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遺跡に生息する危険生物
西アジアのサソリ
考古学の発掘調査では地層にしたがって地面を掘り進める。そのさまは土木工事の現場と同じで、作業にあたっては安全に万全を期さねばならない。物理的な危険だけでなく、遺跡にいる生き物にも気を遣う必要がある。西アジアのような乾燥地の場合、ヘビやムカデもいるが特に要注意なのがサソリである。東京大学が長く発掘を続けていたイラクやシリアの現場ではたくさんのサソリに出会っている。遺跡にいるだけでなく宿舎にも頻繁に出没した。毎朝、出かけるときには靴をひっくり返して中にサソリがいないか確かめてから履くようにと先生から教わったものである。
サソリは節足動物門鋏角亜門クモ綱サソリ目に属する動物の総称で、前脚に鋏、尾端に毒針を持つことから恐れられている。世界各地に生息し1,000種以上も知られているが、生命の危険に関わる強毒を持つ種は25種程度に限られる。一般に夜行性で、昼間は地下の凹みや石の隅間などの暗く涼しい場所に潜み、夜になると食物を求めてよく外に這い出す。また、昆虫などの小さな節足動物を捕食する肉食性だが、その多くは鳥やネズミ、トカゲ、大型ムカデなどの天敵から逃れるために光を嫌う習性がある。
そのような習性だから、発掘がおこなわれる昼間は日射を避け表土にもぐっている。したがって、表土を掘る発掘初日、あるいは新しい発掘区を設けた初日が一番あぶない。大量のサソリが目の前にガサガサ現れるのである。展示したのは、シリアとイラクの遺跡で機会をみて採集したサソリである。スコップですくった後、バケツなどの深い容器に入れて天日干しした。
シリア産のサソリはButhidae科Androctonus属に属する種で、大きさはまちまちであるが、すべて同種と考えられる。小さい個体は幼体である。イラク産もButhidae科の種であるが、幼体なために詳細な同定はなしえていない(すべて山崎一憲博士同定)。Buthidae科の中でもAndroctonus属は世界で最も危険なサソリの一群で、その毒成分には強力な神経毒が含まれており、毎年何人もの死者が出ているという。
展示品をみるとシリアのサソリの方が大きいようにみえるが、サイズにはあまり意味は無い。これらは考古学の安全教育のために採集したものであって、系統的に集めた生物学的研究標本ではない。もっと大きな10cmを超えるサソリに出くわしたこともある。だが、そうした大きいサソリを考古学の現場で標本化するのは容易ではない。危険を熟知している現地作業員があっという間に撲殺してしまうからである。 (西秋良宏・矢後勝也)
参考文献 References
Hendrixson, B. E. (2006) Buthid scorpions of Saudi Arabia, with notes on other families (Scorpiones: Buthidae, Liochelidae, Scorpionidae). In: Büttiker, W. et al. (eds.) Fauna of Arabia 21: 33–120. Basel: Karger Libri.