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IMT特別展示
『蘭花百姿―東京大学植物画コレクション』によせて
寺田鮎美
(本館特任准教授/文化政策・博物館論)
インターメディアテクでは、2021年6月19日から9月26日まで、2階「GREY CUBE (フォーラム)」にて、特別展示 『蘭花百姿?東京大学植物画コレクション』を開催している。連続企画「インターメディアテク博物誌シリーズ」の第八回として、東京大学コレクションから蘭(ラン)が描かれた植物画に焦点を当て、多種多様な蘭の姿を科学的に観察するとともに美術的に賞玩する機会となる展覧会である。
なぜ蘭なのか
本展示は『蘭花百姿』のタイトルの通り、明治期から現代まで、東京大学の植物学研究の傍らで描かれてきた多種多様な蘭の植物画とその関連展示物が一堂に会する、まさに「蘭尽くし」の企画である(図1)。大学雇いの画工の手になる明治期の彩色画や現代の標本図作家の線画をはじめ、東京大学歴代の植物学者らが収集したおし葉標本、彼らが研究成果を発信した出版物に掲載された図版のすべてが蘭である。
本展示を企画するにあたり、東京大学総合研究博物館が所蔵する明治期の植物画コレクションのなかで、蘭を描いた図の数々が審美的にわれわれの目を引いていたのは一つのきっかけとなっている。蘭と言えば、鑑賞価値の高い植物として一般に人気を誇ることで知られる。しかし、美しいからという理由でこれらの蘭の図が多数描かれたのではないことは、対象の植物の構造を図解するという、植物画が植物学研究に果たす役割を考えれば自明である。
では、なぜ多数の蘭の植物画が東京大学コレクションに含まれるのか。その大きな理由には、ラン科(Orchidaceae)の種数の多さと分布域の広さが挙げられる。ラン科は2万種超から成り、被子植物のなかで最も大きな科の一つとして世界中のほぼ全域に分布する。また、日本に分布する蘭は北米や欧州に比し、はるかに種数が多い。そのことから、ラン科植物は、東京大学の歴代の植物学者らが国内外のさまざまな地域の植物相調査を行うなかで研究対象となってきた。それゆえ、東京大学コレクションを見渡した時に、植物学研究のために蓄積されてきた蘭の植物画と標本は、その量と多様性が際立つ一群として注目することができる。そこで、今回は蘭をテーマとし、植物学の発展を支えてきた植物画の役割と東京大学における植物学研究の歴史の一端を紹介することを企画背景の中心軸に据え、植物画に標本や学術出版物を組み合わせ、多種多様な蘭の姿を一堂に集めた展示を行うことになった(図2)。
多様性を楽しむ
本展示を楽しむキーワードには「多様性」を挙げたいと思う。本展示で紹介する蘭は、明治期に初めて日本に将来したと考えられる種類の洋蘭も含まれるが、植物学者の研究対象となったものであることから、園芸種ではなく、一般的に呼ぶところの山野草や野生の蘭が多い。一口に蘭と言っても、大きさや形状が一見して実に多様である。和名がつく蘭の名前を見ると、マメヅタラン(豆蔦蘭)やボウラン(棒蘭)など、蘭と付くものもあれば、アツモリソウ(敦盛草)やサギソウ(鷺草)のように付かないものもある。名前からは、過去の人たちがどのようにその蘭の特徴を捉えていたかという文化的側面がわかる。この点に注目しながら、蘭の図や標本を見比べるのも面白いだろう。
今回展示する植物画の描き手の多様性にもぜひ注目してほしい。江戸時代の狩野派の流れを汲む絵師の加藤竹斎(1818−1886)、画塾にて洋画の技法を身につけた洋画家の松井昂(1854−1933)や渡部鍬太郎(1860−1905)は、日本画と洋画という異なるバックグラウンドをもちながら、明治期に大学雇いの画工を務めた人々である。さらに、東京美術学校の第一回生として同校を卒業した日本画家の高屋肖哲(1866−1945)、植物学者の牧野富太郎に描画指導を受け植物画制作に従事した山田壽雄(1882−1941)、日本で美術専門教育を受けた後にオランダの旧王立植物標本館にて標本画の訓練を積んだ中島睦子(1939−)による図が並ぶ。植物学者として、自身で緻密な図を描いた牧野富太郎(1862−1957)や生きた植物の写生に優れていた寺崎留吉(1871−1945)も巧みな植物画の描き手として今回の展示で紹介するなかに加わっている(図3)。
蘭の標本や出版物には、東京大学初代植物学教授の矢田部良吉(1851−1899)のほか、明治期の植物学研究の発展に大きく寄与した松村任三(1856−1928)、三好学(1862−1939)から、ラン科植物の研究や著作で知られる前川文夫(1908−1984)や津山尚(1910−2000)といった昭和初年代に東京帝国大学で学んだ人々まで、東京大学歴代の植物学者らの名前を見ることができる。蘭の多様性ゆえに、このような多彩な植物学者たちの顔触れがあり、また、植物画制作において画家と協働する立場にあった植物学者諸氏の存在が、今日東京大学に残る植物画やその描き手の多様性の理由となっているという関係性に目を向けると、展示全体がより立体的に見えてくるような視界が開ける楽しさを得られるのではないか。
