建築ミュージアム/小石川分館
『ボトルビルダーズ――古代アンデス、壺中のラビリンス』
新しい近接性による空間デザイン
小石川分館における博物館活動の実験試行
松本文夫(本館特任教授/建築学)
鶴見英成(本館助教/アンデス考古学・文化人類学)
新型コロナウイルス感染症が流行する状況下では、人的密度を低減し、不要な移動を抑制し、業務や学習を遠隔化し、シールドや隔壁で区分するといった生活様式が提唱されている。博物館の公開活動においても、感染症の拡大抑制のために入館管理や距離確保などの対応が行われている。しかし、今後の社会の本質的な課題は、人間を離し、隔てることだけではない。むしろ、社会環境のなかで人間どうしの「近接性」をいかに再構築するかが重要であると考えている。「新しい近接性」に基づく社会環境のリ・デザインが求められているのである。とても大きな課題であるが、博物館における空間デザインを端緒に試行実践を始めたい。
本稿の前半では、「近接性」の理念を概観し、その新しいアウトラインを提起する。まず近接性の理念を「距離の近さ」から「つながりの強さ」へと拡張する。次に「フィジカルとサイバー」が共存する社会における「連結と分離」の可能性に言及する。最後にこれらの検討を空間デザインの可能性としてまとめる。本稿の後半では、小石川分館で開催された展示/イベントにおける近接性に配慮した試行実践の成果を報告する。特別展示『ボトルビルダーズ』の会場構成における社会距離と回遊性の両立、「建築博物教室」における実空間から情報空間への段階的な参加設定などについて説明する。
距離の近さ、つながりの強さ
狩猟採集から農耕牧畜への移行にともなって定住生活が始まり、人間は環境を改変して自分たちの専用空間をつくりだすようになった。人口の増大と空間の集中は都市文明を生みだし、近接性は社会環境の基底をなす性質になっていく。
近接性の概念は、動物行動学の「なわばり行動」に由来する。ハイニ・ヘディガーが指摘するように、なわばり行動は動物の個体密度を調整することによって種の繁栄を保証するものであった[1]。その基本となるのは個体間のスペーシングである。これらの研究成果を参照しつつ、文化人類学者のエドワード・ホールは『かくれた次元』[2]において、人間による空間認識に関わる「プロクセミクス(proxemics、近接空間学)」を提唱した。ホールは人間どうしの距離を4つに区分した。密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離である。ホールは空間に関するこれらの知覚によって人間が独自の「文化の次元」を創りだしたと考えている。プロクセミクスの骨子は「距離の近さ」に応じた人間行動の理解である。心理学者のロバート・ソマーは「なわばり」とは異なる視点から、人間を中心とした「パーソナル・スペース」の存在を提唱し[3]、建築計画学の分野では人間のさまざまな動作空間の研究が行われてきた。
一方で「距離の近さ」ではなく「つながりの強さ」による近接性へのアプローチもある。現在よく使われる「社会的距離」(social distance)という言葉を最初に用いたのは、シカゴ学派の社会学者ロバート・E・パークである[4]。パークは人種問題の研究の過程で、個人的・社会的諸関係における親密さの度合いを「距離」と表現した。ただし、これはホールのような現実の長さに呼応したものではなく、後に続く研究者が行なったように理解や親密性の等級を段階的に区分する試みにつながった。1970年代以降の社会ネットワーク研究では、マーク・グラノヴェッターの論文「弱い紐帯の強さ」[5]を嚆矢として、人間どうしの「つながり」の研究が盛んになった。1本の弱いつながりが集団間の「橋渡し」の役割を担い、強いつながりによってネットワーク内の「結束」が発生するといった「つながりの強さ」に関する研究が展開する。物理的な距離を超えた近接性への着眼である。
デジタル、ディスクリート
以上のように、人間どうしの近接性は「距離の近さ」および「つながりの強さ」に影響を受ける。そして、その選択の多様性を担保するのが「デジタル」と「ディスクリート」の設定である。言いかえれば「フィジカル/サイバー」および「連結/分離」の選択が各人および集団の近接性を決定づける。
COVID-19がもたらす社会的影響の全容は明らかではないが、急速なデジタル化の進展は実感しやすい変化の一つであろう。テレワークやオンライン・サービスは、今やあたりまえの方法になった。最近の統計[6]によれば、世界総人口の約60%(45億人)がインターネットを利用し、約50%(38億人)がソーシャル・メディアを使用し、平均的なインターネット・ユーザは1日平均6時間43分をオンラインで過ごしているという。コロナ禍のなかで利用率がさらに上昇していることは想像に難くない。デジタル化はフィジカルとサイバーの融合を加速させ、私たちの日常生活における近接性のイメージを一新させた。実空間と情報空間を重ね合わせることで、距離の制約をのりこえ、必要なときに「つながり」を確保できるようになっている。クラウド・コンピューティングを使ったZoomのようなウェブ会議システムでは、多地点間の同時接続が可能であり、業務や教育のあり方を様変わりさせようとしている。
