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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime17Number4



ニュース・海外モバイル展示
コインとレリーフ−よみがえるコトシュ

大貫良夫(本学教養学部名誉教授・本館終身学芸員/アンデス考古学・文化人類学)

 アンデス山中の遺跡2か所がペルー政府の発行する硬貨の顔になった。まず昨年12月にクントゥル・ワシ、そして今年5月のコトシュである(図)。ペルー中央準備銀行は数年前から「ペルーの誇る文化遺産26選」として26枚の硬貨を発行する事業を行ってきた。これまでに発行された13枚の中にこの2遺跡が選ばれている。そしてそれらは東京大学のアンデス調査団が回を重ねて発掘して大きな学術的成果をあげてきたところだけに、感慨は一入である。
 
26の遺産には世界遺産であるマチュピチュやナスカの地上絵そしてチャビン・デ・ワンタルも入っている。アンデス文明の起源とされたチャビン・デ・ワンタル、まさにこの起源を求めて東京大学調査団の泉靖一先生は1958年にコトシュ遺跡を選定し60、63、66年の集中発掘を指揮したのであった。その結果チャビンに先立って3時期の洗練された文化があることを実証し、アンデス文明の起源を一挙に千五百年も古くしてしまったのである。そしてコトシュ遺跡最下層に、紀元前三千年紀の立派な石造神殿が幾度も建て替えられて規模を大きくしてゆく過程を発見した。交差した手の神殿と泉先生が名付けた建物には、石壁に粘土製のレリーフが取り付けられていた。それは左右の腕を交差させた表現で2組あり、神殿を入って正面奥壁の左右にあった。向かって右が太めで、左側のものはやや華奢であった。右左とか男女とか、二元性の意味を持たせていたのであろう。
 「はじめに神殿ありき」。集約農業、土器、金属などよりもずっと前に神殿を建設することから文明への胎動が開始したという泉先生の提言はアンデス先史学に大きな衝撃を与えただけでなく、ペルー全土の学校で使う歴史教科書やアンデス文明の概説書が書き改められる結果をもたらした。
 その後のこと、雅趣豊かな2つの手のレリーフは数奇な運命をたどる。1960年の発見になる最初の太めの手は心なき見物者たちの手で粉々に砕け散った。63年の第2の手は我々調査団が切り取って保存しようとした。それが近くの町ワヌコ市の住民の逆鱗に触れ我々は町から出られなくなった。幸いまだリマにいた泉先生が文部教育省文化財保存委員長の命令書を持ってワヌコに戻ってきてくれたが、平和裏に進んだ話し合いの結果、調査団の出発は許すが手は町に残すということになった。66年、3度目のコトシュ発掘のとき、松沢亜生団員が見事にレリーフを修復した。ワヌコ市民は鳴り物入りでそれを高等学校付属の博物館に運んだ。その数年後、手はいつのまにか首都リマにある国立博物館で陳列されていた。国宝とも言える貴重なレリーフ、ワヌコには置けないと当時の館長の判断で命がけでリマに持ってきたとのことであった。
 しかしレリーフは2組揃って本来の意味を持つ。幸い、石膏で型は取ってありそれは総合研究博物館で保管してある。このほど同博物館で企画したモバイル・ミュージアムの一環として2つのレリーフが製作された。昨年9月まずは北ペルーのクントゥル・ワシ博物館で公開された(ウロボロスVolume 17 / Number 4参照)。そして今年は10月初め、コトシュ遺跡に近いワヌコ市の国立ワヌコ大学付属博物館に移される。コインといいレリーフといい、コトシュを歴史遺産として最大の誇りとするワヌコ市にとって大いに喜ばしい年になりそうである。







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左がクントゥル・ワシ、右がコトシュの記念コイン.
額面1ヌエボ・ソル. 直径25.5mm、重量3.21g.
発行数はいずれも10,000,000枚.


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