蘭の博物誌
本展示では蘭の植物画や標本のほか、関連展示物として「蘭熱狂」と呼ばれる空前の蘭収集ブームが起こった欧州で19世紀に刊行された大判蘭図譜や、近代的な温室での蘭栽培の様子がわかる20世紀初頭の写真絵葉書を取り上げている。これらからは蘭の栽培や鑑賞の歴史が見えてくる。盆器(植木鉢)や花器は、蘭が直接かたちに見えない展示物であるが、東京大学大学院理学系研究科附属植物園(小石川植物園)では、現在でも、江戸から幕末期の園芸文化に連なる趣味を思わせる装飾的な染付等の植木鉢に蘭が植えられ、温室で栽培・展示されている例が確認できるように、これらもまた、蘭の栽培や鑑賞を語る資料である。
さらに、射程を拡大し、蘭をモチーフとした出版物・写真・絵葉書等、蘭の趣味の文化史を物語るいくつかの例も取り上げている。華やかな洋蘭を多く載収する明治期の彩色木版画集には、蘭の多彩な品種への人々の関心とその人気ぶりが窺える。また、明治後期から大正期に流通した台湾の胡蝶蘭の写真絵葉書は、時に土産物として多くの人の手に渡り、時に収集趣味の対象となり、人々の目を楽しませていたものと推測される。このように、自然誌から文化史まで、蘭を多角的な視点から捉え、蘭の博物誌を楽しむことができる構成としている点は本展示の特徴の一つである。
『蘭花百姿』と聞いてすぐに連想した人もいるかもしれないが、本タイトルは、幕末・明治の浮世絵師として知られる月岡(大蘇)芳年(1839−1892)の「月百姿」に着想を得ている。「月百姿」は芳年の最晩年の傑作と評価される全百点の大判錦絵で、月に因んださまざまな物語や説話を題材にしたものである。とはいえ、全点に月が描かれているわけではなく、月に纏わる物語や説話を典拠とする作品は実はそれほど多くないと言われている。芳年の「月百姿」は百点で完結しているが、月がいわば全体をまとめる役割として抽象化されていると解釈すると、創作者さえいればまだ作品を追加することが可能な枠組みが提示されていると言えるかもしれない。『蘭花百姿』展もまた、植物学と植物画の関係性や研究のあり方、そしてわれわれと植物との関わりの自然誌・文化史に目を向けることを狙いとして、蘭というテーマを上段に掲げる枠組みが成立していると考えられる。つまり、蘭尽くしの博物誌は尽きることなくさらなる拡がりを獲得しうるのではないだろうか。これは、今後の企画展開への期待も込めて、本展示公開後にタイトルや内容を改めて振り返った所感である。
本展示は、名に違わぬよう百点を超える展示物を集めることを目標としていたが、前期(6月19日−8月1日)と後期(8月3日−9月26日)で一部の植物画およびおし葉標本全点の展示替えをしたものを含め、実際には全139点を数え、そのほとんどが初公開となった。多くの人に楽しんでいただく展示となっていれば幸いである。
付記
本展示の前段には、特別公開『東大植物学と植物画?牧野富太郎と山田壽雄』としてインターメディアテクで2020年よりシリーズ化した企画がある(『ウロボロス』vol.24 no.3、2020年3月を参照)。また、藏田愛子さん(東京芸術大学日本・東洋美術史研究室教育研究助手/本館研究事業協力者)が総合研究博物館所蔵の明治期の植物画群の資料調査を行うなかで蘭というテーマの端緒を開いたのをきっかけに、本企画の本格始動に至った。展示の準備は、池田博先生(本館准教授)、清水晶子さん(本館キュラトリアルワーク推進員)、藏田さん、筆者らが中心となって進め、植物部門の皆さんのサポートを得て、インターメディアテクとミュージアム・テクノロジー寄附研究部門教員により展示作業が行われた。
さらに、邑田仁先生(東京大学名誉教授・元大学院理学系研究科附属植物園園長)、邑田裕子先生(元摂南大学薬学部)、根本秀一さん(大学院理学系研究科附属植物園特任研究員)からは、植物園所蔵の蘭の植物画、図譜、植木鉢コレクションを展示物候補としてご紹介いただき、本企画の方針や内容についても有益なご助言を賜った。植物園並びに総合研究博物館所蔵ともに、本展示で公開する明治期の植物画については、国立科学博物館筑波実験植物園の遊川知久さんに同定していただいた。標本図作家の中島睦子さんからは、2013年・2016年に当館に著書『日本ラン科植物図譜』(2012年)の原画とスケッチの寄贈があり、本展示にてそれらをお披露目する機会をいただいた。そして、大学院理学系研究科附属植物園、理学図書館、クリスチャン・ポラックさんには、本展示開催のために貴重な資料をお貸し出しいただいた。
このように、館内外のさまざまな方々の協力により、本展示開催の実現が叶った。ここに記し、重ねて心より感謝申し上げたい。
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図1 特別展示『蘭花百姿?東京大学植物画コレクションより』展示会場風景.
図2 東京大学総合研究博物館所蔵のラン科植物標本とそれを参照した中島睦子によるスケッチを組み合わせた展示.
図3 東京帝国大学理科大学植物学教室編纂『大日本植物志』第1巻第3集(1906年)の表紙と牧野富太郎原画による第11図版「ボウラン(棒蘭)」の展示.