このような人々の離合集散の多様性に早くから注目していたのは建築家の原広司である。原は、位相空間における「離散性」から部分と全体の論理を見出した。「ディスクリート(離散的)な社会」とは、すべての個人が自立し、自由に集団を組むことができ、個人と集団が対等であるような理想的な社会である(分散状態の社会という意味では必ずしもない)[7]。このような離散状態を実現するための操作的な概念として「連結可能性」と「分離可能性」がある。たとえば家にあるドアは、その開閉の状態によって外部とのつながり方が変わる。当事者の連結/分離の選択によって近接性を制御できるのである。ドアは物理的な実体であるが、閉鎖や開放は出来事である。モノではなく出来事の連鎖として環境を設計することの含意を読み取ることができる。それは自分にとっての身の周り=近傍を定義することであり、皆で共有できる近傍を探求することである。ディスクリートな社会では、各人がバラバラな状態から一つになる状態までが、すべてデザインの可能性として包含されている。
近接性と空間デザイン
近接性の構成要因としての「距離とつながり」、その選択判断にかかわる「デジタルとディスクリート」の性向について述べた。これらの概要を、空間デザインの立場から整理する。図1では「距離とつながり」の視点から、既成の建築類型の「空間と人間」の関係を示している。次に図2ではデジタルとディスクリート、すなわち「実空間/情報空間」と「連結/分離」の視点から、「人間のつながりの状態」を示している。現在のコロナ禍で起きているのは、図1の空間状態に、図2の多様な人間関係を重ね合わせ、組み入れることである。そうすると、元々の建築プログラムでは想定されなかった使い方がでてくる。たとえば、自宅を仕事場にする、人の居場所を間引く、機能や動線を変更するといった対応である。こうした「ズレ」は以前から見られたが、コロナ禍によって一挙に顕在化した(これ自体が興味深い調査テーマでもある)。今後コロナ禍が収束するとして、現在の「新常態」がどこまで元通りに復帰するかはわからない。しかし、現在の利用状況のなかから新しい空間デザインの萌芽を読み取ることはできるだろう。
そこで、空間デザインを考える上での近接性の指標をブレークダウンして設定し、そこに見出せる新しい方向性を抽出してみたい。表1では、近接性の指標とその変動範囲を列挙し、新しい空間デザインの方向性を仮説的に例示している。@人間距離/A人間密度は、まさに距離と密度に関わる指標である。空間を疎拡化しつつ連続性や一体感をアフォードする仕組を併用すること、領域を分割して距離の制約を低減することが考えられる。B空間規模/C配置形式は、規模と配置に関わる指標である。大規模集中型(スタンドアロン型)に対して小規模分散携型(ネットワーク型)の配置をとることが考えられる。D利用動態/E機能分担は、空間の使い方に関わる指標である。動線の回遊化や機能の複合化によって、空間に新たな流動性をもたらすことができる。F境界状況/G空間形態は、連結と分離に関わる指標である。空間の境界や形態の可変性(操作性)を確保することで、使用者が近接性をコントロールできる。H時間同期/I世界設定は、時間と空間の基本設定に関わる指標である。非同期のコミュニケーションを許容し、また実空間と情報空間が共存するハイブリッドな空間活用に途をひらく。以上にあげた方向性の共通点として、多様な近接性に対して柔軟に適応できる「レジリエントな空間」であることがあげられる。
新しい近接性による空間デザインでは、既成の建築類型の形式を必ずしも前提としない。働く場所、学ぶ場所、展示する場所とは何かを、身体スケールの小さな「空間」から出発して考え、臨機応変に活動の場を組み立てることになるだろう。表1で示した新しい空間デザインの方向性の一部は、総合研究博物館のこれまでのプロジェクトで先行的に実践されている。たとえば、西野嘉章元館長が2006年に開始したモバイルミュージアムは、小規模分散連携型のネットワーク的なミュージアムを具現化するものである。次項以降では、総合研究博物館の小石川分館における最新の展示およびイベントの取り組みを例に、より具体的な報告を行う。
ボトルビルダーズ展ほか
小石川分館において最近開催された特別展示を通して、近接性の空間デザインへの実験試行の経緯を振り返る。2019年の10月26日に始まった特別展示『貝の建築学』では、展示ケースを巻貝に似た螺旋のかたちに配列した。螺旋の中心部には巻きが強く尖った貝類、終端部には巻きが緩く平たい貝類が置かれ、来館者はそのあいだに配された多数の貝類を螺旋に沿って観覧することになる。密接した連続性が展示の特徴であった。同展はコロナ禍拡大の影響を受けて2020年2月27日で公開が中止された。
小石川分館はその後約7ヶ月の臨時休館を経て9月24日に再開館し、特別展示『ボトルビルダーズ―古代アンデス、壺中のラビリンス』が開催された。同展では三密回避に配慮した会場レイアウトが検討された。「貝の建築学」展と同じ展示ケース(アクリルカバーは山型に変更)を使い、それらを時計の文字盤のように放射状に配列し、ケース相互間の距離は2Mを確保した。来館者は展示空間を反時計回りに移動しながら、展示物を順次鑑賞していく。古代の造形思考に現代の研究者が迫る本展では、オリジナルのボトルのほかに、各種のレプリカ群(土器、インダストリアル・クレイ、3Dプリント)が一つのセットとなって各展示ケースに列品される。表1の方向性に関連していえば、展示室の「距離/密度」は疎拡化されているが、展示ケースごとにコンテンツのまとまりがある。一方「利用/機能」の面では円周状の回遊動線によって「つながりの強さ」を獲得している。空間の社会距離と回遊性、内容の独立性と一体性を両立させた展示デザインである。図3に会場配置俯瞰図を示す。
