宮本英昭(本館准教授/固体惑星科学)
洪 恒夫(本館特任教授/空間デザイン)
James M.Dohm(本館特任准教授/惑星地質学)
新原隆史本館特任助教/惑星物質科学)
洪 鵬(本館特任研究員/惑星大気科学)
逸見良道(本館特任研究員/惑星地質学)
太陽系博物学
人類初の人工衛星となったスプートニク1号が打ち上げられてから、まだたったの半世紀ほどしか経過していない。この短い期間に、人類は120機以上の探査機を60個以上の太陽系天体に送り込み、膨大な探査データを獲得した。いまこの瞬間も、約20機の探査機が地球外の天体の調査を行っている。未知なる天体を目指し、新たな探査機が次々と打ちあがる様は、かつての大航海時代を彷彿とさせる。当時、船舶の改良や新航路を発見することで、諸外国から様々な交易品を得たように、より高度な探査装置を積んだ宇宙探査機を駆使し、人類は太陽系に関する知見を次々と獲得している。
15世紀以降、好奇心に駆られて新大陸に飛び出すことは、自然の多様性の認識につながったが、これは博物学の発展においてきわめて重要な要素であった。これと同様に、探査機が明らかにした太陽系内天体の百般の姿は、博物学の新たな幕開けを予感させる。探査データの丹念な解析により天体ごとの特徴をつぶさに記載することができるのだから、これらを分類し比較することは、地球を含めた太陽系天体の姿を知るための重大なステップとなるだろう。私たちはこうした研究が、「太陽系博物学」と呼ぶあたらしい学問体系の構築につながると考えている。
「太陽系博物学」を推進するには、世界各国が進める沢山の宇宙探査によるデータの蓄積と整理、客観化が極めて重要な要素となる。こうした観点から、東京大学総合研究博物館の太陽系博物学寄付研究部門では、探査データの収集と解析、関連した物質科学、地球物理学的な研究、さらには探査手法の開発を行っている。一方でこうした基礎研究だけでなく、より広い視野を持って研究を考える必要があるとも考えている。コストの高い宇宙探査を推進するには、サイエンスの意義のみならず、広く一般市民から支持されるものでなければならないからだ。 そのために少しでも多くの人々に本物のサイエンスを提示し、宇宙探査の意義を問うことが、学問的にも本質的に重要な要素となるだろう。私たちがアウトリーチを大切に考える理由は、ここにある。
アウトリーチと産学連携
一般に向けた宇宙の探査や科学に関する情報発信において、日本ではテレビ・新聞等のマスメディアが重要な伝達手段となっている。探査に関するニュース報道を行うだけではなく、研究者が携わりながら質の高い番組や特集記事を作り上げているケースもある。ほかにも研究者やサイエンスコミュニケーターらによって、一般向け書籍や雑誌、インターネット上でのコンテンツという形でタイムリーに情報がまとめられることがあり、極めて内容が充実したものもある。さらに宇宙機関や科学館等における展示活動や、サイエンスカフェ等におけるトークイベントなどを通じて、研究者自身が直接社会へ向けての情報発信を行う取り組みもあり、どの活動も社会一般の科学リテラシー向上に、貢献しているといえる。
ただし惑星科学は、近年の探査技術の向上に伴い急速に進歩している分野であるため、上記の活動において情報の取り扱いに苦慮しているように見受けられる場合も多い。というのも、次々ともたらされる新発見を、その位置づけと共に発信するには、科学の進歩を概観できる高度な専門性を持たない限り困難であるからだ。一方で専門家が、個人や大学のレベルで効果的な公開活動をタイムリーに行うことができるかというと、それは大変困難である。やはり多くの人々に直接アプローチすることは難しいし、時々刻々と惑星科学の常識が塗り替えられるような状況は、書籍などの媒体を利用して情報を発信するには不向きだからだ。
そこで私たちは(株)東京ドームとのコラボレーションによって、これを実現することにした。この計画が始まったのは2012年。当時(株)東京ドームは、同社の東京ドームシティ内に宇宙をテーマにした博物館の設立を検討していた。東京の中心部に位置している東京ドームシティは、野球場や遊園地もあれば、ホテル、ショッピングモール、レストランなどが揃う複合的なアミューズメント施設である。年間の総来場者数が3千7百万人にも達することからも、世界的にみても有数の施設と言うことができるが、このような施設が東京大学総合研究博物館から1km以内に存在していることは、私たちにとって大変都合が良かった。また普段であればサイエンスに興味を持たないような、ごく普通の児童・生徒らにもアプローチできる面も、私たちには特に魅力的であった。
