東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
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ウロボロス開館10周年記念号

展示の記録

1996年度
開館特別記念展示・東京大学コレクションV「歴史の文字――記載・活字・活版」展
特別展示・東京大学コレクションW「日本植物研究の歴史をさかのぼる――小石川植物園三百年の歩み」展
特別展示「デジタルミュージアム――電脳博物館/博物館の未来」展

1997年度
特別展示「バーチャルアーキテクチャー――建築における『可能と不可能の差』」展
東京大学創立120周年記念特別展示・東京大学コレクションX・Y・Z「東京大学――学問の過去・現在・未来」展
常設展示「アジアの人類遺跡――Ancient Heritage of Asia」展

1998年度
特別展示「Science for Life――生命の科学」展
特別展示・東京大学コレクション[「博士の肖像――人はなぜ肖像を残すのか」展
特別展示「デジタル小津安二郎――キャメラマン厚田雄春の視」展

1999年度
常設展示「骨――形と機能を支えるシステム1」展
夏期特別企画展「ふしぎ隕石」展
東京大学社会情報研究所創立50周年記念特別展示・東京大学コレクション\「ニュースの誕生――かわら版と新聞錦絵の情報世界」展
特別展示「デジタルミュージアム2000」展

2000年度
東京大学埋蔵文化財調査室創立10周年・文化財保護法50周年記念特別展示・東京大学コレクション]「加賀殿再訪―東京大学本郷キャンパスの遺跡」展
常設展示「骨――形と機能を支えるシステム2」展
新規収蔵展示「大類伸博士旧蔵へ医学関連資料」展
新規収蔵展示「シーボルト日本植物コレクション」展
特別展示「死後の礼節――古代地中海圏の葬祭文化」展
常設展示「骨――形と機能を支えるシステム3」展
新規収蔵展示「縄文とパリ――考古学者中谷治宇二郎の記録」展

2001年度
新規収蔵展示「石と金属の飾りもの――前方後円墳時代の装飾品」展
企画展示「神岡展――日本を代表する非鉄金属鉱山誌」展
特別展示・東京大学コレクションXI「和田鉱物標本」展
新規収蔵展示「カワイルカ――絶滅の淵より」展
特別展示・東京大学コレクションXU「真贋のはざま――デュシャンから遺伝子まで」展
新規収蔵展示「宝石と原石――玉は磨かなければ美しくないか」展
特別展示「デジタルミュージアムV」展
新規収蔵展示「野生動物を追う」展

2002年度
東京大学北海文化研究常呂実習施設北海道常呂町共同展示・東大コレクションXV「北の異界――オホーツクと氷民文化」展
新規収蔵展示「三宅コレクション――幕末医家のディレッタンティズム」展
常設展示・東京大学コレクション]W「クランツ標本」展
特別展示「東京大学学位記展――ようこそ学問のフロンティアへ」展
特別展示・東京大学コレクション]X「貝の博物誌」展
新規収蔵展示「蓮實重康博士旧蔵美術史研究資料」展
新規収蔵展示「モノは私のフィールド・ノート――小田静夫氏旧蔵南太平洋コレクション」展
小石川分館開館1周年記念特別展示「MICROCOSMOGRAPHIA――マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」展
小柴昌俊先生ノーベル賞受賞記念特別展示「ニュートリノ」展
新規収蔵展示「痕跡の考古学」展
分館常設展示「COSMOGRAPHIA ACADEMIAE――学術標本の宇宙誌」展

2003年度
常設展示「ニュートリノ」展
特別展示「東京大学学位記展U――博士研究にふれて」展
特別展示「世界初公開――最古のホモサピエンス写真」展
新規収蔵展示「川口コレクション――農園をもつ二枚貝類」展
国際共同展示・特別展示・東京大学コレクション]Y「シーボルトの21世紀」展
特別展示・東京大学コレクション]Z「石の記憶――ヒロシマ・ナガサキ/被爆資料に注がれた科学者の目」展
新規収蔵展示「平林武収集鉱山資料」展
東京芸大川俣ゼミ+西野ゼミ合同展示「物見遊山――出会いのカタチ」展

2004年度
特別展示・東京大学コレクション][「プロパガンダ1904-45――新聞紙・新聞誌・新聞史」展
新規収蔵展示「東大総長のプレゼンス――渡邊洪基から内田祥三まで」展
特別展示・東京大学コレクション]\「Systema Naturae――標本は語る」展
特別展示「ディジタルとミュージアム」展
新規収蔵展示「須田昆虫コレクション――東京の昆虫たち〜その衰亡の歴史をたどる」展
分館特別展示「森万里子――縄文/光の化石トランスサークル」展
特別展示「メディアとしての建築――ピラネージからEXPO70まで」展
新規収蔵展示「蒙古高原の旅/江上波夫コレクション」展
国際協働企画展示「Hiroshi Sugimoto, Etant donne: Le grand Verre」展

2005年度
分館特別展示「国際協働プロジェクト――グローバル・スーク」展
特別展示・東京大学コレクションXX「関野貞アジア踏査――平等院・法隆寺から高句麗古墳壁画へ」展
ミニ展示「ヒューマン・イメージ――先史時代の儀礼と人物像」展
特別展示「ディオニュソスとペプロフォロス――東京大学ソンマ・ヴェスヴィアーナ発掘調査の一成果」展
新規収蔵展示「重井陸夫博士コレクション――ウニの分類学」展
東京大学総合研究博物館開館10周年記念特別展示「アフリカの骨、縄文の骨――遥かラミダスを望む」展
分館常設展示「驚異の部屋――The Chambers of Curiosities」展

