インターメディアテク特別公開
東大植物学と植物画――牧野富太郎と山田壽雄
1940年に出版された『牧野日本植物図鑑』（北隆館）は、戦前日本の植物図鑑の代表作とされる。その原画制作に画家たちの協力が欠かせなかったことは、著者である植物学者・牧野富太郎（1862~1957）の偉業の影にあってあまり知られていない。同図鑑の序には、三人の画家―水島南平・山田壽雄・木本幸之助への謝辞が記されている。著者の牧野は自身できわめて緻密に植物を描いたが、その牧野であっても、同図鑑の制作には画家の力を借りていたことになる。多種類の植物を収録する植物図鑑の制作には、植物学者の存在は不可欠だが、同時に植物学者の要求に応えて植物を描くことのできる者が必要であったといえる。
こうした図鑑制作における描き手の介在を踏まえると、2017年に総合研究博物館で見つかった植物写生図は、植物学者と画家の協働の痕跡を今に伝える貴重な発見であった。全534枚からなる植物写生図は、一部に記されたサインによって、その描画者が山田壽雄（1882~1941）であると推定されている。また、次頁で詳しく指摘されているように、植物写生図の中には『牧野日本植物図鑑』や『図説普通植物検索表』（1950年）などのもとになった図が含まれる。図書や雑誌類はいったん印刷されると、その後にはスケッチや下図類が必要とされる機会は減り、残りにくいものである。山田壽雄植物写生図は、植物図鑑の作図工程を探る上でも重要な手がかりを与えてくれる。
東大植物学における植物画制作
山田壽雄は、長年東大講師をつとめた牧野富太郎に描画指導を受けた人物である（津山尚編『石井勇義ツバキ・サザンカ図譜』1979年）。その山田壽雄による植物写生図が大学内で見つかったことは、東大植物学の研究活動が植物画制作と結びついていたことと無関係ではないだろう。
1877年に開学した東京大学では、理学部生物学科植物学教室や附属小石川植物園において早い時期から植物の描写が継続的に行われ、加藤竹斎や渡部鍬太郎といった専属の画工（当時の呼称による）が雇用されている。植物学教室と小石川植物園に画工が雇われていたことは、小倉謙編『東京帝国大学理学部植物学教室沿革』（1940年）に記された年度別の構成員欄によって知ることができる。それによると、明治大正期には渡部鍬太郎・佐々木三六・平瀬作五郎・千葉眞弓・西野猪久馬・佐藤醇吉・田中寅三・?見競ら、おもに洋画習得者が画工に雇われていたことになる。彼らはたくさんの植物を描いた。東大植物学関係者が著者となり、画工が図版の原画を手がけた例は、伊藤圭介･賀来飛霞による『小石川植物園草木図説』（加藤竹斎原画、1881~1886年）をはじめ、矢田部良吉著『日本植物図解』（渡部鍬太郎原画、1891~1893年）、三好学のサクラに関する論文（佐藤醇吉原画、『東京帝国大学理科大学紀要』34、1916年）、中井猛之進編『朝鮮森林植物編』（寺内萬次郎ほか原画、1915~1939年）などいくつもある。東大植物学教員による図入りの著作物からは、その原画制作に画工の仕事が欠かせなかったことが浮かび上がる。
『東大植物学と植物画』展にむけて
山田壽雄の描いた植物写生図はインターメディアテクにて公開される（2020年３月からの休館が終わり次第）。インターメディアテクでは2017年に特別展示『植物画の黄金時代――英国キュー王立植物園の精華から』を開催しており、この時にはイギリス人植物学者やインド人画家の描いたキュー所蔵植物画の数々が紹介された。今回は、総合研究博物館所蔵の新出植物画によって、植物学者･牧野富太郎と植物画家･山田壽雄の協働から生まれた植物画を展示するものである。展示準備は昨年より池田博准教授、寺田鮎美特任准教授、筆者らを中心に進められ、常設展示「COLONNADE 3（コロナード3）」に備え付けられた書架の一角に約60枚の植物写生図が展示される。
池田准教授によると、総合研究博物館では山田壽雄植物写生図のほかに、明治10、20年代にかけてつくられた植物画がまとまって確認されているとのことである（図１）。東京大学における植物画制作の実態にはいまだ不明な点が多い。今後も大学内に残された手つかずの植物画を順次紹介することで、東大植物学と植物画制作の歩みを知る機会が増えていくことを願う。
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東大植物学と植物画――牧野富太郎と山田壽雄
藏田愛子
（本館インターメディアテク寄付研究部門特任研究員／日本近代美術史）
