東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
HOME ENGLISH SITE MAP
東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime19Number3



研究紹介
タヌキのミイラ!?発見記

池田 博(本館准教授/植物分類学)

 博物館のバックヤードとして収蔵庫がある。通常収蔵庫には多数の資料が整然と配置されているものであるが、さらにそのバックヤードとして未整理の資料が集積された部屋も存在する。植物部門の場合、東京大学植物標本室(略号 TI)として収蔵している標本は約170万点と公表しているが、未整理の資料もかなりある。未整理の標本の中には、歴史的に貴重な標本、あるいは分類学的研究にとって必要な標本が埋もれている可能性がある。
 ある日、未整理の液浸標本が置いてある棚をのぞいていたところ、古ぼけた標本瓶の底にへばりついた標本を2点見つけた(図1上)。もともとは液浸標本として作製されたものが、中のアルコールが蒸発し、内容物が乾燥して底にへばりついたものと考えられた。このような標本は通常であれば液浸の体をなしていない不完全な標本として無視される程度のものであるが、くすんだラベルを見て驚いた。「Glaziocharis Abei Akasawa. タヌキノショクダイ(一名 トウロサウ).阿波國那賀郡澤谷村小畠.Aug. 4, 1950. 阿部近一 採.」(図1下)。それはこの瓶の中のものが1950年8月4年に阿部近一氏によって採集されたタヌキノショクダイ (Thismia abei (Akasawa) Hatus.) であることを示すものであった。
 タヌキノショクダイは、徳島県、宮崎県、静岡県、東京都(神津島)に分布する腐生植物で、葉緑体をもたず、高さ3〜4cm ほどの奇妙な形の花を地面近くにつける(図2)。花の姿をタヌキ(図3)がろうそくを持って立っている姿にたとえてタヌキノショクダイという名がつけられた。学名の中に見られる "Abei" は、まさに目の前にある標本を採集した阿部近一氏を記念してつけられたものである。
 「もしかして貴重な標本かも?」と思い、タヌキノショクダイの原記載(学名がつけられた最初の論文)を確認したところ、1950年8月4日に阿部氏を含む3人でタヌキのショクダイを採集していることが判明した(Akasawa 1950)。つまり、この標本はタヌキノショクダイを正式に世に出した時に参考にした貴重な標本(基準標本)だったのである。
 基準標本(タイプ標本)にはいくつかの種類がある。植物の学名をつける際の規約を定めた「国際藻類・菌類・植物命名規約(大橋ほか 2014)」によると、タイプ標本には正基準標本(ホロタイプ)、副基準標本(アイソタイプ)、等価基準標本(シンタイプ)、従基準標本(パラタイプ)などがある。東大で見つかった瓶入りの標本はパラタイプにあたるものであった。ところが、調べていくうちに、困ったことが起きた。原記載論文によると、ホロタイプは国立科学博物館に、アイソタイプは東京大学に収められていることになっているのだが、両方とも見つからないのである。命名規約上、ホロタイプが見つからない場合、選定基準標本(レクトタイプ)を選ばなければならず、アイソタイプがある場合はアイソタイプから、アイソタイプがない場合はパラタイプから選ばなければならない。科学博物館にあるはずのホロタイプも、東大にあるはずのアイソタイプも見あたらないことから、ここにきて、この干からびた瓶入りの標本がレクトタイプとして選ばれる可能性が出てきたのである。
 レクトタイプの選定に関しては、念のために阿部氏の標本が収められている徳島県立博物館の標本庫を調べたところ、意外にもアイソタイプに当たると考えられる標本が見つかったことから、その標本をレクトタイプにすることで落ち着いた。その顛末については、植物研究雑誌89巻3号に報告をおこなった (Ikeda et al. 2014)。
 タヌキノショクダイの基準標本をめぐる検討はひとまず終わりとなったが、件の干からびた標本は、このままではいかにもかわいそうなので、元に戻すべく、アルコールを加えることにした。ところが、ふたを開けるのにまずは苦労した。瓶の中のアルコールが蒸発してかなり時間が経っていたためか、ふたは容易にあけることができなかった。市販の潤滑剤を使い、ようやくふたを開けることができた。次にアルコールを注入したのであるが、もろく崩れやすい植物体を壊さないように、注意しながらゆっくりと50% 程度のアルコールを加えていった。注入した当初は底にへばりついていた植物体も、数日経つと水分を含み、生時の姿を取り戻していった。
 バックヤードのバックヤードとも言える未整理標本の山の間を散策するのは楽しい。あちこちの箱を開けてみては広げてみる。そこには採集された当時の人や自然環境だけではなく、その時代の政治や文化までかいま見ることができる。そのような未整理標本の中から価値のある標本を見いだすこともまたキュレィターの楽しみのひとつである。

 原稿の作成に際し、徳島県立博物館からタヌキノショクダイの写真を、同館佐藤陽一学芸員からはタヌキの生態写真を提供いただいた。ここに記して感謝申し上げる。本研究はJSPS科研費25440203, 24501268の助成を受けたものである。

参考文献
Akasawa, Y. 1950. A new species of Glaziocharis (Burmanniaceae) found in Japan. J. Jpn. Bot. 25: 193−196, pls. 1 & 2.
Ikeda, H., Shimizu, A., Ogawa, M., Ibaragi, Y. and Akiyama, S. 2014. Lectotypification of Glaziocharis abei Akasawa (Burmanniaceae). J. Jpn. Bot. 89: 176−180.
大橋広好・永益英敏・邑田 仁(編)2014. 『国際藻類・菌類・植物命名規約(メルボルン規約)2012』.北隆館,東京.

ウロボロスVolume19 Number3のトップページへ


図1 東京大学植物標本室(TI)で見つかったタヌキノショクダイの標本(上)とそのラベル(下).

図2 タヌキノショクダイ(徳島県那賀郡にて撮影)(徳島県立博物館提供).

図3 タヌキ(とくしま動物園にて撮影)(徳島県立博物館 佐藤陽一氏提供).