2006年度
特別展示「時空のデザイン」展
新規収蔵展示「サンゴ礁の貝類 川口四郎博士コレクション」展




開館特別記念展示・東京大学コレクションV
「歴史の文字――記載・活字・活版」展
1996年9月10日〜10月13日

総合研究博物館の開館記念展として開催された展覧会。テクノロジーが「進化」するなか、過去の遺物として葬り去られようとしている活版印刷術が、出版メディアのなかでどのような役割をはたしてきたのかを問い、併せて、伝達手段としての文字と人間、社会との関わりについて、改めて問いかけようとした。300万本の鉛活字を含め、活版印刷工場の用具一式を仮設展示した会場構成は来館者やマスコミにも強い訴求力を発揮し、印刷博物館の誕生を促すと同時に、印刷技術史、出版文化史などの研究を活性化することになった。
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特別展示・東京大学コレクションW
「日本植物研究の歴史をさかのぼる――小石川植物園三百年の歩み」展
1996年11月12日〜12月20日

本学附属小石川植物園に植えられていたイチョウの木で精子が発見されて百年目に当たる1996年はまた、江戸時代に来日し、黎明期の日本植物研究を推進したドイツ人フイリップ・フランツ・フォン・シーボルトの生誕200年でもあった。本展示は、この画期的な発見と注目すべき人物の生誕を記念して開催された。日本では明治期に近代植物学が移入されるに先立って薬草を研究する本草学が発達し、その枠組みの中で植物の研究が進んだ。小石川植物園の歴史は1684年に幕府が設けた薬草園にさかのぼる。小石川薬園は明治初期に植物園となり、ここで植物の調査研究が進められ、日本の本草学の成果が集大成された。小石川植物園が本草学を植物学へと引き継ぐ装置としての役割りを果たした意義は大きい。本展示は、主として小石川植物園と当館が収蔵する植物標本、未出版の植物画、和洋の本草学・植物学古典籍、その他の学術標本により、日本植物研究の軌跡、創設期の小石川植物園、近代植物学の系譜、東京大学植物標本室、小石川植物園の系統保存事業と公開について、その様相や歴史的発展などを通覧しようと試みた。図録では、展示した学術資料の学術上の意義、価値、特徴などをより具体的に理解するための手がかりとなるよう編集を試みた。
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特別展示
「デジタルミュージアム――電脳博物館/博物館の未来」展
1997年1月21日〜1997年2月28日

デジタルミュージアムとは、コンピュータを資料の保存、整理、公開、展示に積極的に使う、今までにない新しい博物館の試みである。デジタル技術を利用することで、今までの時間的、空間的制約を解放し、しかも、あらゆる人に対して博物館を解放することが可能となり、「いつでも」「どこでも」「誰にでも」という、「3つのオープン」をコンセプトとした博物館を構築することが可能となる。本展示は、1999年度、2001年度にも開催された「デジタルミュージアム」展の第一回であり、デジタルアーカイブ技術、ネットワーク技術、携帯端末とパーソナライズ化、コンピュータグラフィックス、ビデオオンデマンド技術など、デジタル技術の最先端と、その博物館での応用を、当館の研究部、および資料部17部門を中心に提供された展示資料に対して適用し、デジタルミュージアム構想の紹介を行なった。
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特別展示
「バーチャルアーキテクチャー――建築における『可能と不可能の差』」展
1997年5月13日〜6月10日

コンピューターの中のバーチャル世界ならば、物理的に不可能な建築でも実現する。しかし、リアル世界でもコンピューターは建築の不可能を可能にしている。コンピューターを駆使した構造設計により、不可能と思われていたアイディアが実現できてもいる。さらには発想のレベルでも、紙の上で考えていたのではまとめきれなかったであろう3 次元構造をもった建築アイディアも発表され始めている。本展示は建築における「可能と不可能の差」をキーワードとして、建築とは何か、コンピューター技術の進歩が建築に与えた影響、そしてその先にあるものを模索するものである。また、今まで計画しながら実現せずに終わった案の中で、是非実現させてみたい建築を展示する「幻の建築案」も、会場に展示された。
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東京大学創立120周年記念特別展示・東京大学コレクションX・Y・Z
「東京大学――学問の過去・現在・未来」展
1997年10月16日〜12月14日
第1部 学問のアルケオロジー
第2部 精神のエクスペディシオン
第3部 建築のアバンギャルド
第4部 知の開放

