわゆる機能美を感じることができるかもしれない。こういった機能美を感じさせるデザインは、世の至る所に蔓延している(図1)。これと同様に、みすぼらしくありふれたように感じる化石標本に学術的な重要性を一度でも見出せたとする。すると、その標本自体に絶対的な美がないにしろ、まるで機能美のような何かが見えてくるのではないだろうか(図2)。研究者たちが独自の視点で見出してきた化石の付加価値は、機能美ならぬ“科学美”とでも言い表せるのかもしれない。
 科学美の視点で化石を捉えれば、標本は必ずしも大きく古く派手で希少なものでなくて良い。むしろ、どこにでもあるような標本の方が科学美は見出しやすいかもしれない。希少価値の高い一点ものは、標本をあるがまま以上に扱うことが難しい。一方、数が多く入手しやすい標本であれば、切断したり溶かしたり削ってみたりと、いくら自分の標本を壊しても文句は言われない。しかも、普遍的な標本であれば、一般通則に従う新たな概念が内包されていることもあるだろう。ありふれていて軽視しがちな標本に、世界をひっくり返すような科学美が隠されている可能性も高い。
 化石が生物の痕跡であることは誰もが知っている。しかし、そこに秘められた科学は恐ろしいほどわかっていない。化石は生物の痕跡でありながら、多くの場合は筋肉などの軟体部分が保存されず、硬組織である骨や殻といった形の情報しかない。そのため、現存する生物のように化石を扱うことは難しく、乗り越えるべきハードルは山ほどある。企画展「東大古生物学−130年の軌跡」は、ごく一部の科学美を示したに過ぎない。化石研究の扉は開かれたばかりである。

(本館特任助教/進化形態学、バイオメカニクス)







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図1 岩石用ハンマーのデザイン.左は頭と柄が鉄製で一体型
になっているが、右は木の柄である.一体型の方が近代的
ですっきりしたデザインであるが、機能の点では絶妙な重心
位置を持つ頭部に加え、衝撃を吸収する木の柄を持った
右側のハンマーが優れている。これは刀鍛冶によって
砂鉄から鍛えあげられたハンマーである。.


図2 三葉虫Hypodicranotus striatulus.シンプルな形態であるが、三葉虫の中でもきわめて遊泳性能が優れた革新的
な形態種である.筆者には遊泳に関る機能美を内包する
洗練された形に見える。.