放射性炭素年代測定室
年代を測って55年
放射性炭素年代測定室の歩み〜コンパクトAMSを手にするまで〜
吉田邦夫(本館特招研究員/年代学・考古科学)
東京大学の年代測定は1960年に始まった
東京大学における炭素14年代測定は、1960年度から3年間続いた科学研究費機関研究交付金で始まる。総額850万円ほどの交付金で気体試料のβ線を測定するベルギー製の装置を購入した(図1)。この方法は当時の主流で、学習院大学、理化学研究所などでも使われた。装置は理学部アイソトープセンターに設置されたが、1967年総合研究資料館(現総合研究博物館)が新築されると、地下に年代測定室が設けられ、そこに移設される。
機関研究が終わった後も、研究班が運営に当たり、1962年に「東京大学C14運営委員会」が発足(C14;当時はこのように表記していた)。研究班、委員会は7部局4研究所から構成されていた。
その後、1966年に「東京大学C14編年委員会」と改称し、翌1967年2月に評議会の議を経て、全学的な組織として「東京大学放射性炭素年代測定装置委員会」が発足することになる。この全学委員会のもとで、年代測定が行われてきた。
時代は変わる:14Cの数を数える方法へ
その後、装置は、2代目(1971年度更新)、3代目(1980年度更新)、4代目(1999年度更新)と更新され、本館地下年代測定室で、測定が行われてきた。この装置は、放射性炭素14Cが壊れる時に放出する微弱な放射線(β線;電子)を数えている。14C は5730年で半分の数になる(この時間を半減期という)。
一方1977年に、AMS法(加速器質量分析法)が提案される。14Cが壊れるのを待たずに、残っている14Cの数を数えるという手法である。半減期が長い放射性元素を測定することが得意だ。β線計数法よりも、微量な試料で、短時間に、より古い年代まで測定することが出来る。現在では、ほとんどの場合、AMS法によって年代測定が行われている。
東京大学でも筆者らが、1980年に学内の加速器の改造に着手し1985年からAMS法による14C年代測定を続けてきた。
年代測定センターの設置要求
年代測定室は、総合的・分野横断的な研究を進めるために、組織の拡充、年代測定センターの設置を要望してきた。
一方で、著者が着任した1995年以降、年代測定室は、AMS法による年代測定へと舵を切る。当時の原子力研究総合センターのタンデム加速器(現本館タンデム加速器分析室)がAMS法に最適化した装置に更新されていたので、これを利用して測定を行ったのである。ちょうどこの時期、柏キャンパス構想が進行しており、その中で「年代測定研究センター」設置を要求した。AMS炭素年代測定だけでなく、地質年代を決めるアルゴン年代測定、安定同位体分析による年代、環境研究を含む総合的な研究教育施設であった。柏キャンパス構想の報告書の中に、「年代同位体測定研究センター」の実現という文言が含まれていたが、紆余曲折があり、残念ながら実現しなかった。
年代測定専用装置の予算要求
センターの設立を模索する活動をその後も続けたが、海洋研究所(現大気海洋研究所)が柏へ移転するという計画が浮上した。この移転計画の中に、炭素専用年代測定装置を組み込むことを企図した。2007年度に海洋研から「放射性炭素専用加速器質量分析計」(2009年度概算要求)の予算要求を行い、年代測定室が学内共同利用により使用するという形をとった。2008年度には、新領域創成科学研究科も加わり、2009年度にも要求したが実現しなかった。年代測定室は全学委員会に所属する組織だったため、自ら主体となって概算要求を提出することが出来なかったのである。
博物館からの予算要求
ところが、全学の機構改革の一環として、2009年度末に全学委員会を廃止して、組織を総合研究博物館に移管することが決まった。初めて、主体的に概算要求を出来るようになったわけである。
2009年度の概算要求として、海洋研の概算要求とは別に、博物館から「マクロ標本高度化分析設備」の一部として提出されることとなった。その後、2010、2011年度と同様な要求を行った。2012年度(2014年度概算要求)に、初めてAMS単独で「コンパクトAMSシステム装置」を要求した。この要求が、「日本経済再生にむけた緊急経済対策」を謳った2012年度補正予算に、[経済対策]対象予定事業の「施設整備費補助金」として採択されたのである。
年代測定専用機の稼働は、実に8年越しの願いが実現したことになる。年代測定センターの着想からほぼ20年が経過した。積極的・先端的な活用を進めたい。
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図1 気体のβ線を検出する比例計数管(初代).