A35
縄文時代の装身具
装飾品遺物の出土が、真福寺貝塚からが多いことは、大正・昭和期から指摘されてきた。展示品の土製品耳飾りは、1940年の発掘調査によると思われ、直径3から4cmのものが多く、小さいものは直径2cm未満である。腰飾りと呼ばれている鹿角製品は、短剣の柄として出発し、縄文時代晩期には小型になり、装飾品化していった。先端が尖った小ぶりな鹿角棒を挿入し、腰からぶらさげていたと推測されている。 (諏訪 元)
装飾品遺物の出土が、真福寺貝塚からが多いことは、大正・昭和期から指摘されてきた。展示品の土製品耳飾りは、1940年の発掘調査によると思われ、直径3から4cmのものが多く、小さいものは直径2cm未満である。腰飾りと呼ばれている鹿角製品は、短剣の柄として出発し、縄文時代晩期には小型になり、装飾品化していった。先端が尖った小ぶりな鹿角棒を挿入し、腰からぶらさげていたと推測されている。 (諏訪 元)