伊藤亜人(本学大学院総合文化研究科名誉教授/文化人類学)
1991年の夏、当時客員研究員として東京大学の文化人類学研究室に在籍中であった高明潔さん(当時中国の中央民族大学に在籍、現在は愛知大学教授)の案内により、中国内モンゴル自治区の呼和浩特(フフホト)市および御自身の故郷である錫林郭勒(シリンゴロン)盟の錫林浩特(シリンホト)市、そして当時現地調査を行なっていた牧民地区の阿巴納哈尓(アバナハル)旗の巴音塔拉(パインタラ)を訪れて牧民のゲルに数日間滞在したことがある。フィ―ルド・ワークの現地指導という名目で、牧民の生活に触れるとともに、いくつも珍しい体験をする機会となった。
その際に、高明潔さんから「先生、ゲルを一ついかがですか」と勧められたのがきっかけで、遊び心からついその気になってしまったのである。駒場なら講内にいくらでも草原もあるし、ふだんはどこか倉庫に置かせてもらえるだろうと楽観的に考えた。高明潔さんの紹介により、内蒙古大学出身で北京の中央民族大学時代に高さんの学生だったアロハン氏(その後東京大学の文化人類学研究室にも在籍し、現在は民族映画製作の専門家として活躍)の仲介により、呼和浩特で入手したものである。
住民が住んでいたゲルを貰い受けたものではないが、牧民が住宅に用いるものを入手できた。フフホトの郊外には、当時すでに観光客向けの宿泊用として大型のゲルが用いられていたが、そのような観光用の物ではなく、牧民の住居用に作られたものである。
全体の大きさも、外壁の骨組みをなすハナが六つ分の一般的なもので、素材も羊毛のフエルト、そのカヴァー、全体を縛る紐、骨組み、天窓など内モンゴルの一般的な形式のものである。カヴァーに縫いつけられた装飾用のブルーのビニール部分と、家具や扉そして骨組みの塗料だけが化学合成品である。ハナと屋根の骨組みに用いられた木材も内モンゴルに自生する白松製とのことで、曲がりくねった木材を荒削りにした点でも、素朴な作りである。ハナは移動する際に蛇腹状に折りたためるようになっており、細い木材を結びつける紐にも牛の筋が用いられている。延ばすと円形に広がり、六つがきちんと繋がるように、木材は微妙な曲線に曲げられている。天窓は木材を接合した二つの半円状の部分から成っており、この部分の木材は果たしてどこのものか分からない。その接合には鉄のボルトが用いられている。
フフホトから天津、横浜までの送料を含めて、購入額は20万円であった。横浜港に私が直接出向いて検疫を済ませ、綜合資料館の文化人類学部門がアンデスでの調査用として保有していたランドクルーザーに積み込んで、私が運転して駒場の構内に運んだ。
このゲルを組み立てる際にも、アロハンさんの助けをかりた。アロハンさんは、内蒙古自治区でも東部の牧民出身で、故郷に帰るには北京から一日バスに乗って、バスを降りてから更に草原の中を一晩歩いて帰ったと言う。草原の中でも山が近い所では狼が後ろをついてくることもあったという。留学生でも、都市出身の学生はゲルを立てた経験がまったく無いため、牧民出身のアロハンさんは頼りになった。
講内に異様なものが立っているという噂は早速学部長室にも届いたようで、「何の許可も無くモンゴルのパオを建てた」と言っているとか、一言挨拶が欲しい様子だったらしい。「建物を建てたのではない。民族資料を組み立てたにすぎない」と言ったのがまた先方にも伝わったようだ。次には、アメリカ研究資料センターからも、入口から見通せる所にゲルが登場するや、何か目障りに映ったらしいコメントが伝わってきた。中国の内蒙古でも国の政策により遊牧民の定住化が進められていたように、現代世界ではどの国でも採集狩猟や遊牧のマイノリティーが疎まれているのを、大学の講内で実感することになった。
にも拘わらず、民族資料の存在感は絶大なものがある。ゲルの中で学生たちとモンゴル料理チャンサンマハを囲んで、内蒙古チャハル製の「草原白酒」なる強烈な酒を回し飲みした。そのたびに私は、羊肉を一頭分買い出しに行った。
ある晩には誰が招いたのか、モンゴル衣装の馬頭琴奏者と歌手がやって来て、誰もがモンゴル民謡の魅力に圧倒された。留学生のリードで内モンゴルの歌を皆で一緒に歌ったこともある。学部長室からも聞きつけてやってきたが、すでに鍋には羊の肉は底をついていた。それでもスープを飲みながら「美味いものですね」と感心していたのを思い起こす。駒場祭の時に、ゲルの噂を聞いて友人に誘われて来た他大学の学生は、それがきっかけとなり、文化人類学の大学院に進学することになった。
内モンゴルとのふとした縁から日本に渡ってきたゲルであるが、遊び心とは尊いもので、このゲルはその後も駒場祭ばかりでなく、留学生たちの催しや、時にはどこかのモンゴル友好イベントにも貸し出され、民族資料としてその存在感を発揮してきた。一般牧民用の素朴なゲルがこうして博物館に収蔵されることも案外少ないことかもしれない。博物館に収蔵された後も、できれば時折は草原に上で組み立て、その独特の文化空間を味わう遊び心が欲しい。
なお、このゲルの世話は、駒場の職員であり、モンゴル文化に特別な愛情を注ぎ、自らも馬頭琴も演奏する宮原洋子さんの労に負ってきた。ここにあらためて感謝を述べたい