1940年に出版された『牧野日本植物図鑑』（北隆館）は、戦前日本の植物図鑑の代表作とされる。その原画制作に画家たちの協力が欠かせなかったことは、著者である植物学者・牧野富太郎（1862~1957）の偉業の影にあってあまり知られていない。同図鑑の序には、三人の画家―水島南平・山田壽雄・木本幸之助への謝辞が記されている。著者の牧野は自身できわめて緻密に植物を描いたが、その牧野であっても、同図鑑の制作には画家の力を借りていたことになる。多種類の植物を収録する植物図鑑の制作には、植物学者の存在は不可欠だが、同時に植物学者の要求に応えて植物を描くことのできる者が必要であったといえる。
こうした図鑑制作における描き手の介在を踏まえると、2017年に総合研究博物館で見つかった植物写生図は、植物学者と画家の協働の痕跡を今に伝える貴重な発見であった。全534枚からなる植物写生図は、一部に記されたサインによって、その描画者が山田壽雄（1882~1941）であると推定されている。また、次頁で詳しく指摘されているように、植物写生図の中には『牧野日本植物図鑑』や『図説普通植物検索表』（1950年）などのもとになった図が含まれる。図書や雑誌類はいったん印刷されると、その後にはスケッチや下図類が必要とされる機会は減り、残りにくいものである。山田壽雄植物写生図は、植物図鑑の作図工程を探る上でも重要な手がかりを与えてくれる。
東大植物学における植物画制作
山田壽雄は、長年東大講師をつとめた牧野富太郎に描画指導を受けた人物である（津山尚編『石井勇義ツバキ・サザンカ図譜』1979年）。その山田壽雄による植物写生図が大学内で見つかったことは、東大植物学の研究活動が植物画制作と結びついていたことと無関係ではないだろう。
1877年に開学した東京大学では、理学部生物学科植物学教室や附属小石川植物園において早い時期から植物の描写が継続的に行われ、加藤竹斎や渡部鍬太郎といった専属の画工（当時の呼称による）が雇用されている。植物学教室と小石川植物園に画工が雇われていたことは、小倉謙編『東京帝国大学理学部植物学教室沿革』（1940年）に記された年度別の構成員欄によって知ることができる。それによると、明治大正期には渡部鍬太郎・佐々木三六・平瀬作五郎・千葉眞弓・西野猪久馬・佐藤醇吉・田中寅三・?見競ら、おもに洋画習得者が画工に雇われていたことになる。彼らはたくさんの植物を描いた。東大植物学関係者が著者となり、画工が図版の原画を手がけた例は、伊藤圭介･賀来飛霞による『小石川植物園草木図説』（加藤竹斎原画、1881~1886年）をはじめ、矢田部良吉著『日本植物図解』（渡部鍬太郎原画、1891~1893年）、三好学のサクラに関する論文（佐藤醇吉原画、『東京帝国大学理科大学紀要』34、1916年）、中井猛之進編『朝鮮森林植物編』（寺内萬次郎ほか原画、1915~1939年）などいくつもある。東大植物学教員による図入りの著作物からは、その原画制作に画工の仕事が欠かせなかったことが浮かび上がる。
『東大植物学と植物画』展にむけて
山田壽雄の描いた植物写生図はインターメディアテクにて公開される（2020年３月からの休館が終わり次第）。インターメディアテクでは2017年に特別展示『植物画の黄金時代――英国キュー王立植物園の精華から』を開催しており、この時にはイギリス人植物学者やインド人画家の描いたキュー所蔵植物画の数々が紹介された。今回は、総合研究博物館所蔵の新出植物画によって、植物学者･牧野富太郎と植物画家･山田壽雄の協働から生まれた植物画を展示するものである。展示準備は昨年より池田博准教授、寺田鮎美特任准教授、筆者らを中心に進められ、常設展示「COLONNADE 3（コロナード3）」に備え付けられた書架の一角に約60枚の植物写生図が展示される。
池田准教授によると、総合研究博物館では山田壽雄植物写生図のほかに、明治10、20年代にかけてつくられた植物画がまとまって確認されているとのことである（図１）。東京大学における植物画制作の実態にはいまだ不明な点が多い。今後も大学内に残された手つかずの植物画を順次紹介することで、東大植物学と植物画制作の歩みを知る機会が増えていくことを願う。
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図１ 総合研究博物館で見つかった三袋からなる植物画のまとまり．「東京大学所蔵」を示すラベルが貼られている．小石川植物園の画工・渡部鍬太郎のサインが記された植物画を含む．