東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
HOME ENGLISH SITE MAP
東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime19Number1



IMT特別展示
偶像制作の方法 特別展示『マリリンとアインシュタイン 神話的イコンに捧げる讃歌』について

大澤 啓(本館インターメディアテク寄付研究部門 特任研究員/美学・美術史学)

 「マリリンとアインシュタイン」。2014年6月7日からインターメディアテクにて開催される特別展示は、その題名を見る限り、突飛な巡り会いに思われるだろう。
 
 その印象は、インターメディアテクではこれまでこの様な展示に取り組んだことがないという事実に由来するかもしれない。当館は学術標本をもとに、その物質的特徴、科学的意義、造形的属性、歴史的価値を纏めて新しいコンセプトを提唱し、展示を構成してきた。そこで公開されるのは研究資料、すなわちある事実の解明に向けて標石になった証拠である。それに対して「マリリンとアインシュタイン」展は、強いて言うなら、20世紀における伝説や神話、すなわち人間のもっとも不確かな妄想や信仰の痕跡を辿り、その膨大な文化的産物を分析する試みである。
 人間は、とらえどころのない絶対的な存在に対し、それを記号化し、所有しようとする。古代の神像を見てみよう。絶対的な存在を表象できないと見なす偶像破壊主義を除き、人間は神々をイメージ(すなわち「イコン」)もしくは記号(例えば言葉)で表現し、それらを超越的な存在の代用品として生活のなかで用いてきた。その中でも神聖なアウラで包まれているのが、キリスト教における聖骸布や聖遺物をはじめ、神なる存在が実際に触れたとされるモノである。言い換えれば、神の印になるモノの中でも、「表象」より「接触」に基づく方が価値において勝る。
 有名人を続々と生み出し、彼らを介して現代社会の神話と価値を構成する「スター・システム」においても、この構造は決して変わっていない。複製技術の発展、放送網の普及、そしてデジタル・コンテンツの一般化に伴い、20世紀以降はイメージが氾濫している。その大半を占めているのが「出来事」と「有名人」である。後者は、大衆の関心を集める人気の「スター」をはじめ、雲の上のような存在であるからこそ、大衆はイメージを介して彼らをつかみ取ろうとする。しかし、スターを表すイコンは、その数が増えることによって本人とはほぼ無縁な虚像になってしまう。そのなかで、ある有名人の複製可能なイメージを特徴付けるのは、本人が実際にそれに触れることによって、印を刻むことである。価値は希少性に基づく。大量消費社会を支えるイコンの特徴は、世界的な普及と希少価値を両立させることにある。近づけないほど珍しい存在を無限に複製可能なイメージを介して世界中に届ける一方、その一部のイメージにスター本人との物理的な関係をもたせることによって、珍しい高価なイメージを生み出すのである。
 銀幕のイコンであり、20世紀のグラマラスな女性美の象徴であったのにも関わらず、マリリン・モンロー(1926−1962)は私生活において宝石にさほど関心がなかったという。彼女が所有していた大半の宝石はイミテーションで、映画の衣装と同じく、虚像のマリリンを装う「模造品」でしかなかった。1954年、新婚旅行で日本を訪れた際、ジョー・ディマジオが宝石店ミキモトで購入し、マリリンに贈った39連の養殖アコヤ真珠ネックレス(図1)は、彼女が所有していた数少ない豪華な装飾品である。株式会社ミキモトのご協力を得て本展示で特別公開するこのネックレスは、虚像のマリリンを超えて、マリリンと親密な関係をもった「本物」である。スターが亡くなれば、残るのはその虚像とその実生活を示すモノしかない。
