大澤 啓(本館インターメディアテク寄付研究部門
特任研究員/美学・美術史学)
アートとアーティファクト
幾何学的な模様を成すグレースケールのパネルで覆われた壁と、展示物の輪郭と影を強調する、透明性の高いガラスケースから構成された企画展示会場に入ると、石剣、石器、環石、石棒など博物館所蔵のアーティファクトのほか、写真、墨絵、彫刻などあらゆるメディウムの現代美術作品が混在している(図2)。いわゆる「石」もあれば、石を表象した平面作品、石を模した立体作品もある。さらに右側の通路に進むと、三つの「石器」が並んでいる(図3)。ひとつは、縄文時代前期のものと思われる、埼玉県ふじみ野市川崎遺跡で発掘された、正真正銘の磨製石斧である。もうひとつは、木製の手のマネキンに樹脂製の石器レプリカがはまっている彫刻、マチュー・メルシエの新作『アカデミア』である。三つ目は、人の右手が磨製石を延々と回している、ループ映像作品。ガブリエル・オロスコの有名なビデオ『丸石と手』である。だれもが片手にスマートホンを握っている時代に、石器を握るという原始的な仕草に改めて注目する作品が多く見受けられる。しかしこれらの作家は、いったいどのような「石」をもとにこの作品を考えたのか。「アート」と「アーティファクト」が混在する展示会場では、人類にとっての石の機能が問われる。
石の想像界、石の物質
一方、会場に並ぶ現代美術作品のあり方も問われる。普段ホワイトキューブで発表される現代美術作品が人類学的なテーマを取り上げるうえで、どのような空間、展示方法、文化的文脈を前提とするのか、改めて考える機会となる。
彫刻の創造過程を心理学的に分析するうえでジークムント・フロイトは、石が持つ物資的特徴がいかに彫刻家の心理プロセスに影響し、石のでこぼこが完成作品のフォルムをいかに決めつけるか、有名な記述を残している。インスタレーション作品が多様化するにつれて伝統的な石彫作品が激減するなか、容易にして直接的な創造方法が確立された。それは、ミクストメディア作品における、石の導入である。巨大な岩がギャラリーやミュージアムで展示され、石が他の要素と組み合わされ、ハイブリッドのレディメイドを構成し、展示会場に小石がまかれるなど、石は「ファウンド・オブジェクト」として現代美術作品に頻出する。
このような石の美術的利用は、アンドレ・ブルトン(1896〜1966年)やロジェ・カイヨワ(1913〜1978年)らが形式的な観点から見た石の言語的・詩的可能性について論述して以来定着した「石の想像界」の概念を覆すようなものである。ブルトンは『石の言語』(1957年)、カイヨワは『石が書く』(1970年)において、「幻視的な鉱物学」を構想した。それぞれの考えに特徴があるものの、ブルトンとカイヨワは貴石の表面に現れる模様や岩石の形状を美的な記号、あるいは芸術的なメッセージと見なし、石の鑑賞を想像力の働きと結びつけた。ところが作品に石を直接組み込む美術家らは、石に付与される象徴的・記号的機能を対象とする詩的論考から一線を引き、純粋な問いを投げかける。石は一体、何なのか、どのように知覚されるのか、という極めて単純な問いである。近年の作品を解釈するうえで、地球温暖化や地層特有の時間性など大きいテーマが話題に上がることは確かである。しかし、本展で展示されている大半の作品は、個々の石の物質的特徴を強調するうえで、直接的である。
展示されている作品のなかで、トロンプルイユの手法をもって、鑑賞者の知覚を混乱させ、視覚の対象である「石」の概念を覆すような作品が多々ある(図4)。ポリウレタン、食材用着色料、水性ステイン、樹脂など、さまざまな素材をもって石を模した作品を目にした鑑賞者は、「石」という概念を念頭にそれらと向き合う以上、期待が外れる。トロンプルイユの偽石は極めて軽量であったり、極薄であったり、溶けることもある。つまり、これらの作品は、石の外見を保持しつつ、石を石として認識するうえで最も重要な特徴を除外している
石切場というプロセス
アブデルカデール・ベンチャマのデッサン『無題(石切り場にある石盤)』(図5)をはじめ、展示されている多くの作品は、ヒトによる石の加工プロセスに注目している。
地球上に鉱物的世界が存在するとしたら、洞窟がそのイメージに最も近い。ラスコーやショーヴェ洞窟の壁画は原始絵画の傑作として賞賛されるが、同様に、洞窟そのものも、人類の最初の住居そして原始彫刻の傑作として見なすことができる。植物のない洞窟は、岩の多い不毛の地と同じように、人類の原風景を想起させる。石の想像界の根底には、独自の時間性を有する地殻、有機的な生命界から独立した物質のイメージがある。この物体には特定の形がないため、人間が無形の物質に対して感じる恐怖の対象にもなる。豊かな土壌に育つ植物界と有機物は常に、その底に広がる無機の露頭に飲み込まれ、無形の状態に戻る恐れがあるからである。ヒトが石に施す基本的な行為は、まず石を石として無形の地殻から切り離すことである。その瞬間に、石切場が生まれる。露頭や岩から破片が切り出され、意図的なフォルムを与えられた途端、石が誕生し、有益な材料として人間の活動域に組み込まれる。その意味では、石切場はヒトによるあらゆる創造活動を連想させる。ヒトが無形の物質を有形のものに加工する基本的活動であり、抵抗する物質を材料に変えるプロセスである。とはいえ、地殻から切り出された石はその後も、本来の特徴を続けて持ち合わせる。地質的世界の名残として、石は人間の意図に抵抗し、人間の活動域に置かれても反応しない(図6・7)。
展示空間としての図録
最後に、展示の関連印刷物について補足しておこう。図録は、展示の延長線上に考えられた。石の外皮のように、図録の外装はグレーでザラザラしている。表の写真は石器、裏の写真は結晶模型。この対比が、銀色の縦型の帯に印字されている展示のタイトルを示唆する。帯を外し、本を開くと、貴石の内側のように輝かしい、青い内表紙が見える。ポートフォリオのようにページは全て未綴じで、不用意に開くとバラバラになる。斜め読みするのに決して便利ではない。本文が銀の冊子に纏められ、図版ページはポスター仕様の白い紙に印刷されていて、折られた状態で六枚収まっている。個々のポスターを広げると、テーマ別に分類されている図版が自由に配置されており、綴じられた本のページに連続的に掲載される図版とは異なる、より複雑な関係性を持っている。この特殊な仕様によって、展示の空間的体験を紙上に再解釈してみせた。展示空間を自由に歩き回るように、読書体験は直線的な展開から解放される。