大学博物館の膨大な学術標本コレクションに貴重なものが様々に含まれているとするならば、それは東京大学の歴史において、独創的な研究が活発に実施されてきた証しであろう。我々もまた、そうした過去の遺産を受け継ぐに止まらずに、学術標本を巡る第一線の研究を自ら先導することを目標に掲げたい。それなくしては、特徴的な学術標本コレクションを創生・収集することも、高水準のキュラトリアル・ワークを達成することも、標本分析や研究利用においてオリジナリティを発揮することもないであろう。
こうした観点からは、まずはフィールド・ワークの重要性を挙げることができよう。世界各地における我々のフィールド・ワークについては他稿で紹介されているが、近年では、学内そのものをも新たなフィールドと位置づけ、「学誌財」コレクションの収集と研究にも取り組んできた。また、同等に問われるのが学術標本コレクションを巡る、それぞれの学問領域における一次的研究であろう。それらの成果次第で、標本コレクションの意義もまた高められるからである。さらには、伝統的な学問領域の枠にはとらわれない、新たな視点による「メタ」標本研究の推進も重要であろう。ここでは、これらの様々な視点による、当館における標本研究の営みをオニムバス風に例示してみることとする。
ヒマラヤ高山帯の植物調査関連の研究としては、特に、極限環境に生育する植物の適応と系統分化について標本研究が推進されてきた。ヒマラヤ・中国西南部地域の高山に見られる植物の特異的な生育形態に、温室植物、セーター植物、雨傘植物などの新概念・術語を提唱し、紫外線に対する適応進化など、これらの植物の特性や適応的意義を論じてきた。
大型哺乳動物の生態学調査を国内外で継続してきたが、その中でも直接標本を対象とした研究としては、ニホンジカの生態条件と形態特徴に関する研究を挙げることができる。生態情報を付随する動物標本は一般には必ずしも多く存在しないが、そうしたニホンジカの標本収集に尽力し、体重の成長曲線や歯の磨耗などの年齢変化を調べ、これらと生息地の植生環境との関連などを調べてきた。
深海のプレートの境界周辺には硫化水素やメタンを含む熱水噴出域・冷水湧出域があり、それぞれの環境に特異的な化学合成生物群集が繁栄する。日本の周辺は、種多様性が高いことで世界的にも有名であるが、深海調査によって発見された多くの新種を研究論文として発表し、タイプ標本を本館に収蔵している。また、走査型電子顕微鏡を用い、従来は判別できなかった炭酸カルシウムの微小結晶の形態特徴をカサガイ類の貝殻で多数特定することができた。今後はこの方法による古生物古環境学的な展開が期待されている。
エチオピアにおける初期人類の化石調査も博物館への改組以前から継続中であり、新種の発見とそれらの形態学的な標本研究に携わってきた。中でも、440万年前のアルディピテクス・ラミダス、570万年前のアルディピテクス・カダバの研究には、当館におけるマイクロCT調査を導入し、最先端の化石による人類進化研究を実現している。
西アジアの先史考古学調査は、従来から多岐にわたるが、近年では、シリアをフィールドとし、農耕牧畜社会と古代文明の出現過程を取り上げてきた。例えば、新石器時代の膨大な打製石器コレクションの技術形態学的分析から農耕牧畜社会の出現過程を論じ、銅石器時代の遺跡発掘と出土遺物の標本研究からは古代文明出現前夜の社会における生業・技術・集落構成などの変化を明らかにし、文明化の意味合いを考察してきた。
従来の収蔵標本の新規調査による研究成果も数多くあるが、展示公開に特に寄与した例として、被爆標本を挙げることができる。1945年10月、広島・長崎の原爆投下2ヶ月後に学術研究会議の被爆調査団地学班長であった渡邉武男・東京帝国大学教授は、岩石の被爆状況と被爆範囲の調査や岩石に残された熱線の影から爆央(爆発の中心)を決定するという目的をもって、調査にあたった。総合研究博物館に収蔵されていた渡邉教授採集の広島・長崎の被爆岩石・瓦など、自ら撮影した写真、被爆調査団関連紙資料、野帳を総合的に研究し、渡邉教授が研究者として行なった調査の実態を明らかにし、現在まで残されていたいくつかの謎を解明した。
最後に紹介するのは、博物館研究における新規なアプローチによる標本研究である。旧来の専門分野の枠を超え、別な知的活動領域にシフトすることで、従来のコレクションにはなかった、新しい文化的価値を創造する手法の開拓について研究してきた。一言でいうなら「脱枠効果」の探究とでも言え、理学系資料(植物の保存乾燥紙)を人文系資料(歴史的新聞資料体)として生まれ変わらせたり、工学系資料(教育教材として機構模型)を美術作品(美術作品としての写真)に変容させたり、といった実践である。
標本による研究。高度な専門性とオリジナリティを今後も多面的に追求してゆきたい。