尾本惠市(本学理学部名誉教授・国際日本文化研究センター名誉教授/分子人類学・昆虫系統分類学)
本年6月、永年のチョウ蒐集の成果である「尾本惠市蝶類コレクション」を東大総合研究博物館に寄贈した。内容は、ユーラシアとアメリカ北部、アジアおよびオセアニアのチョウの研究用のコレクションで、標本総数は約27,000、新種・新亜種の記載に用いられたホロタイプ標本9点を含んでいる。蒐集の重点は、アゲハチョウ科のウスバアゲハ亜科、シロチョウ科のアポリアとコリアスなど、タテハチョウ科のコムラサキ亜科、ユーラシアのジャノメチョウ科などである。未完成の意味を含めて研究用コレクションと呼んでいるが、形態学や分子系統学などさまざまな研究の試料として活用されれば幸いである。
想えば、チョウの採集を始めたのは小学校に入学したとき(1940年)であった。ちょうど日本が太平洋戦争に突入した頃である。戦争による混乱のため、当時の標本が残されていないことは残念でならない。というのも、その頃は東京の五反田(品川区)に住んでいたが、なんと、キベリタテハが家の中に飛び込んできたことがあった。公表して記録を残しておくべきであったが、それを怠っているうちに戦争が進行し、東京を離れて疎開していた間に標本は失われてしまった。今になって思えば、慙愧にたえない。
それからざっと70年、時折多忙のため採集に行けないときもあったが、国内外の蒐集家との交流などによって標本を入手していた。1950年代に知り合っていた外国人の中には、後で触れることになる英国のコリン・ワイアットやドイツのアドルフ・シュルテらがいた。彼らを通じて、私は次第に外国のチョウ、それもユーラシアやアメリカ北部の寒冷地(旧北区)に住むパルナシウスやコリアスに特別の興味を抱くようになった。パルナシウスはアポロチョウで代表されるウスバアゲハ属(約60種)で、北海道の大雪山にいる天然記念物のウスバキチョウも含まれ、珍品ぞろいのため愛好家が多い。
実は、コリアス(モンキチョウ属)には、ある偶然の出会いから特別の思い入れがあった。忘れもしない1952年7月20日、私は北海道への初めての採集旅行の際、千歳市でたまたまモンキチョウを採っていた。何匹目かに採ったオスを見て、驚いた。羽の模様が普通のモンキチョウとは違い、北米のフィロディケという種にそっくりである。ひょっとしたら新種かもしれないと思い、その場で多数のモンキチョウを採ったが、同様のものは得られなかったこの個体は異常型(おそらく突然変異)としてチトセモンキチョウと命名された。
翌日、さらに驚くべきことが私を待っていた。前日の興奮がまだ冷めやらないその日の朝、私は大雪山のふもとの安足間(あんたろま)という駅で汽車を降り、登山道を登り始めた。ここにも、モンキチョウはたくさん飛んでいたが、ふと、その中の一頭に目がとまり、少し追いかけて採った。ネットの外から胸を押したとき「あれっ」と思い、指が震えてネットから取り出すのが大変だった。なんと、左羽がオス(黄色)、右羽がメス(白色)の斑紋をもつ雌雄(同体)型ではないか。きわめて珍しいもので、コレクターなら誰でも採りたい幻のチョウである。この日の夜、愛山渓温泉の宿で九州大学の白水隆(しろうず・たかし)先生(故人)にお目にかかったが、2頭のモンキチョウを見て唖然とされていた。
異常型も雌雄型も非常にまれなもので、1万頭に1頭くらいの確率ではないかとも考えられる。それを2日連続に採集するとは、なんという幸運か。私は、何か天命のようなものを感じて、いずれは世界中のコリアスを集めて研究したいと思った。このグループのチョウは、日本にはわずか2種しかいない。シロチョウ科の中でもとくに寒地性のチョウで、主にユーラシアおよびアメリカ大陸の北部や高山地帯に分布する。羽の色は黄、緑、赤、白などいろいろで、個体変異も地域変異も非常に多様で分類が容易でない場合が多く、世界に何種類いるのかいまだに誰にもわからない。19世紀末から20世紀の初めにかけて、多くの美しいコリアスの種が中央アジアや中国およびチベットなどで発見されたが、1950年代の当時、政治的理由によってこれらの地域で採集することは不可能であった。そのため、愛好家はみなザイツやヴェリティなど古い研究者の蝶類図鑑を見つめながら、遠く中央アジアやヒマラヤの奥地にチョウを求めて旅することを夢見たものである。
