東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
HOME ENGLISH SITE MAP
東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime23Number1



スクール・モバイルミュージアム
人を魅了する鳥とその標本に潜むドラマ

工藤光平

展示の背景と意図
 東京大学総合研究博物館は文京区教育センターと協同しスクール・モバイルミュージアム事業に取り組んできた。この活動は従来の博物館展示から離れ、広く一般市民に向けた科学知識の教育普及を多様な空間で積極的に展開しようというアウトリーチである。その現場を如何に構成し来場者の学術的好奇心を掻き立て、そして満足感と感動を与えることができるかが展示制作者の手腕にかかっている。実際に私が本館の遺体科学研究室に所属してから何回か展示場制作に参加する機会を与えていただき、その難しさに苦悩するとともに、来場者の視線に立って標本を見つめなおすことの意義を痛感してきた。本館では各研究室が独自の展示場を作り上げてきたが、遺体科学研究室では哺乳類の骨格標本を展示し、骨の多様な形態がもつ機能美を説明することが多かった。しかし、動物のもつ美しさは骨の機能形態だけに代表されるものではない。動物の外貌には毛や羽の質感や色といった色彩学的装飾学的な「美」が備わっており、それは私たちが日常で使う毛皮・羽毛製品からも見て取れる。特に鳥は私たちを魅了してやまない動物群の一つであると言える。その色鮮やかな羽装色や特徴的な羽の形態に人々は美的価値を認め、人間の文化的活動において重要なモチーフとなっている。
 今回の展示ではそうした鳥という動物に焦点を当てた。陳列された標本の多くは東京大学農学部から寄贈していただいたものである。日本の鳥類学者である蜂須賀正氏氏がフィリピンで収集したものであり、古いものは1930年代に作られている。老田敬吉氏と老田正男氏が収集された貴重な日本の野鳥標本も飾られている。日本農産工業株式会社から寄贈されたニワトリ標本も本展示場に並べられている。これは同社の山口健児氏によって収集されたものであり、剥製から玩具まである膨大な標本数からは同氏の鶏への思いが見て取れる。展示物には蝶類研究者として高名な五十嵐邁博士が収集し本館に寄贈されたコレクションが含まれている。各動物園から寄贈していただいた貴重な死体から作製した標本も並んでいる。こうした様々な背景をもつそれぞれの標本の美が失われない様に展示空間を作り上げたつもりである。鳥の大きさ、かたち、色、模様の多様性を詰め込んだこの空間を通して、人が鳥に惹きつけられてしまう理由、人と鳥との関係を来場者の方々と一緒に考えていきたい。

鳥の色
 鳥の羽には様々な彩がある。黒、白、灰といった無彩色から赤、黄、青といった有彩色、明度や彩度の違い、独特の色合いを放つ構造色。その色は鳥が生存するために重要な役割を担っている。例えば、雄のクジャクの青緑色に輝く羽は同種の雌に自身をアピールするのに役立ち、繁殖に有利な形質だと考えられている。ある種のオウムが鮮やかな赤い羽をもっているのは、その色素がバクテリアの繁殖による羽の損傷を防ぐ効果をもっているからだとされている。このように羽装色は鳥にとって機能的意義をもつが、人の関心をひく要素でもある。羽の美しさに人は感嘆し、色自体に鳥の名前をつけることがある。また、それは時に人の文化の中で象徴性を獲得し、文学や芸術あるいは宗教において普遍的な存在意義を示す。例えば、すぐに思いつくのは白い鳥である。西洋の宗教学的表象として白いハトは頻繁に登場する平和や愛のシンボルである。世界各地でみられるフェニックス伝説では赤い炎や羽を纏う鳥のイメージが一般的であり、不死や生命のシンボルである。他にも鳥と色と象徴の関係は様々な文化圏でみられることからも、鳥の色が人の暮らしにおいて重要な意味合いをもつことがわかる。これほどまでに鳥の羽装色は人にとって魅力的な形質であるにもかかわらず、実は私たちは鳥がもつ色の違いを本当の意味で知覚することは不可能なのである。それは、私たち人が見ることができない紫外線を鳥は識別しているからである。この紫外線を知覚する能力は鳥にとって重要な意味をもっている。それは雌雄の選択や採食効率に影響するからである。ある種の鳥は餌となる動物の排泄物が反射する紫外線量の違いを認識し効率的に獲物を探索することができる。人の目には同じように映る二羽も、鳥の眼を通してみると全く異なる見た目の雄雌の番であることがわかる。私たち人は紫外線を知覚する視細胞をもっていないために鳥のみえている世界を理解することはできないが、特殊なカメラを用いることでその世界を疑似的に体験することができる。本展示場では鳥がみている世界を切り取った写真も並べられている。標本を眺めるだけでなく、これらの写真を通して鳥の世界を体験していただければ幸いである。

