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    ナトゥーフ期の食用植物、デデリエ洞窟、約13000年前。上段:コムギ、ブドウ(左から)、中段:エノキ、アーモンド、下段:ピスタチオ(撮影:赤司千恵)

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    植物刈り取り用の鎌刃、デデリエ洞窟、約13000年前。長さ(左端):4.5 cm(K25-39-42ほか)

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    デデリエ洞窟の天井開口部。現在は岩山だが、かつては豊かな植生が拡がっていたと考えられる(撮影:西秋良宏)

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C8
ナトゥーフィアン
氷河期末の温暖化に適応した定住的狩猟採集民

600万年以上も続いた人類の狩猟採集生活にピリオドが打たれたのは、西アジアが最初である。1万年より少し前、ムギやマメ、ヤギ・ヒツジを生産する食料生産経済へ移行した。この経済変革はその後、文明の誕生につながり、ひいては現在の私たちの生活基盤そのものを築くことになった。人類史上の大事件であったといってよい。

この変革には、日本の縄文時代から弥生時代への移行も含まれるが、周辺地域(日本の場合は中国や朝鮮半島)からの外的刺激で移行した場合と自発的に移行した場合とでは意味合いが違う。西アジアの移行は、自発的な移行が世界で最初に達成されたケースとして、そのプロセスの理解にはつとに注目が集まってきた。

これまでの理解によれば、まず、定住が始まりついで植物栽培、そして動物の家畜化がおこった。1万5000年頃前から1万年前頃にかけての出来事である。

その幕開けを飾ったのがナトゥーフィアン(ナトゥーフ文化)という西アジア地中海沿岸にひろがった生活様式である。展示物のような三日月形の細石器を特徴とするが、同時に、石壁をもつ竪穴住居、重量石器、さらには岩盤をくりぬいた容器など持ち運び不能な施設がともなう。定住の証しである。

この研究に格好の資料を提供したのがシリアのデデリエ洞窟である。1989年から2011年まで赤澤 威教授(元総合研究資料館)らを中心に発掘された。道具や建物にも重大な発見が含まれていたが、最も注目すべき発見は大量の有機物遺物であった。建物が焼けていたために食用植物が炭化して良好に残っていた。最も多かったのはエノキやピスタチオ、アーモンドといった木の実類である。一方、ムギ類やマメなど、新石器時代以降、栽培化される植物も見つかった。ヤギの放牧がさかんな現在、周辺地域は禿げ山になってしまっているが、かつては豊かな植生が利用できたのであろう。

この文化の開始は更新世末の気候温暖期、いわゆるベーリング・アレレード期の開始とほとんど一致している。温暖化とともに森林環境が拡大し、内陸沙漠には草原が出現したのだろう。森林と草原双方の資源が利用できるデデリエのような山麓部には多くの集落が設けられた。人口増と定住。その進展にともない狭い地域に定着した集団は、利用できる資源の徹底的な開発に向かったらしい。ナッツ類の利用と同時に穀類の本格利用が始まったことに大きな意義がある。

この経済は、1万3000年から1万1500年前まで続いた寒冷乾燥期、寒の戻りともいうべきヤンガードリアス期に変更を余儀なくされる。資源の縮小に直面したステップ地帯の集団は、穀物栽培に乗り出したらしい。そして、ヤンガードリアス期が開けた頃、完新世の始め、そこで始まるのは本格的な食料生産であった。 (西秋良宏)

参考文献 References

Nishiaki, Y. et al. (2011) Newly discovered Late Epipalaeolithic lithic assemblages from Dederiyeh Cave, the northern Levant. In: Healey , E. et al. (eds.) The State of the Stone, pp. 79–87. Berlin: ex oriente.

Tanno, K. et al. (2013) Preliminary results from analyses of charred plant remains from a burnt Natufian building at Dederiyeh Cave in Northwest Syria. In: Bar-Yosef, O. & Valla, F. (eds.) Natufian Foragers in the Levant, pp. 83–87. Ann Arbor: International Monographs in Prehistory.