新規収蔵品
ニューギニアの弓矢(II)
西秋良宏(本館教授/先史考古学)
ちょうど20年前、本誌に「ニューギニアの弓矢」という原稿を書いた(第8号)。文学部元教授渡辺仁博士(1919-1998)がニューギニアで収集した弓矢コレクションが、ご遺族によって本館に寄贈されたことを報じたものである。渡辺教授の専門は人類生態学。同時に、今に生きる人類集団の行動を調べて得た知見を活かして、消え去った先史人類の行動を調べる学問、すなわち民族(土俗)考古学のパイオニアの一人でもあった。
その弓矢コレクションは、関心が広かった渡辺教授の多様な寄贈資料の中でも光り輝いていた。モノとしては竹などでできた弓矢、関連する石器や民具を合わせても100数十点であるから僅少と言うよりない。だが、日誌、写真、8mm動画など、弓矢収集の経緯を記録したアーカイブの輝きが格別だった。渡辺教授がウオニエという現在のパプア・ニューギニアの集落に出向かれたのは1970年9月である。そして、一月ほどの滞在の間、その村に存在していた弓矢の全点調査をおこなわれた。寄贈資料には、その記録、数十名にのぼる弓矢所有者、製作者全員の個人情報、および視認できた全ての弓矢の数や形状、サイズなどの子細が含まれていたのである。国内に持ち帰られた弓矢は、渡辺教授のためにおこなった製作実演作品を含む一部の参考標本にすぎなかった。
考古学者にとっては刮目すべきデータであることはすぐわかった。考古学において常に問題になるのは、遺跡から出土するモノからそれを残したヒトを語ることである。発掘では、一定区画の一つの地層から出土する道具類をすべて回収しデータを記録するが、その所有者や製作者については何の直接的記録も得られない。それを推測するには、モノとヒトとの対応がわかっているデータを元にした逆の類推が必須である。いわば1970年9月の地層を発掘したような渡辺教授の記録は、モノからヒトの社会や行動のパタンを探る考古学研究にとって、実に得がたいデータだったことになる。民族考古学の真骨頂とも言いうるであろう。
爾来、この資料群は筆者のお気に入りの一つとなり、その意義を述べる専門論文を書く一方、総合研究博物館でも様々な機会に展示させていただいてきた(『デジタルミュージアムIII』2001年、『モバイルミュージアム』2008年、『HUNTERS』2013年など)。
さて、本稿の眼目は以上のような昔話ではなく、渡辺コレクションをめぐる近年の進展についてある。二つ報告させていただきたい。
一つは、筆者がニューギニアの弓矢に関心をもっていることを知られたシドニー大学J. ピーター・ホワイト教授から、2013年になって記録動画をいただいたことである。撮影年は1965年、調査地レガイヨはやはりパプア・ニューギニアだが、ウヲニエ村からは山脈をはさんだ北側に位置する。見ると、現地の狩猟民が弓矢を製作するシーンや、渡辺教授の記録にはなかった石器製作の場面などが写しこまれていた(図1)。弓矢製作が実に組織的で高度な技術であることがよく理解できる。弓矢作りは、その材料(竹や葦)を加工するための石器を作るための材料(原石)を河原に採集に行くところから始まる。その後、石器作りと石器を装着するための柄を作り装着する作業が続き、竹や葦を石器で削ったり弦を張ったり等々。長大な動作連鎖で構成されている。
さまざまな世代が写っているが、子供が貢献するのは原石採集くらいで、残りは成年男子の作業である。弓矢の材料調達や加工作業は成年ならではのパワー、技術を要するものだからだろう。渡辺教授の記録にもあった技術とヒトの生活史の関係を考古学者の目で記録した貴重資料である。
もう一つの進展は、2018年、総合研究博物館のホームページをご覧になったと言う広島県在住の森岡晋氏が仲立ちとなって類似資料の寄贈を受けた件である。収集者は故原田格三氏、寄贈者はそのご遺族である田辺英子氏である。寄贈品は竹や葦で作られた弓が2本、矢が17本(図2、3)、石器1点で構成されていた。標本はどれも古色をおび、おどろおどろしく、渡辺コレクションのやや快活な見栄えとは違っている。後者は渡辺教授のための未使用実演製作品を含んでいたのに対し、原田コレクションは真正の生活実具で構成されているからなのだと思われる。
提供いただいた情報によれば、原田氏が東北帝国大学理学部に在学中の太平洋戦争末期、海軍省によるニューギニア資源調査に参加なさった際に収集したものとのこと。標本に付随していたラベルには「昭和一七年七月格三ニューギニアより持ち帰へりし資料」(ママ)などとあるが、年号は後年の誤記と思われる。関係資料にあたると海軍省のニューギニア島調査は昭和一八年のことである。隊長兼地質鉱物班長として調査をひきいたのは東北帝国大学の田山利三郎助教授とあるから、地質学教室の学生であった原田氏が参加していたことも首肯しうる。同じく助教授であった八木健三氏の助手をつとめられたと言う(『岩石礦物礦床學會誌』32(3))。調査地はニューギニア西部、現在のインドネシア領であった。
筆者の専門は西アジアの先史考古学である。イスラエルやレバノンの先史時代石器研究でも優れた業績をあげられた渡辺教授の収集資料であるからと、20年前、整理をお引き受けしたものであるが、当時は畑違いにも見えたニューギニアの弓矢標本が自らを新たな研究分野に導いていくさまははなはだ興味深い。ホワイト教授の映像は渡辺コレクションと同時代のハンターたちの生態を異なった観点から記録したものであるし、原田コレクションは、20世紀前半にまでさかのぼる生の土俗狩猟具である。お気に入りの弓矢資料とそのデータを、さらに、深く研究する機会が与えられたものと受け止めている。
コレクションがとりもつご縁の形成と、それに基づく研究の新展開は博物館にいる者にとっては快事である。ここにお名前をあげさせていただいた標本寄贈者、関連各位には、改めて深く御礼申しあげたい。
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