本展示は東京大学創立120 年展の一企画(第2部)として実施したものである。東京大学の教官が組織した海外学術調査の軌跡と成果を展示した。第二次大戦後間もなく発足し現在へと続く4 つの大型プロジェクト(イラク・イラン遺跡調査、アンデス地帯学術調査、ヒマラヤ高地植物調査、西アジア洪積世人類遺跡調査)を展示の核として、それに先立つ戦前の調査、また現在進行中の調査をあわせて海外学術研究の意義や役割、野外調査の魅力について考えてみるというのが企画の主旨である。
明治期の教授候補生の留学先としての海外、戦前の国策的脈絡において実施された東アジア調査、敗戦後の混乱の中から国民的期待を背負って立ち上がった海外学術、そして件数や課題の捕捉すら困難なほど隆盛する現在の状況。そうした海外学術の軌跡と成果を回顧することにはいくつかの意義があると考えた。
第1 にそれは、日本人の世界観の変遷を提示することである。国の内と外という自己中心的で地理的に限定された海外観が、地球や生命を見据えたグローバルな見方へといかにして変容したのか。第2 にそれは、今日、学内での先端科学素材として利用されている野外資料の入手経緯を確認することである。種々の制約から自由でない海外調査がもたらした過去の標本群には、現在は入手不可能かつ当該分野の体系的研究を志す者にとっての世界唯一の資料となっているものが少なくない。出所確かな標本入手のために心血をそそいできた研究者の営為を確認したかった。第3 に、外遊そのものが稀であった頃の海外調査においては研究者の意気込みも責任も戦略も現在とは大きく異なっていたことを認識すること。未知の土地での調査に胸おどらせた戦前、戦後間もなくの研究者の冒険心や探検心にふれることは、蔓延する人工的環境の中で亡失しつつあるフィールドワークの楽しさを呼び起こすことにもつながるのではないかと期待した。
この企画のもと当館に集められた資料をながめてみると、それは今やありとあらゆる地域と分野を網羅する巨大データバンクとなっていることが明かであった。地球規模で取り組むべき問題解決のための研究素材として海外学術の調査資料を活用することは、エクスペディシオンの基地で学術を続けている我々に課されている重大な課題の一つであることを再認識させられた。
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常設展示
「アジアの人類遺跡――Ancient Heritage of Asia」展
1998年3月2日〜5月15日

1996年5月に発足した総合研究博物館の展示の中心は、1 階展示フロア全室を利用した特別展であった。しかし常設展示も必要であるという内外の声に応えるべく企画されたのが本展示である。後続する展示のスケジュールの都合で結果として比較的短期の開催となったが、ともあれ、常設展示と銘打った最初の試みとなった。特別展示が先端的な研究成果やキュラトリアルワークがなされたばかりの未公開資料を学内外に広く公開する目的を持つのに対し、常設展示は教育・研究に不可欠な基本資料をより長期にわたって提示しようという意図を持つ。今回は、アジア各地で収集された考古学・人類学関係の標本資料をそろえた。日本産標本としては、1877 年にE. モースが発掘した大森貝塚の縄文土器、弥生式土器命名の基準となったタイプ標本、あるいは北海道で発掘された旧石器時代の細石刃一括資料などを展示した。また、東アジア産資料では、今世紀初頭に鳥居龍蔵が撮影したアジア各地の民族古写真、中国・朝鮮半島で得られた漢代を中心とした考古学発掘品など、西アジア関係では1950 年代から60 年代に得られたイラク・イラン産考古学資料が展示物を構成することとなった。いずれも、東京大学が保管する考古学・人類学の代表的資料である。
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特別展示
「Science for Life――生命の科学」展
1998年7月2日〜8月9日

 本展示は、生命科学に関して一般の人々に興味を持ってもらうことを目的とし、東京大学医科学研究所の共催、英国大使館の協賛、ブリティシュ・カウンシル、ウェルカム・トラスト協力の下で開催された。展示は3 部構成となっており、第1 部では、植物、動物をベースとした近代生命科学のルーツから最先端までを、東京大学各所で行なわれている長年にわたる研究を中心に紹介した。第2 部としては、インタラクティブ展示を中心に、触って動かして楽しみながら自然に人体についての知識を得られる展示を試みた。そして、植物、動物、人体についての理解という基礎の上に立ち、病気治療などの応用的研究を行なっている東京大学の医科学研究所のルーツから、その先端研究までを第3 部として紹介した。
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特別展示・東京大学コレクション[
「博士の肖像――人はなぜ肖像を残すのか」展
1998年10月1日〜11月15日

東京大学で教鞭をとった教授達の肖像が、キャンパスの随所に飾られている。絵画もあれば、彫刻もある。明治期から昭和期にかけて第一線で活躍した画家や彫刻家の手になるものが数多く含まれるが、その全貌はなかなか明らかにならなかった。教授在職二十五年記念、退官記念、還暦記念、三回忌など、肖像が作られた事情はさまざまで、彼らの謦咳に接した人々がいなくなれば、その多くはひっそりと眠りにつくほかないからである。当館は学内にある肖像の所在調査を行ない、およそ100点の肖像画と80点の肖像彫刻を確認した。この中から、55 点の肖像画、20 点の肖像彫刻を選び、「博士の肖像」と題して公開した。博物館の展示室にわざわざ肖像を運び込むことは、むろん「お蔵入り」でもなければ、学術資料の紹介にとどまるものでもない。学内に与えられたそれぞれの居場所から肖像を切り離し、肖像とわれわれとの関係を組み替え、肖像とは何かを問い直してみることでもある。それこそが、博物館という装置の果たすべき役割だろうと考えた。
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特別展示
「デジタル小津安二郎――キャメラマン厚田雄春の視」展
1998年12月9日〜1999年1月31日

