総合研究博物館には大量の学術標本が保管されている。そして、このことがこの博物館を学内でもユニークな部局たらしめている。ここでは、自然史・文化史を問わずほとんどあらゆる分野の学術標本が利用できる。その数量は、本学にあるとされる標本のうちの4割以上にのぼると見積もられている。モノの研究者にとってまことに恵まれたこの研究教育環境を維持・発展させていくことは、総合研究博物館現スタッフに課せられた重要な業務である。それには、新たな標本を収集し、より充実した環境を作り出すことも含まれる。資料館から博物館への改組後10年間に、どのような標本が収集されたのだろうか。以下に、収集標本の種別、入手経緯、数量について述べてみる。
収集標本は多彩である。鉱物、動物、植物、人類、医学などの自然史標本から絵画、考古標本といった文化史標本、さらには教育機器などの科学史関連標本まで多岐にわたっている。「総合」研究博物館としての特性は堅調に維持されていると言える。同時に、標本の種類が所属教員の専門分野と密接に関わっている点にも気づく。特定の専門をもつ教員がスタッフに加わると、その分野の標本が増加を始めるという傾向がみてとれる。当然と言えば当然のことかも知れないが、研究とともにコレクションが形成されていくという、この博物館の標本収集の特徴がよくあらわれている。
なかでも昨今目立つようになったのは、教育史、科学史関係の標本である。活版印刷関連資料コレクション、工部大学校機構モデルコレクション、スイス製大型金属材料試験器などがそれである。この分野の標本は資料館時代にはほとんど収集されていなかった。1997年に東京大学創立120周年を記念して総合研究博物館が企画した「学問のアルケオロジー」展が契機となり、教育機器の学術的・歴史的価値が再認識された結果と考えられる。既存の17資料部門のどこにもあたらないそれらの標本類は当初は分蔵される傾向にあったが、現在では2001年にオープンした小石川分館がその受け皿として機能している。同分館は学校建築、教育史を主たるテーマとした施設であるから、新たな収集分野形成のために、まさに場を得たと言いうるだろう。
ところで、こうした標本の入手には、大きく分けて3つの方法がある。1つは、研究部・資料部所属教員の調査研究にともなう収集である。第2 は館外の個人・機関からの寄贈や寄託、そして、第3 は購入である。総合研究博物館には標本購入費が予算措置されていないため、購入による収集はきわめて少ない。フィールドワークでは収集しがたい標本、たとえば隕石などが、まれに限られた研究費で購入されるにとどまっている。したがって収集の主力は前二者である。
調査研究にともなう収集の大口はフィールドワークである。それは資料館時代から変わらない。本誌別項でも述べられているように、植物、動物、人類、考古、海洋生物などの野外調査が毎年継続されており、毎年、多くの標本がもたらされている。なかには西アジア考古、ヒマラヤ植物など半世紀ほどもの歴史をもつ海外調査もあり、豊富な標本が集められ続けている。西アジア調査にかかわる筆者の場合について言えば、ここ10年で得た土器片、石器、動物骨などの考古標本、それにフィールドワークにともなう写真類を含めれば、総計は優に万を超えている。ただし、昨今、標本の国外持ち出しが制限されるようになったため、帰国するたびに木箱に数十箱集まるといったかつてのような収集はできなくなっているのが現状である。
その一方、急速な増加をみせているのが寄贈による標本である。寄贈者は篤志家たる個人によるものの他、学外の公的機関、さらには学内諸部局からの寄贈・移管まで幅がある。また、単品の寄贈から、井の頭自然文化園による収蔵品一括寄贈や須田昆虫コレクションのように1件が10 万点を超えようかという大型コレクションまで、サイズも多様である。こうした寄贈・寄託品の急激な増加は、総合研究博物館が標本の受け入れ先となりうることが学内外に認知されてきた証であろう。頻繁に開催される特別展示、あるいは年2回ほど実施している新規収蔵展示と題した寄贈品のお披露目展示が、認知度向上に大きな役割を果たしてきたものと推察される。また、寄贈の機縁は、突然、館外から話がまいこんだ結果得られたと言うよりは、教員の調査活動の過程で生じたという場合が少なくない。その意味で、寄贈・寄託標本の増加は博物館のアクティヴィティ増大の結果に他ならないと考えられる。
さて、博物館発足以来、標本の数はどれくらい増加したのか。よく聞かれる質問ではあるが、答えるには勇気がいる。未整理のため報告されていない標本が少なくないこと、専門分野によって数え方の単位が異なることなどのため集計は容易でないからである。例えば、一式とすれば一点でしかない活版印刷関連資料コレクションも、それを構成する活字を一つずつ数えれば300 万点にもなる。その種の資料は一式として、あえて概数が判明
しているのもののみを合計すると、約52万点となった。資料館時代の1976年の館蔵品は約130 万点、博物館発足時の1996年には約240万点と推計されていたから、これだけみれば標本の増加ペースは年5万点程度でかつてと大差ないようにみえる。ただし、今回集計に加えなかった数百箱の未整理標本や、計数されていない標本を合わせれば倍近くになるのではないかというのが、筆者の印象である。
未計数標本には教員各自が研究中の標本が多く含まれている。研究中であるかぎり館蔵品としての登録は進まないから、なかなか表には出てこないし、必要に応じて破壊分析したり国内外の研究者間を移動することもあるため、実数も確定しない。心許ないという意見もあろうが、こうしたあり方は、実は、創立以来続いてきた本学における標本収集の特質であると思われる。学術標本とはそもそも研究の過程で生成されるものだからである。いつの間にか蓄積され、教員の定年などにともなって後継の研究者のデータベース化作業を経て一気に計数されていくのだろう。
数量について語るのが難しい理由はほかにもある。収蔵庫におさめた後でも新しい標本が生産されうるからである。その好例の一つは、2004年に特別展示された古新聞紙であろう。元来、植物調査などフィールドワークで入手した標本の台紙・包装紙として保管されていた新聞紙が標本に姿を変えた。古紙としての学術的価値が見いだされた今、標本として扱われ、万の単位で数えるまでになっている。いわば館内で収集された標本であり、異なる眼目をもった研究者の集う博物館ならではのことである。モノの歴史的価値は日々増大するから、今後も類例は増加するに違いない。明治初期から用いられ続けている標本収納箱や収蔵棚すら今や、標本になろうとしている。
キュラトリアル・ワークが標本の数を変えることは、ささやかながら筆者の分野でも日常事である。西アジア地域の考古遺跡で発掘された完形土器は博物館発足当時150 点とされていた。しかし、現在では450 点を超えている。新規の発掘品が加わったわけではなく、整理や研究の過程で既存の破片類が接合され、完形品に姿を変えたのである。こんな事例はいくらもあるにちがいない。
私たちの標本収集は多くの場合意識的であるが、時には無意識でもある。収集は調査研究や利用、キュラトリアル・ワークと密接不離であり、それが続く限り収集はやまないということだ。コレクションとはまさに博物館活動が生みだし育てる生き物であることを実感する。コレクションが順調に育っているのを見るのは大きな楽しみではあるが、大きくなりすぎて建物の器におさまらなくなりつつあることが一方で私たちの大きな悩みのたねにもなっている。