 また、取り替えのきく複製品を一点ものにするには「サイン」という手法がある。先史時代の洞窟壁画に見える手の跡と同様に、署名は直筆であるがゆえに、個人のアイデンティティの証しになる。署名は更に、それに名前という個人を特定する記号を加える。マリリン・モンローの男性分身と言ってもよい、ロック・スターのエルヴィス・プレスリー(1935−1977)は、数多いファンにサイン入りポストカードを送っている。これはまさに、虚像を偶像に化けさせ、大量生産品を希少な宝に変える、消費社会ならではの価値の付与方法である。ここで展示するポストカードは、1960年に、エルヴィスが在住していたメンフィスから冷戦の中心舞台となっていたドイツに送られたもので、当時のアメリカ大衆文化のプロパガンダ的活用を見事に物語っている。
 戦後の大量消費社会における圧倒的なイメージの増殖を受け止め、それを芸術に置き換えたのはポップアートである。大衆文化の浅薄な賞賛から皮肉めいたパロディーまで、イコンに対してポップアーティストの態度は様々だった。しかし、共通しているのは「イコン」を作品の題材に使ったことである。アンディ・ウォーホルが1960年代初頭より手掛けた「ポートレート」シリーズには、マリリンやエルヴィスをはじめ芸能人、毛沢東やニクソンに代表される当時の権力者、そしてアインシュタインを含む「天才」などが見られる。古代から神々や権力者の姿を留めていた肖像画は、有名人の顔をもっぱら美化するウォーホルによって、西欧美術におけるジャンルのヒエラルキーの頂点に立ったと言えるかもしれない。
 20世紀の全体主義国家が生み出した政府プロパガンダに見ることができるように、ある人物を神化するのには、真っ正面、もしくはローアングルの視角がもっとも効果的である。ウォーホルを始め、スーパースターを描くアーティストは自ずからその様式を採った。しかし彼らが描いたのは人物だけではない。大量消費社会において同じく伝説化された「商品」も、いずれ芸術作品の題材になっている。フランスの記号学者ロラン・バルトが「神話作用」と名付けたこのプロセスによって、モノも人も「虚像」として同じ次元で消費されるようになる。この社会の仕組みを冷笑的に捉えた傑作が、『バス』と題する、1967年にメーソン・ウィリアムスによって制作された長さ10メートル超のプリント作品である。アメリカの象徴的な交通手段、「グレイハウンド・バス」のイメージを原寸大で印刷したウィットに富む大胆な作品からは、ありふれた「モノ」を非常識なかたちで現すという手法によって、見る者は「イコン」と「イメージ」の関係に一種の違和感を感じさせられる。
 ウォーホルが「天才」シリーズの中にその姿を留めたように、20世紀において科学の代表者としてもっとも人気を集めたアルベルト・アインシュタイン(1879−1955)は、知性の象徴として神化されてきた。東京大学コレクションにも、神話的な存在を確立した学者に由来するモノが多く残されているが、その中でも、同学理学部旧一号館の「伝アインシュタイン・エレベーター」(図2)は興味深い伝説を纏ったもののひとつである。このエレベーターは、アインシュタインが1922年に東京大学を訪れて以来、一般相対性理論提唱者の来日の記憶と結びつけられてきたが、アインシュタインが実際にこのエレベーターを使ったことを立証する証拠は残っていない。事実の検証に専念する機関においても、輝かしい人物に纏わる不確かな物語が受け継がれ、集団の記憶を形成し続けている。フロイトが主張したように、合理主義の背景には必ず絶対的な存在を設ける「宗教性」が潜み、その対象が何であれ、人間の行動を方向づけている。  マリリンが所有していたネックレス。アインシュタインが乗ったとされるエレベーター。それらの価値は、使用に基づくモノとしての物理的な属性によるのではなく、そこに込められている社会の信仰と伝説によるものである。言い換えれば、貨幣と同様に、これらのモノは社会のすべての信用と慣習と期待を内包しているからこそ伝説化されてきた。モノにおいて使用価値と交換価値が区別されるが、イコンは「信用価値」をもって成り立つと言えよう。









ウロボロスVolume19 Number1のトップページへ


図1 マリリン・モンロー旧蔵真珠ネックレス .1954年購入/
ミキモト制作(日本)/養殖アコヤ真珠39粒、白色金、ダイヤ
モンド、革ケース入り/ミキモトアメリカ所蔵.


図2 伝アインシュタイン・エレベーター.1926年3月以前/エレベーター・カンパニー日本支社制作(日本)/東京大学理学部旧1号館旧蔵、東京大学総合研究博物館所蔵.