1961年から、私は本業の人類学の研究のためにミュンヘン(当時西ドイツ)に滞在した。チョウのほうも、週末や休暇に南バイエルンやチロル、それにスイス・アルプスで念願のパルナシウスやコリアスを採集し、またミュンヘンやボンなどの自然史博物館を訪ねて研究者との交流を深めた。そんなあるとき、大英博物館を見学するためにロンドンに滞在したことがあり、それまで文通のみで知り合っていたコリン・ワイアットに会う機会があった。すでに初老に見えた彼は、ヨーロッパ各地のほか、北アフリカやイラン、インド、アラスカ、カナダなどへの単独旅行でパルナシウスやコリアスを含む多数のチョウを採集し、また熱心に新種や新亜種の記載を行っていた。
耳寄りな情報として、彼は「今、行くならアフガニスタンだ」という。1960年頃からこの国は、中央アジアの中では外国人の旅行者に比較的寛容になった。ためしに短期間の予備的調査を行ったところ、幻のパルナシウスといわれていたアウトクラトール・ウスバアゲハを見つけたが、時期が遅くて完全品はえられなかった。コリアスや珍しいジャノメチョウ類もたくさんいるようだ。できれば、もう一度行きたいが、よかったら同行しないかというのである。
慎重な検討と打合せの結果、この申し出は実現されることになった。ミュンヘン大学での研究が一段落した1963年6月、私はワイアットと二人でアフガニスタンに入国し、約2か月半にわたりヒンドゥークシ山脈にてチョウの調査と採集を行った。今でこそこの国は内戦状態にあり治安は最悪であるが、当時は非常に平和で交通も自由であり、アフガン人が親日的であることも相まって滞在中に危ない目にあったことは一度もなかった。
首都のカーブルは標高2,700メートルほどの高地にあるが、われわれの目標は北東方向に連なるヒンドゥークシ山脈の標高4,000メートルほどの地域である。そこに行くには、高い峠の難所を越えなければならないが、当時は自動車の走れる道路などはなく、馬が唯一の解決策であった。7月上旬、われわれは地理に詳しいガイドを見つけ、5頭ほどの馬をチャーターしてキャラバンを組み、約1週間かけてバラ・クランという小村に着いた。以後ひと月近く、ここを根拠地にして周辺の山や谷で調査・採集を行ったのである。標高3,600メートル付近のガレ場(図1)で、幻のパルナシウス・アウトクラトールを得ることができ、その美しさには驚嘆するほかなかった。ちなみに、このチョウは19世紀にロシアのパミール高原でわずか1頭がえられたが、1930年代にコッチというドイツ人がアフガニスタンで採集し、1960年にはワイアットも採集したので、私が4番目の採集者ということになる。
さらに、より高山性のコリアスを求めて、われわれは標高4,200メートルまで登った。何種もの赤いコリアスが飛んでいたが、とても早く、なかなか花に止まってくれない。酸素がうすいせいか、少し追っては息がきれて休まねばならない。そのうちに、特に早く飛ぶ一種に気付いたが、何者か正体不明である。観察していると、急峻な谷筋を上の方から電光のように飛んでくるが、ほぼ一定のルートにそっているようだ。さらに、そのルートの途中に大きな岩があり、必ずそのそばを通ることがわかったので、その岩の陰に隠れるようにして待ちかまえて一瞬の機会をとらえてネットを振り、このチョウをとることができた。
その後の研究で、これはマルコポーロという名のコリアスで、従来はパミール高原からのみ得られていた、とくに高山性の強い珍種であることがわかった。ところが、古い図鑑や博物館の標本で知っていたパミール産のものは小型で黄色であるのに、これは、ずっと大型でかば色がかった赤色をしている点などで、全く異なっている。間違いなく、マルコポーロの新しい亜種であると判定され、これを記載することにした。
ドイツに戻ってから、ワイアットと共に今回の二人の採集品を詳しく検査した結果、少なくとも新種2、新亜種25を命名・記載することになった(論文は1966年に発表された)。コリアス・マルコポーロの新亜種には、クシャーナという名前を付けることにした。これは、紀元1−3世紀にアフガニスタンで栄えた仏教王朝(クシャーン)にちなんだものである。翌1964年秋、私はアフガニスタンとヨーロッパで採集したすべてのチョウの標本と共に日本に帰国した。
「尾本コレクション」には、これらの標本がすべて含まれているが、中でも特筆したいのは上記のコリアス・マルコポーロ・クシャーナの記載に用いられたホロタイプおよびパラタイプの標本である(図2)。ホロタイプ(完模式標本)とは、記載の際もっとも重要視された一頭で、文字通り世界に唯一の標本、またパラタイプ(副模式標本)は、そのほかに記載に用いられた標本(一般に複数)である。本来、タイプ標本(とくにホロタイプ)は私物化してはならず、博物館等公共機関で保管されるべきものである。このたび、私が保管していたすべてのホロタイプ標本を東大博物館に収めることができ、安堵している。