標本作製と職人芸
 展示場には様々な学術的標本が陳列されている。部屋のあちこちにおかれた実際に生きているかとも思える鳥は本剥製と呼ばれる標本である。右奥で天井から吊り下がっているのは骨格標本であり、その近くにあるプラスチックボトルに入っているのは液浸標本である。足先と嘴がなく綿が見えているのは仮剥製である。それぞれの標本が各々の研究や収蔵の意図に合わせて作られている。当然、各標本は人の手によって制作されている。なかでも本剥製と呼ばれる標本の完成度は制作者の技巧に大きく左右される。この標本を作る過程では基本的に死体の腹側を正中線に沿って切開するのがセオリーである。そして慎重に余計な傷をつけない様に皮膚を剥いていき、腐敗しやすい筋肉組織を骨格とともに抜きとる。その際、頭・手先・足先は完成時の見栄えを良くするために骨を除去せず、筋肉・脳・眼球だけを除去する。また、場合によってはホルマリンを注射し防腐処理をする。一部の骨が残ったこの皮にミョウバンなど薬品を擦り込みながら骨の代替となる針金を入れて綿をつめる。作り方は死体の状況によって異なるし制作者によって各手順や器具にこだわりがあるかとも思うが、最終的にはきれいに糸で皮膚を縫い合わせれば本剥製は完成と言える。しかし、実際に美しい本剥製を作るのはとても難しい。その理由として鳥の皮膚がとても薄いことが挙げられる。特に翼帯を構成する長翼膜張筋と副翼膜張筋を除去した皮膚は反対側が透けて見えるほどである。次に困難なのは綿の入れ具合である。生前の姿を再現するために整形していくが、プロの剥製師はまるでまだ生きているかのように精緻に作り上げる。優れた技術によって作られた標本を見分けるポイントがいくつかある。まず一つは鳥の総排泄腔部である。この部分は体のなかでも皮膚が比較的薄く、排泄器官が複雑な立体構造をつくり、そして脂肪分を多く含む尾腺が近くにある。そのため、この部分の剥皮を精確に行い、きれいに整形するには熟練の技を要するのである。次に注目するのは縫合部である。当然ながら縫合後が分からぬよう丁寧に縫い合わせることが肝要である。顔の義眼も本剥製の出来栄えに影響する。どの会社のどんな色の義眼をどのように取り付けるのかで表情は全く異なってくる。他にも細かな点はあるが、以上に注目しながら展示場の標本をじっくりと観察し、標本の背後にいる制作者の熱意と息遣いを感じ取っていただければ幸甚の至りである。

人と鳥の関係とは
 人は古くから鳥に目と耳と心を奪われてきた。それは自由に羽ばたく姿への憧憬、美しいさえずりへの賛美、アミニズムからくる畏敬、愛らしい立ち居振る舞いへの賞玩、多彩な形態への純粋な関心。そうした鳥への想いは人の文化を熟成させ我々の精神世界を豊かにしてくれた。本展示場では人と鳥との関係を語る上で不可欠な家禽の一種であるニワトリももちろん展示している。入口脇の机上には日本の特別天然記念物である尾長鶏の本剥製が鎮座し、その周りにはニワトリを主題にした玩具や芸術作品が並べられている。ここで日本人とニワトリの関係を振り返ってみたいと思う。多くの人が思い描くだろう赤い鶏冠で黄色い脚の白色レグホーンは比較的近代になって作出された品種であり、人がニワトリを飼育した当初は地鶏のような姿をしていた。今日の産業用品種とは違い産卵産肉能力も乏しく食糧生産としての価値は低いが、この鳥は規則的に夜明けを告げる報晨性を備えており大変重宝されていた。闇夜を打ち払い、暁をよせるニワトリの姿は神聖視され、太陽崇拝と関連して神鳥としての地位を築き上げていく。宗教的意義を獲得したニワトリは闘鶏としても知られている。戦争の勝敗卜占や作物の豊穣祈願といった儀式的展開を遂げた闘鶏の事例は世界中でみられるが、人々の娯楽としても各地で根付いている。日本でも平安時代より前から貴族や庶民が闘鶏に興じていた記録が残っている。ニワトリの娯楽的利用は闘わせるだけではない。人々はニワトリの鳴声に強い関心をもち、その声の長さや音の高低、そして声調にいたるまで選抜を行い独自の品種を作り上げた。また、人々は観賞用として多彩な羽装色や形態を求めた。例えばかわいさを追究した選抜は丸くて小さな体とつぶらな瞳をもった矮鶏という品種に結実している(図1)。日本では17品種が日本鶏として定義され天然記念物に指定されており、それぞれの品種は地域社会の文化や人の精神的欲求を反映した生きる文化財である。しかし、これらの品種は様々な社会的要因により消滅の危機に瀕している。人々はエコ思想の啓発のおかげか野生種の絶滅に敏感になったが、人の文化を支える家畜家禽品種を理解する人は少ない。我々はいつしかこれらの動物との精神的繋がりを忘れ、日常で消費される生産物としてしか見なくなってしまうのだろうか。本展示場では多くの鳥を並べた。ニワトリもその一角を占める。この展示が人と鳥との関係を様々な視点で見直す機会になれば大変光栄である。

ウロボロスVolume23 Number1のトップページへ



図1 桂矮鶏の本剥製.