展示室だけでなく、小石川分館全体としても感染症拡大の防止対策を行っている。入館時に検温や記帳などの入館手続きを行い、在館人数の上限を定めている。館内の順路は一方通行として動線の交錯をなくし、各階で定時的に窓を開けて自然換気を行っている。ボトルビルダーズの映像展示は中央階段の踊場で展開しているが、これは展示室内の滞留要因をなくして来館者の分散をはかるためである。
建築博物教室
小石川分館の「建築博物教室」は、さまざまな分野の研究者が「アーキテクチャ」をテーマに講演し、同時にモバイル展示を制作するシリーズ・イベントである。第21回「土笛のアーキテクチャ――ボトルの迷宮に秘められた音色」が2020年11月14日に開催された。ボトルビルダーズ展に関連する企画で、講師は岡山県立大学の真世土マウ准教授(セラミック・デザイン)である。
通常であれば、建築博物教室は2階展示室の展示物を引き払って座席を密に並べて開催される。今回はその実施方式が根本から再検討された。全体の在館人数を制限し、互いの社会距離を確保しつつ、なるべく多くの参加者が聴講できるように、3段階のレイヤーに分けて参加方式
を設定した。図4にその概念図を示す。
第1会場はボトルビルダーズ展の展示室であり、ここではリアルな聴講が可能である。講師が会場中央でレクチャを行い、参加者は放射状の展示ケースの間に1人ずつ着席する。第2会場は同じ2階にある東大模型展示室である。グリッド状に疎に配置された座席に座り、参加者はZoomの映像でレクチャの様子を聴講する。レクチャ終了後には第1会場に行き、土笛のハンズオンを体験し、1階テラスで講師の話を直接聞く機会もある。第3会場はインターネットを介したZoomで
ある。第1会場の様子は、Zoomを使って第2・第3会場に生中継される。Zoomではレクチャのスライドだけでなく、外部接続のウェブカメラを使って講師の笛吹き実演や手捏ね作業の様子を映し出した。鶴見が全体の司会、編成、質疑受付を担当し、3会場がうまく同時進行するように調整した。図5に各会場の写真およびアーキテクトニカ・コレクションを示す。
表1の方向性に関連していえば、今回の試みはフィジカルとサイバーを併用したハイブリッドな開催形式である。情報空間(Zoom)では同じ情報コンテンツを共有しつつ、実空間(小石川分館)では距離的なアクセスを段階的に設定している。このような段階性には、近接性の解像度(resolution)とでも呼ぶべき質的な特性があると考えられる。
人間の社会環境がどのようにデザインできるのか。近接性の再構築という観点から、空間デザインの新しい方向性を検討してきた。近接性による空間デザインとは、人間どうしの「距離とつながり」をデザインすることであり、時空間的な多様性のなかで連結や分離を設定することである。そのとき求められる空間は、事務所や学校や博物館のような従来からの建築類型(ビルディング・タイプ)の枠組みと同じであるとは限らない。近接性に対応するには、個人や役割に紐付いたより小さな空間、いわば空間類型(スペース・タイプ)のようなものが稼働しうる。たとえば広場やフォーラムのような、建築よりも大きな領域が都市のベースをなし、そこにさまざまな固有の空間類型が共存するようなイメージを想定できる。多様性と共通性が共存しうる社会環境とは何か。ミュージアムの次世代像を出発点として引き続き検討したい。
参考文献
[1] Hediger, Heini (1961) "The Evolution of Territorial Behavior," in S.L. Washburn, ed., Social Life of Early Man. New York: Viking Fund Publications in Anthropology, No.31.
[2] エドワード・ホール著,日高敏隆・佐藤信行訳(1970)『かくれた次元』,みすず書房.
[3] Sommer, Robert (1969) "Personal Space: The Behavioral Basis of Design," Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall.
[4] Park, Robert E.(1924) "The Concept of Social Distance As Applied to the Study of Racial Attitudes and Racial Relations," Journal of Applied Sociology 8, pp.339-344.
[5] Granovetter, Mark S. (1973) "The Strength of Weak Ties," American Journal of Sociology, Volume 78, Issue6, pp. 1360-1380.
[6] DIGITAL 2020 https://wearesocial. com/digital-2020
[7] 原広司(2004)「離散性(ディスクリートネス)について--連結可能性と分離可能性をめぐる小論」,『HIROSHI HARA DISCRETE CITY』Vol.1,TOTO出版.
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