小津安二郎(1903-1963)は、日本映画の黄金時代を代表する映画監督であり、没後30年以上を経た今日、海外での評価はますます高まる一方である。その小津の傑作群の撮影を担当したキャメラマン厚田雄春は1992年に逝去しているが、その遺品の中に、小津作品の創造の秘密を伝える貴重な資料の数々が発見された。それらの遺品の数々は、厚田氏の遺族から小津映画に関しては蓮實重彦元東京大学総長に預けられ、大学院総合文化研究科超域文化専攻表象文化論コースに整理・分析・保存が委託された。本展示では、これら貴重な資料を整理・分析・保存することと併せ、コンピュータ技術による映画修復や、小津映画に登場する日本家屋のセットの仮想空間での再現など、最先端のデジタル技術を駆使し、小津映画空間の秘密を多くの人の興味を引くような形で展示を行なった。
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常設展示
「骨――形と機能を支えるシステム1」展
1999年4月19日〜9月10日

当館は、地学系・生物系・文化史系から成る3 系17 資料部門を持ち、およそ240 万点の学術標本を管理している。本展では、「骨―形と機能を支えるシステム」というゆるやかなテーマに基づき選択された標本を通し、骨がどのような働きを持つものであるかを明らかにした。人間を含めた動物の骨ばかりでなく、骨を持たない植物や鉱物も取り上げた。それらの形態と機能を支えるシステムについても考える機会とするためである。骨と骨組みという観点から、自然の仕組みを考え、さらに、骨を利用した道具、骨を納めた道具、骨から作られた薬、そして人工骨など、骨と人間の関係、骨をめぐる文化の一端を紹介した
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夏期特別企画展
「ふしぎ隕石」展
1999年7月21日〜9月10日

隕石は太陽系における物質進化の過程を記録している最も重要な資料である。約46億年前に太陽が誕生し原始太陽系星雲が形成され、その星雲の中に固体粒子が析出し、凝集・分裂を繰り返すうちに、微惑星が形成される。その微惑星が衝突によって原始惑星となり、周囲の物質を集めて成長し惑星となって、分化過程を経て現在の太陽系が出来上がったと考えられている。多くの隕石の母天体は、火星と木星の間に存在している小惑星であると考えられている。この小惑星は、いわば惑星になり損なった微惑星であり、太陽系の物質進化過程のさまざまな段階の記録そのものである。本展示は、隕石はどこから来たのか、隕石を調べて何がわかるのか、と言った素朴な疑問に答えつつ、隕石の持つ多様な博物情報を展示した。展示では、当館が所蔵する非南極隕石120 点と国立極地研究所の所蔵する南極隕石9 点を中心に、クランツ隕石模型、衝突実験による模擬クレーター、各種実験装置などを展示した。また、会場では小学生の参加も考えて、ナレーション入りスライドショーをエンドレスで上映した。
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東京大学社会情報研究所創立50周年記念特別展示・東京大学コレクション\
「ニュースの誕生――かわら版と新聞錦絵の情報世界」展
1999年10月8日〜12月12日

社会情報研究所との共同主催により、同研究所が所蔵している小野秀雄氏コレクション(かわら版約600 点、新聞錦絵約400 点)を中心に約320 点を展示した。小野コレクションが広く公開される機会としては最初にして最大のものとなった。小野秀雄氏は同研究所の前身、新聞研究所の実質的な創立者であり、日本の新聞ジャーナリズム研究のパイオニアでもあった。小野氏の集めたかわら版には、安政大地震などをめぐる多数の災害かわら版などきわめて貴重なものが多数あり、新聞錦絵も、明治初期の新聞メディアと民衆の日常意識のかかわりを浮かび上がらせるような多種の貴重なものが含まれている。本展示では、これらを一挙に展示すると同時に、全コレクションについての詳細な画像データベースをデジタル・ミュージアム方式で提供し、さらにそれらのかわら版や新聞錦絵がかつて売られていたときの状況に迫るべく、義太夫などの声による呼び売りの再現も試みた。
本展示により、当時のニュースがどのような需要に応えて、どのように社会を流通したかを多角的に探り、かわら版と錦絵新聞が独自の情報空間を作り出していたことを明らかにした。そして小野コレクションが、「新聞」や「ニュース」についての私達の常識、そして小野自身が打ち立てた日本の新聞研究のパラダイムを根底から問い直す射程を含んでいることを示した。また、阪神淡路大震災の報道と安政大地震のかわら版を、あるいは現代のメディアに登場する犯罪とかつての新聞錦絵に描かれていた犯罪を二重映しにしながら、現代におけるニュースの消費自体の中に、通説的な「ニュース」概念には還元しきれない語りの次元が存在することを示した。
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特別展示
「デジタルミュージアム2000」展
2000年3月1日〜4月28日

1996 年度の特別展示に続く、2 回目のデジタルミュージアム展示である。当館ではデジタルミュージアム構想を推進してきた。その中心を占めるアプローチが「デジタルアーカイブ」と呼ばれる方法である。本展示では、当館が推進してきたデジタルアーカイブや分散博物館の取り組みの成果を示した。会場では、デジタルアーカイブの成果である「東京大学総合研究博物館データベース」が、アーカイブの元資料の展示と並べて公開された。また、特に縄文時代に焦点を当て、東京大学が誇る縄文コレクションである山内コレクションやモース大森貝塚コレクションを中心として公開し、仮想博物館を構築するためのMUD技術、実際の物の展示をコンピュータにより援助する強化現実技術など、新しい展示手法を適用して見せた。さらに分散博物館の実験として、国立歴史民俗博物館とのデジタルミュージアム共同実験展示「縄文の記憶」が、当館と国立歴史民俗博物館の2ヵ所の会場にわかれて開催された。
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東京大学埋蔵文化財調査室創立10周年・文化財保護法50周年記念特別展示・東京大学コレクション]
「加賀殿再訪―東京大学本郷キャンパスの遺跡」展
2000年5月20日〜7月9日

