本館特別展示
石器テクノロジーの発達とデザインの変遷
佐野勝宏(早稲田大学高等研究所准教授/先史考古学)
諏訪 元(自然人類学・古人類学)
はじめに
石器は、人類が道具を製作したことを示す最古の証拠であり、初めて明確なデザインを脳にイメージさせて製作された人工物である。素朴ではあるが、そこには初期人類の重要な技術発達が隠されている。太古の人類の脳は、分解されてなくなってしまい、もはや解析することは出来ないが、石器テクノロジーの分析は、人類の認知能力の発達を間接的に理解する重要な手がかりを与えてくれる。特別展「最古の石器とハンドアックス−デザインの始まり」では、人類が辿ってきた進化と技術の発達を理解する上で重要な一級資料が展示されている。
最古の石器
人類は、約260万年前には、日常的に石器製作をするようになったと考えられる。その証拠となるゴナ遺跡の世界最古の石器が、本展示では見ることが出来る。この頃の人類は、礫の比較的鋭角な箇所を狙って叩くことで、鋭利な刃を持つ石の欠片(剥片)を剥がし取っていた(図1)。この石器製作伝統をオルドワンと呼ぶが、研究者でないと自然に破砕した礫片と識別するのは必ずしも容易ではない。それは、オルドワンの石器が、明確なデザインをイメージして作られたわけではないからだろう。
最古のデザインされた石器
しかし、約175万年前に登場するアシュール型の石器は、誰しもが人工物と認めるだろう。それは、アシュール型の石器が、人類史上初めてデザインされた道具だからだ。アシュール段階のもう一つの画期的な点は、大型の剥片を石器の素材として使い始めることだ。巨大な原石から、20cmを超える剥片を剥がし、剥がされた剥片に加工を加えることで、アーモンド型のハンドアックスや、平面も断面も三角形のピックや、逆台形のクリーバーを製作する。世界最古のアシュール型石器が確認されたコンソ遺跡では、その3点セットが出土している(図2)。
アシュール段階の大型剥片を剥がし取ることは、オルドワン段階の小型剥片を剥がすよりも遙かに難しい。その大型剥片は、更なる剥離で決まった形状に整えられる。175万年前頃に見られるオルドワンからアシュール型への技術変化は、実は人類の進化史において大きな意味を持っている。
石核調整技術の出現
アシュール型石器が現れると、この「完成」された石器伝統は、その後100万年間以上変化することなく持続されていくと長らく考えられてきた。しかし、その考えはコンソ遺跡の調査研究で覆された。最古のアシュール型石器は、形を整えるといっても、その加工は荒々しく、限定的で粗雑な剥離で形作られる。しかし、整形のための剥離の数は時代の経過と共に徐々に増えていき、より丁寧に整った形が作られていくようになる。そして、140万〜125万年前には、単に巨大な剥片を剥がす技術から、定形化した巨大剥片を剥がす技術へと発展する。
剥がし取る剥片の形状を定形化する(事前に決める)ためには、石核(剥片が剥がされる原石)を予め調整加工しておく必要がある。コンソ遺跡では、求心状剥離とコンベワ技法と呼ばれる石核調整技術が確認された。特にクリーバーの中には、石核調整時におこなわれた求心状の剥離痕が残っている資料が多く存在した。クリーバーは、未加工の鋭い縁辺を刃として使った石器である。したがって、素材となる剥片を剥がす際には、全体形状だけでなく、使う刃の部位も予め決めておかなくてはならい。求心状剥離は、鋭い刃部を持った大型剥片の剥離を可能にする石核調整技術の1つである(図3)。
コンベワ技法は、大きく分厚い剥片から、石器の素材に適した剥片をさらに剥がし取る技術である。剥片の腹面側から素材剥片を剥がし取るため、石器の表裏両面が凸状の膨らみを持つ。これにより、石器縁辺は刃こぼれしにくくなり、クリーバーに適した丈夫な刃部となる。剥がされた両面凸型の剥片は、端部の鋭い刃部を残して手で持ちやすいように整形加工される。
求心状の石核調整やコンベワ技法は、従来100万年前以降に現れる技術と考えられていた。しかし、コンソ遺跡の調査により、これらの石核調整技術の起源がずっと古く遡ることがわかった。石核調整技術には、先を見越した計画性が必要である。本技術の出現は、人類が場当たり的な石器製作ではなく、一定の計画性を持った石器製作をおこない始めたことを示している。
洗練されるデザイン
コンソ遺跡で出土する90万〜80万年前のアシュール型石器を見ると、その出来映えが格段によくなっていることに気づく。これは、素材剥片を剥がし取る技術と、素材剥片を整形加工する技術の双方が進歩しているためだ。単に定型的な大型剥片を剥がすのではなく、薄くて定型的な大型剥片を剥がす技術へと発展している。整形加工は、骨や木等のソフトハンマーを使うことにより、薄く奥まで伸びる調整剥離技術へと発展した。これにより、ハンドアックスの側縁刃部は直線的となり、更に三次元での対称性を持った形状へと変化する(図4)。概期の人類が、三次元的対称性をコントロールする技術と認知能力を獲得した証である。
機能を超えたデザイン
70万〜50万年前、東アフリカで旧人が支配的になっていく頃になると、上記の傾向は更に顕著となる。その中には、もはや機能的目的を逸脱した大きさと見事な対称性を持つ石器がある(図5)。このような石器には、例えば威信材のような特殊な意味合いが込められたのかもしれない。人類は、抽象的な思考をする認知能力を獲得し、それを発現させるだけの技術を獲得したのだ。最初にアシュール石器伝統が出現してから100万年以上の時間が経過し、人類は我々に近い段階までに進化していた。
量産のデザイン
アフリカでは、典型的な石核調整技術は、50万年前以降に増え始める。ルヴァロワ技法は、石核調整技術を代表する技法である。本展示のTLA石器地点から出土した資料は、教科書的なルヴァロワ技法で作られた石核と剥片である(図6)。この段階から、人類はいよいよ一つの原石から大量の石器を製作することを可能にした。美しい石器を作る技術ではなく、量産のための技術発達である。石器の素材となる剥片の製作は、定形化、薄型化、大量生産と、少しずつ進歩を遂げていく。現代のモノ作りに通じる工夫は、太古の人類の石器作りに既に見出される。石器デザインの変遷には、人類の技術発達史がしっかりと刻まれている。
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