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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime25Number3



データベース紹介
関野貞コレクションのデータベース公開

早乙女雅博(本館研究事業協力者)

 東京帝国大学工学部建築学科教授であった関野貞(1868−1935年)は、19世紀末から20世紀前半に日本、朝鮮、中国で寺院などの古建築を中心に仏教彫刻、美術、考古などの文化財を調査研究し、その保存に貢献した。関野貞が収集した資料を一括して関野貞コレクションと呼び、フィールドカード、写真、拓本、その他の4項目に分けて公開する。この作業は今後も続き、日本、中国も含めて写真、拓本、図面、地図、文書、原稿などを順次公開する予定である。 フィールドカードは5000枚を超えるが、『標本資料報告第53号 関野貞コレクションフィールドカード目録』として2004年に発行し、その画像を含めたデータベースも当館のホームページですでに公開した。そのなかの日録(日記に相当)は、奈良文化財研究所が所蔵している1897〜1905年の日記を含めて『関野貞日記』(中央公論美術出版)として2009年に発行した。
 関野貞の資料は、生前に東京帝国大学工科大学に所蔵されたものと、長男の関野克教授が勤めていた東京帝国大学第二工学部(のち生産技術研究所)で保管されてきた資料がある。後者の資料は2003年に総合研究博物館に移管された。その量は段ボール箱で70箱に及び、2004年より小石川分館にて教員、研究員、大学院生などが協力して整理を始めた。この間に、これらのコレクションを中心に関野貞の研究と学術や文化財への貢献について2005年に当館で展覧会を行い、『東京大学コレクションXX関野貞アジア踏査』を刊行した。段ボール箱へは関野貞が整理して収めたのではなく、おそらく関野克かそれ以降の教授が収めたようで、ある程度のまとまりで入っている箱とまとまりのない箱があった。そこで日本、朝鮮、中国の地域に分けたのち、写真、図面などの種類ごとに分けて番号を付けた。
 関野貞は、1896年から奈良・京都を始めとする古社寺の調査・保存を担当し、1901年には東京帝国大学助教授に就任し、1902年には大韓帝国の古建築調査を行なった。その関わりのなかで1909年から朝鮮の古蹟調査を担当し、毎年朝鮮に渡って古蹟(文化財)目録を作成した。1916年に朝鮮総督府のもとに古蹟調査委員会が発足すると、その委員となり朝鮮での古蹟調査の中心的役割を果たした。それは、1935年に没するまで続いた。その成果は、楽浪郡から朝鮮時代にわたる『朝鮮古蹟図譜』全15冊の書籍としても出版され、それに対してフランス学士院から「スタニスラスジュリアン」賞を受けた。
 今回のデータベースは、その時に現地で撮影したり入手した写真のうち、朝鮮半島の写真を中心に当館小石川分館のデータベースとして公開する。1910年代に朝鮮半島で撮影したもの、古蹟調査委員として集めた写真が多くあり、『朝鮮古蹟図譜』に収められた写真もある。その内容は、ピョンヤンや中国の集安にある高句麗壁画古墳、扶餘の百済古墳、慶州の新羅古墳、1916年に調査した高麗時代の王陵、そして市街や農村の風景や風俗が含まれる。今から100年前の姿を写しており、現在は破損したり、一部消滅したものもある。さらに、古蹟などは研究者の視点から撮影された写真であり、これらは学術研究の上で貴重な写真となっている。写真そのものも劣化していくので、デジタル画像として残していくことは重要である。
 写真とは別に、重要な拓本も画像を公開する。それは、414年に中国吉林省集安市に建てられた高句麗の「広開土王(好太王)碑」の全4面の拓本である。碑は高さ約6.4mの凝灰岩の方柱で、縦書きの漢字で約1775文字が彫り込まれ、高校の教科書にも写真が掲載されている。碑文には、高句麗と百済・倭が交戦したことが書かれ、日本の古代史にとっても重要な学術資料である。拓本は、石の表面に紙を当てて墨で打つと、彫られた文字のところの紙が窪んで墨が付かずに白いままなので、周りの黒色と区別して読むことができる。コレクションの拓本は、まだ裏打されず折り畳んだ状態であったが、それを開いてスキャンした。長さ5.4m、幅2m〜1.4mと大きく、しかも裏打ちがないので開くたびに痛むので、多くの研究者の要望に応えるためデジタル画像を作成し、文字は実物大に拡大しても見られるようにした。この拓本を東大小石川分館本と呼ぶことにする。
 1914年に東京帝国大学工科大学に所蔵された仮表装の広開土王碑拓本(東大建築史本)と非常によく似ているので、この2種は同時期に拓本が採られたと考えられる。後者の拓本は1914年3月30日に台帳登録されているので、関野貞が1913年10月の集安調査で入手した拓本であることがわかる(「広開土王碑の拓本」『Ouroboros』7号、1999年参照)。四つの面のうち第V面が欠けていたが、東大小石川分館拓本は4面とも揃っており、1913年の拓本の標準資料となる。




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D-11-91 京義鉄道起工式人出.

広開土王碑拓本T面 D-22-1-1(東大小石川分館本).

広開土王碑拓本T面(東大建築史本).