東京大学本郷キャンパスには加賀前田家本郷邸が埋もれている。1980 年代以降活発になったキャンパス再開発およびそれにともなう埋蔵文化財発掘調査によって、栄華を極めた百万石の大名屋敷がその往時の姿をあらわし始めた。屋敷は単なる邸宅ではなく大都市江戸の中でも独特な空間を形成していた。掘り出された遺物・遺構を一堂に集め、加賀藩本郷邸という巨大大名屋敷の構造と機能を考古学的に考察してみたのが本展示である。また、赤門や育徳園、石垣など地上にみえる加賀藩ゆかりの構築物もあわせて目録化し、本郷キャンパスに残る江戸の屋敷空間そのものも展示場とすることをもくろんだ。徳川将軍家をはじめ、本郷邸には江戸時代いくにんもの人々が訪れた。ここが東京大学に譲られて百二十余年、長らく訪れることもできなかった加賀殿の御屋敷。発掘と江戸考古学の成果を借りてそれを復活させ、今一度訪れてみようというのが、展示タイトルにこめられた意図である。
加賀藩本郷邸は藩主やその家族らが起居し政務を行なう「御殿空間」と、それをとりまく藩士らが活動する「詰人空間」とから成っていた。本展示では、まず、本郷キャンパスにおける藩邸発掘の成果と江戸考古学の概要を紹介した後、それぞれの空間にたちならんでいた建築とそこで繰り広げられた文化を探ってみた。また、デジタルミュージアムでは、加賀前田家の文化遺産を承継する財団法人前田育徳会の協力を得て、今に伝わる前田家の工芸遺産を紹介した。江戸考古学の歴史は浅く、構内遺跡発掘の歩みは、そのままその歴史と重なっている。本展示は、本郷邸の内実を見学するだけでなく、開発と江戸ブームにのって突然始まった江戸の考古学が本郷キャンパスを舞台にして、どこまで育ったのかを検証する機会となった。構内遺跡の調査、出土品の管理は文化財保護法にもとづき埋蔵文化財調査室によって行なわれている。
本展示は、同法の制定50周年、同調査室の設立10 周年を記念し実施した。
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常設展示
「骨――形と機能を支えるシステム2」展
2000年7月24日〜12月22日

骨は広く動物の身体を支える構造物で、内臓や筋肉と違い、死後にも残る。このため生物学、古生物学、人類学、考古学などにとって恰好の研究対象となってきた。骨こそは博物館の代表的な主人公といえるかもしれない。本展示では哺乳類とヒトを中心にさまざまな動物の骨を紹介した。それによって壮大な生物進化と生存システムのメカニズムを読みとる楽しみを展示しようとした。アファール猿人の復元標本や大きさの違う哺乳類の大腿骨の比較展示、また霊長類の進化を示す連続展示、哺乳類の大きさの違いを示すミンククジラの脊椎骨とヒメネズミの比較展示などは注目を集めた。また我が国の骨格標本で最古と思われる第一大学医学校のデーニッツ博士による魚類の骨格標本も展示した。さらに牛馬のほかライオン、ゴリラ、イルカなど骨格を大きな塊のごとく展示したコーナーは、来館者に生物進化を迫力をもって伝えるものとなった。
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新規収蔵展示
「大類伸博士旧蔵へ医学関連資料」展
2000年7月24日〜10月20日

歴史学者大類伸博士の御子息の大類正久氏より当館に寄託された、博士旧蔵の江戸時代の城郭史学・兵学に関する貴重な古書・絵図総計25 件他を、新規収蔵品として展示した。これらの中には山鹿素行が野営陣形備立を描いた大図面『大座備の図』、紀井文庫旧蔵印のある五稜郭設計図『金湯要録』、藤原清連・大槻五郎輔の『綱領抜粋城築之巻』(1773年)の写本(1851年、山崎源太左エ門)、甘縄福国雄の『城制図解』、佐久間景忠の『菴敷之図』他の軍学関係絵図4 種など、歴史的・文献史的にみて貴重な史料が多数含まれている。 当館では、新規収蔵品についても、特別展示や画像データベース化その他を通して広く一般に公開している。本展示は、当館におけるその取り組みの先駆けとなった。
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新規収蔵展示
「シーボルト日本植物コレクション」展
2000年10月27日〜12月22日

日蘭修好400 年を記念して、国立ライデン植物博物館のピーター・バース館長のご厚意により約50 点の植物標本が当館に寄贈された。これらの標本は、植物学の研究資料としての価値に加え、シーボルト自身の手による収集品という文化史的な意義、さらに日本で保管される最古の植物標本としての科学史的な意義をも具有するものである。当館では10月26日にバース館長を迎え、シーボルト標本の贈呈式を挙行し、同日から12 月22 日まで、展示ホールの新規収蔵標本コーナーで、寄贈標本を中心として展示を催した。本展示ではバース館長が中心となり製作したシーボルト植物標本のデジタル画像も公開した他、彼の主要著作、川原慶賀ら日本人絵師に描かせた植物画を集めたシーボルト植物画コレクション(複製)などの関連資料も展示した。
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特別展示
「死後の礼節――古代地中海圏の葬祭文化」展
2000年11月1日〜12月15日