しかし民間企業との協働に慎重な意見もあった。商業的にアミューズメント性を要求され、アカデミズムに特化した活動が行えないのではないかと危惧されたのだ。しかしこの部分の心配は、私たちには無かった。というのも、ブレインストーミングの段階から同社の検討グループと密接に議論を重ね信頼を積み上げてきたからだ。たとえば私たちが進めている「スクール・モバイルミュージアム」(小・中学校の空き教室に本格的な展覧会を持ち込むというもの)には、同社関係者が何度も視察に訪れ狙いを深く理解してくださっていたし、ミュージアムテクノロジー寄付研究部門を通じて総合研究博物館と関係の深い(株)丹青社が、両者の間に入っていたことも重要な要素だった。私たちとしてはスクール・モバイルミュージアムの延長線上、(株)東京ドーム側としてはミュージアムとしての学術性の担保という側面から、このプロジェクトにおいて両者の親和性が高いという確信があった。
宇宙ミュージアムTeNQのオープンへ
(株)東京ドームは、東京ドームシティ内にある「黄色いビル」と呼ばれる施設内に2,600 m2の施設面積を確保し、総事業費14億円を用意して(株)丹青社などと共に宇宙ミュージアムTeNQと呼ばれる施設の準備を進めることとなった。そこで私たちが目指したのは、研究者が常に展示会場に留まり、刻々と得られる新たな知見をタイムラグなく展示に反映するという挑戦的なものだ。研究を行う現場そのものも含めて展示してしまうことで、広がりゆく惑星科学分野の最先端の成果を提示できる、いわば太陽系探査情報ステーションという機能を維持できるはずだ。私たちはこれを総称して、「太陽系博物学」展と名付け、この実現に努力することにした。
このプロジェクトにおいて、展示・空間演出においてはプロ中のプロである(株)丹青社と、アミューズメントのプロである(株)東京ドームと協働できたことは、ハードウェアに関する部分を完全に任せられるという意味でも、大変に効率の良い形であった。私たちは、物品の準備に煩わされること無く、純粋にコンテンツの制作に集中することができたからだ。
最初から全てが順調に進んだわけではなく、困難な部分もあった。たとえば私たちが当初考えた展示物は、保安上の問題やコスト、運用面での制約などで、全て実現しなかったのだ(その中でも私たちが特に何とかして実現したいと考えた火星や小惑星の体感・体験型の展示も、条件を満たすことができなかった。これらについては、今後少しでも実現を試みたい)。このような、そもそもプロジェクトとして仕方のない制約条件を、私たちが良く理解できていなかったことで生じていたような問題点は、特に(株)丹青社の調整力で次第に着地点が見えはじめ、2013年末頃には学術性を確保しつつも、「見ごたえ」のある展示案を固めることができた。一方で(株)東京ドームと(株)丹青社は、この施設にとって中心的な役割を果たすシアターの設計や、アミューズメント性の高いエリアについて施設全体のバランスを取りながら着々と準備を進めていった。
2014年になってからは、展示に用いるハードウェアの構成が決まったことをうけ、展覧会場に示す様々なキャプション(説明文)の作成を進めた。これは書物とも単なる看板とも異なる独特の形態のものであるが、制作の手順はレビュー論文の執筆と少し似ている。2014年4月から3か月ほどの時間をかけて、東京大学総合研究博物館・太陽系博物学寄附研究部門の研究者らは、研究者の立場から「太陽系博物学」のレビューとも言うべき文章を執筆し、これらに図表や探査データなどを組み合わせてコンテンツを作りあげていった。関連した分野の識者に徹底的なレビューを依頼し、膨大な量の探査データも収集した。すべての文章は英語にも翻訳しているが、一部については同時に中国語と韓国語にも翻訳した。単なる日本語の直訳とならないように、伝える内容、言語の持つ響きを重視して翻訳作業を行った。こうして作り上げた外国語によるキャプションについては、全て惑星科学分野で国際的に活躍するそれぞれの言語を母国語とする研究者2名以上に依頼して、徹底的にレビューしてもらうことで、学術面はもちろん、言語としての美しさも追求した。
こうして計画は順調に進み、予定通り2014年7月に宇宙ミュージアムTeNQが誕生した。TeNQは、ショップやシアターなどを含め広い視点から宇宙について楽しめる施設となったが、その中の「サイエンス」と名付けられた展示スペースに、大学博物館における展示と同様の感覚で「太陽系博物学」展が展開されることとなった(図1)。
太陽系博物学展
アミューズメント性の高い「宇宙ミュージアムTeNQ」の中にありながら、この「太陽系博物学」展には実際の探査データが無数に示されている(図2)。サイエンスコーナーには大きく分けて7個の小コーナーがあるが、そのひとつである小惑星のコーナーには、はやぶさ探査機の取得した小惑星イトカワの地表面画像が実物大に拡大されて床に置かれている。その後ろには巨大な鏡が置いてあるので、訪れた人は鏡越しにイトカワの不思議な地表面を見ることができる。すると岩石が重力に逆らって配置されているように見えるので奇妙な感覚をおぼえるのだが、これは微小重力しか持たないイトカワの地表面に多くの岩片を発見した際に、はやぶさチームが感じた違和感の疑似体験となっている(図3)。