本展示は、エトルリア(特に主要都市タルクィニア)を中心に、南イタリア(主としてルカーニア地方パエストゥムとプーリア地方北部アルピ)、マケドニア(ヴェルギナ、レフカディア、ディオン、アギオス・アタナシオス)、またトラキア(カザンラク、シプカ、ズヴェシュターリ、マグリッシュ)出土のネクロポリス、墓、葬祭記念物および葬祭絵画に焦点を当てたドキュメンタリー展であった。主要部分を占めるのはエトルリアであるが、この地方では葬祭絵画の現象は、すでに前7世紀前半、すなわち大型記念墓建築の発生直後に現れた後、ヘレニズム盛期にいたるまで継続していった。前6世紀から前3/2世紀にわたる期間を通じてエトルリア葬祭絵画の「首都」であったのは、南エトルリアの富裕な沿岸都市タルクィニアにほかならない。この町の地下の墓室墓に大部分がそのまま残されているオリジナルの壁画を展示することはできないが、代わりに、本展では質的に優れた壁画の原寸大写真多数、またローマのドイツ考古学研究所古文書資料室所蔵の、一連の複製画ならびに透写図が一覧に供された。日本の名写真家、岡村崔氏の作品である、ローマからの複製画や透写図は、19世紀にタルクィニアの墓室内で当時の画家や線描家達によって製作されたものであるが、日本ではもとより、ヨーロッパ外での初めての一般公開となった。また北エトルリアのいくつかの広大なネクロポリスや王侯貴族の墓(特にポプ ローニア)の記録も併せて展示した。エトルリア、南イタリア、マケドニア、トラキアといった地中海周辺の数多くの古代文化圏において、特に社会上層階級の人々が、墓建築と葬祭絵画の分野で彼らの死者達、先祖のためにいかに多くの資財を投入したのか、またその際、文化圏によってどのような共通性あるいは相違点が見られるのかを明らかにすることを目指した。
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常設展示
「骨――形と機能を支えるシステム3」展
2001年1月9日〜6月26日

2000年7月に実施した同タイトル2 を更に充実させて展示した。

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新規収蔵展示
「縄文とパリ――考古学者中谷治宇二郎の記録」展
2001年1月15日〜3月30日

中谷治宇二郎(1902-1936)は、雪の結晶の研究者、人工雪の作成で知られる中谷宇吉郎の実弟である。宇吉郎ほどの知名度はないが、治宇二郎も考古学者の間では没後70年を経てなお語り継がれている数少ない研究者の一人である。昭和初期、日本考古学の草創期に縄文土器の研究法確立を期し、私費でフランス、パリに留学し研鑽をつんだ研究者である。パリで得た病のため享年34才で人生を閉じながらも、学史に残る著作を多数ものしたことで知られる。1999 年、長女、法安桂子さんから治宇二郎が残した記録類が当館に寄託された。そのお披露目をしたのが本展示である。秀逸なのは東京帝国大学理学部選科生時代に作成した万を超える標本カードであった。縄文土器・土偶、骨角器などのスケッチと出自が克明に記されている。それは人類学教室が当時保有していた標本の私的目録にも等しい。また、パリ滞在時に行なった先史遺跡調査の記録も異彩をはなっている。実質10年に満たない研究生活で残した膨大な諸記録は、学問の「近代化」の道を模索していた日本考古学草創期の一コマを物語っている。
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新規収蔵展示
「石と金属の飾りもの――前方後円墳時代の装飾品」展
2001年4月9日〜6月29日

人類先史部門には、日本の先史考古学の曙期に相当する明治・大正期に全国から収集された貴重な先史考古標本のコレクションが収蔵されている。その中には、重要文化財に指定されている埴輪をはじめ、古墳時代の土器および土製品、石製品、青銅器製品、鉄製品、ガラス製品などの遺物が多数含まれている。そして特に、金属製の耳環、首飾とされた石製ないしガラス製の玉類、貝製・石製・金属製の腕飾などの身体装飾品の割合が高い。これらの身体装飾品および石製品について、過去の記録や記載報告を検証しながら現存状況を確認し、情報化を進めてきた。その成果の一部として、前方後円墳時代の人々は自らをどのように飾り立てたのか、装飾品を中心に展示した。腕飾に関しては、石製・貝製・青銅製の三種を並べ置くことで、色・形・質感などの違いを明らかにした。耳環の場合は、大きさ、ひいては重さにかなり幅があることを示すとともに、耳環装着の表現がなされた人物埴輪を併せて展示した。玉類は、種類の増加、材質の変化ひいては色調の変化を意識した展示を行なった。
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企画展示
「神岡展――日本を代表する非鉄金属鉱山誌」展
2001年4月16日〜6月29日

神岡鉱山は、日本を代表する鉛・亜鉛の鉱山であり、明治以降の産業の近代化を支えてきた非鉄金属鉱山であった。8 世紀初めの養老年間に歴史を遡ることができる神岡鉱山は1973 年のオイルショックによって、生野・別子・足尾などの日本を代表する鉱山が次々と閉山する中で、近代的採鉱法を導入して高能率鉱山として生き残った。また、近年はニュートリノ観測のためのカミオカンデ・スーパーカミオカンデが設置されていることで知られている。本展示では、神岡鉱山の図資料とモノの両面からの総合的検証を試みた。神岡鉱山の鉱物・鉱石・岩石、東京大学の研究者が残した研究素材、坑内スケッチ、坑内ボーリング資料、さらには資源探査のための600 mボーリングコアなどから神岡鉱山を多角的に解剖してみた。また1950年頃に撮影された映画「飛騨のかなやま」をデジタル化して上映し、好評を得た。その神岡鉱山も、本展示が終了するその日に鉱山部門が閉山となった。本展示が、奇しくもその記念展となった。
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特別展示・東京大学コレクションXI
「和田鉱物標本」展
2001年7月14日〜9月28日

東京大学に近代的な学問体系をもたらしたのは、明治初期に招来されたお雇い外国人教師達であった。彼ら外国人教師の指導の元に多くの若き日本人の俊秀達がエリート教育を受け、以後の教育研究を自らの手で遂行していった。本展示は、その俊秀の一人である和田維四郎の多彩な業績のうち鉱物学の業績を中心として光を当てるものである。
和田維四郎は1856年3月17日に小浜に生まれ、1873年に設立された開成学校のドイツ部においてドイツの鉱山技師シェンクの指導の元に近代的な鉱物学を学んだ。1875年19歳で開成学校助教となり、それ以降、東京大学助教授・教授、地質調査所長、鉱山局長、官営製鉄所長官と要職を歴任した。彼は驚くほど多才で、驚くほどのコレクターであった。64年間の人生の中で、東京大学助教授・教授として日本の鉱物学の基礎を築き、優秀な後継者を育てた。同時に農商務省地質課長として地質調査所を創設し、その所長となって日本の鉱山開発やその後の地質事業の基盤を確立した。さらに、農商務省鉱山局長として最初の近代的鉱業法制を整備し、官営八幡製鉄所長官として東洋一の製鉄所を建設し稼働させた。そして晩年、古書収集に没頭し書誌学者として大家をなした。和田維四郎が終生変えなかったのが鉱物収集であった。和田鉱物標本は、維四郎の収集した日本最大の鉱物標本コレクションである。和田維四郎著『日本鉱物誌』(初版)、『本邦鉱物標本』には約1,100の総覧標本と約370 の大型標本が記載されているが、この他に彼が記載し整理した標本や未整理の標本を併せると4,000 点を越える。
明治期という学問の黎明期においては、研究・教育と標本は一体であった。学問は標本を評価し、標本が学問を導く。新たな標本は、学問を全く新しい世界に引きずり込み、学問は標本に新たな価値を付与する。本展示では、明治期の学問と標本のダイナミズムを眼前に展開させ、モノこそ研究の基盤であることを示したいと考えた。標本ひとつひとつが学問の中で息づき、これらの学術標本が博物資源として新しい学問の始まりを予感し期待させるものである。
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新規収蔵展示
「カワイルカ――絶滅の淵より」展
2001年7月14日〜9月28日

本学医学部はカワイルカの形態学的研究で世界的に知られている。その歴史はたいへん興味深く、戦後の1959年に医学部の小川鼎三教授が「雪男」の調査に挑戦し、それは不首尾に終わったものの、その調査でガンジスカワイルカの調査を行なったことに端を発している。その後、細川宏、西脇昌治と継続され、ラプラタカワイルカの調査まで行なった。後半の調査に参加した神谷俊郎先生(本館医学部門)はこれらの標本や資料を管理し、さらにヨウスコウカワイルカの保護活動にも貢献している。本展示ではガンジスカワイルカの液浸標本も展示した。
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特別展示・東京大学コレクションXU
「真贋のはざま――デュシャンから遺伝子まで」展
2001年10月20日〜12月9日

われわれは無数の「コピー」に取り囲まれている。「コピー」は、技術の粋を集めた精密なレプリカから、写真や印刷物などの複製、模写、贋物、再現、模型、フェイク、まがいもの、もどき、さらにはデジタル画像や仮想現実まで広汎にわたっており、その輪郭を規定することが容易でない。「コピー」が氾濫し、それを先駆ける「オリジナル」の影が薄くなる。「オリジナル」こそ正統であり、その存在はアプリオリにして絶対不可侵であるという伝統的価値観が崩壊の危機に瀕している。「コピー」でも充分に用は足りるとする機能主義的思考が凱歌を上げようとしているのである。こうした時代認識に立って、「コピー」の上に成り立つ、否、「コピー」でしか成り立ち得ぬ事柄や行為など、広くコピー現象と言い表わせるものが、われわれの生存をどのように取り巻いているのかを改めて問うことになった。2000-2001年度前期の博物館工学ゼミの研究成果であり、企画参加者は延べ100 人以上に上った。
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新規収蔵展示
「宝石と原石――玉は磨かなければ美しくないか」展
2001年10月20日〜12月9日

「玉磨かざれば光らず」。しかし、宝石の原石は、磨かなくても十分に美しい。本展示では、鉱物の持つ色と形の多様性を宝石とその原石で示した。展示した宝石の原石では鉱物自身の形の美しさや多様性を存分に味わうことができ、それはカットされ宝飾品のカテゴリーに入ってしまった鉱物では味わえない美しさを持っている。また宝石としては世界の著名なダイアモンドのレプリカを展示した。これは、当館に近年収蔵されたものであり、ドイツのドナウエッシンゲンにある宝石業者のハンドメイドによるレプリカで、素材は水晶である。
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特別展示
「デジタルミュージアムV」展
2002年1月12日〜2月24日