火星のコーナーには、火星探査車が火星で撮影したパノラマ画像が巨大なスクリーンに投影されており(図4)、あたかも自分が火星上に降り立ったような感覚が味わえる(ちなみにこのコーナーには、火星から来た隕石が直接触れることができる形で置いてあるので、火星の岩石に触りながら火星の画像を見ることができる)。他にも土星の衛星タイタンで探査機が撮影した地表面が投影されているコーナーでは、こうした画像の上を歩くことで疑似的に天体表面を散策する体験ができ、あたかも天体を訪れたような記念写真を撮ることもできる。
このように展示解説を読まなくても、自然と探査データを体感できるように作られているのであるが、これらのコンテンツにつけられた解説はそれぞれの分野のトップランナーである研究者らによる厳密かつ包括的なものが、日本語と英語で用意されている。そこには2013年の「宇宙資源展」で私たちが開発した手法が用いられたので(図2)、特段の興味もなく通りがかった人々も内容を容易に把握できるし、一方で興味を持って立ち止まった来館者は、かなり深い内容まで把握できるように丹念に作りこまれている。
さて、最新の情報を、タイムラグなく提供するためには、壁紙としての印刷物ではとうてい対応できない。そこで高性能のサイネージシステムを多用することで情報の更新頻度を高めることにした。おなじサイネージシステムにおいても、ビジュアル情報を次々と切り替えているので来館者には気づかれにくいが、実は送出している全ての情報を足し合わせると、約10万文字もの文字数となり内容的にも極めて硬派な展示に仕上がっている。
こうした探査情報の展示に加えて、私たちは展示会場に研究室の分室を設け、常にその場に私たち研究者自身が留まり普段通りの研究を行うという、恐らく世界でも例のない挑戦的な実験を行うことにした。これには研究を行う現場そのものを展示してしまうことで、惑星科学分野の最先端の成果を提示できる、いわば太陽系探査情報ステーションという役割を持てるという現実的な側面もあるが、来館者にありのままの研究者の姿を見せることで「なんだ、研究というと敷居が高いと思っていたけれども、こんなものか」と感じてもらうことこそ若い世代を勇気づけるきっかけになるのではないか、という私たちの淡い期待も含まれている。
展示物でもうひとつ特徴的なのは、フルハイビジョンのディスプレイを8個つないで作った大型ディスプレイ(マルチビジョン)である(図5)。これは実質画素数が7680x2160となるため、探査で得られた高解像度の画像を大きく投影することができるという利点がある。しかしこれは最近普及するようになった4Kディスプレイを大きく超える画素数となるため、現時点では、パソコンやブルーレイプレイヤーなどの通常の映像投影装置でコントロールすることができない。そこで合計21個のコンピュータを用意して同時に多くのコンテンツを再生し、これらを切り替えながらコンテンツを配信する専用コンピュータの制御下で投影する、という特殊な手法を採用した。こうすると、個々のコンテンツは通常のコンピュータでも容易に作成ができるので、コンテンツのアップデートが簡便に行えるという大きなメリットが生まれる。実際にTeNQがオープンしてからも、大きな発見や新しい探査機による活動の報告が何度もあったので、私たちは随時こうした情報を組み込んでおり、この大型ディスプレイには常に最新の情報が提示されている。このような運用ができるのも、この正面に私たちが研究室の分室を設けているからだ。
さらに、いまこの瞬間も火星で探査を行っているマーズ・オデッセイ探査機が、次々と獲得している熱放射撮像カメラの最新のデータが展示空間で投影されている。通常、探査機に搭載されている機器が得たデータは、その探査機の科学チームによって徹底的に分析されるまで、外部にリリースされることは無い。しかしこの機器のPI(主任研究員)であるアリゾナ州立大学のフィリップ・クリステンセン教授が著者と個人的なつながりがあり、太陽系博物学展の趣旨を極めて良く理解して下さったことから、特別に許可を得ることができたのだ。これも私たちの研究室の分室を展示会場に設置しているからこそ実現した、本物の生きたサイエンスの展示ということができる。
おわりに
宇宙ミュージアムTeNQは2014年7月のオープン直後から、チケットの売り切れが続くなど大変な混雑を見せた。開館後2週間もたたずに年間パスが売り切れ、50日足らずで入場者10万人を突破するなど、大学内でのイベントでは考えられないような盛況ぶりとなった。
来館者のほとんどは、アミューズメント性の高いシアターや体験型アトラクションを楽しみに集まっているのだが、彼らは意図せずとも、この極めて専門性の高い「太陽系博物学」展を閲覧することになる。私たちは「展示物」として姿を見られているが、逆に失礼ながら来館者の行動を私たちも観察している。ひとつの発見は、膨大な量の展示マテリアルに、それが一般のミュージアム等で良く言われるような文字数の制限を遥かに超えたものであるにも関わらず、かなりの割合の方々が丹念に目を通して下さっていることだ。
今後は情報のアップデートだけでなく、来館者の行動パターンも観察させていただき、来館者のご意見なども反映して、より質の高い科学を適切に伝えられる展示へと改良していきたい。同時にこの奇異な空間から、世界をあっと驚かせる素晴らしい研究成果を生み出したいと考えている。