1996 年に資料館から生まれ変わって以来、当館は博物館業務へのデジタル技術導入を積極的に推進してきた。すでに数万点にのぼる収蔵標本・資料群がデジタル化され、巨大なアーカイブが構築されている。本展示は5 年間にわたるこのデジタルミュージアム・プロジェクトの総括をめざすもので、コンピュータを利用した新しい人類の知的遺産の蓄積・表現・発信手段を提案した。本展示では特に、急速に実用化レベルへの発達を遂げた、情報の保存と暗号化機能を持つクレジットカードサイズのスマートカードを図録の付録として配布し、これを利用して個人の属性情報に合わせて展示解説を行なったり、博物館で見たものをもとに個人用ホームページを作製したりするなどの、パーソナライゼーション展示の手法も公開した。
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新規収蔵展示
「野生動物を追う」展
2002年1月12日〜2月24日

野生動物の生態調査は双眼鏡と野帳だけがあればよいというのが長年の伝統であったが、最近はさまざまな近代機器が用いられるようになり、生態学シーンも大きな革命の波を受けている。この展示ではそれらのうち、自動撮影カメラや衛星による位置情報補足器機などとともに、その成果をパネル表示した。またアネハヅルの模式標本に実際の電波発信機を装着させて展示した。
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東京大学北海文化研究常呂実習施設北海道常呂町共同展示・東大コレクションXV
「北の異界――オホーツクと氷民文化」展
2002年5月18日〜7月14日

本学の大学院人文科学系研究科が北海道常呂町で考古学調査を開始したのは、1957年のことである。以後、1973 年には文学部附属常呂実習施設が設立され、学生実習をかねた野外調査が今日にいたるまで、毎年、続けられてきた。半世紀近くの間に、常呂に蓄積された古代北方諸文化に関する考古学資料は膨大な量に達している。本展示は、その中からクマ・海獣など骨角彫像を中心としたオホーツク文化期の優品、約400 点を上京させ一堂に公開する初めての試みであった。当館所蔵の作品とあわせ展示品総数は500 点ほどになった。
「オホーツク文化」とは、5 〜10 世紀頃、流氷が漂着するオホーツク沿岸にのみ花開いた異民族の文化のことをいう。ロシア方面から渡来した彼らは海獣と魚の獲得、毛皮交易などで生計をたて、クマを祀る伝統をもっていた。その習俗は在地の先住民にも影響を与え、アイヌ民族伝統の基礎を形作ったことが判明しつつある。列島の北端で継起したこの独特な集団の消長と在地先住民との関係を多面的に解き明かし、一般の日本列島史では語られることのない謎めく交流に光をあてることを本展示の第一の目的とした。本展示のもう一つの主眼は、現代的なフィールドワークのありかたを考えてみることにあった。実習施設を中心にしたオホーツク海沿岸での研究は、地元、常呂町の全面的な協力なしにはなしえなかったものである。一方、東京大学の活動は今や現代を生きる常呂町地元社会と密に相互作用するようにもなり、町の文化行政の主要な一翼を担いつつもある。過去と現代に繰り返された異質な世界の遭遇と融合の過程を追跡し、北の大地で続く東京大学の学術活動を検証したいと考えた。
なお、発掘品に加えて、常呂町での発掘が始まる以前、本州の知識人が北の世界をどうみていたかを示す絵画・書籍史料も展示した。『蝦夷生計図説』(1823年)、『蝦夷志附図』(1720年)、坪井正五郎監修のコロボックル生活想像図(1903 年)などである。
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新規収蔵展示
「三宅コレクション――幕末医家のディレッタンティズム」展
2002年5月18日〜9月1日

2002年4月に本学医学部附属医学図書館から管理換えを受けた医科大学初代学長三宅秀のコレクションの新規収蔵展示である。江戸時代の植物標本、伝シーボルト招来の鉱物標本などの自然標本、江戸時代以来の海外国内の外科道具一式、伝シーボルト使用の皿などの文化物品、三宅英庵(秀の祖父)の書翰、三宅秀の辞令・日記などの文書資料の実物展示、エジプトのスフィンクスを背景に撮影された有名な集合写真をはじめ幕府遣欧使節団や旧東京医学校本館等の写真資料のパネル展示を行なった。管理換え以前の分館開館当初から一部の標本資料を借用して常設展示してきたが、会期終了後も分館で常設展示しているほか、その後の本館・分館の特別展示で展示したものもある。
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常設展示・東京大学コレクション]W
「クランツ標本」展
2002年7月27日〜2003年6月20日

クランツ標本は、東京大学が開成学校、東京開成学校と呼ばれていた明治初期に、世界的に著名なドイツの標本商であったクランツ商会から購入されたもので、総点数は12,000点に達する。1873 年に開成学校が誕生し、鉱物学や地質学の教育が行なわれたが、外国から購入した約150 点の鉱物標本とロイニース著『博物学』が一冊しか備え付けられていなかったと伝えられている。1874 年、開成学校が東京開成学校となり、クランツ標本などの標本や書籍など多数が購入された。これらの標本群は、日本の最初の大学における教育現場の第一線で活躍し、教育研究の基盤形成に貢献したと考えられる。本展示は、明治初期という日本の鉱物学・地質学の黎明期に、学問そのものであったクランツ標本群の総覧を通して、少数のエリート学生に対して行なわれた教育と、そこから生み出された近代的研究の係わりを総合研究博物館という場を通して明らかにする目的で企画された。
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特別展示
「東京大学学位記展――ようこそ学問のフロンティアへ」展
2002年7月27日〜9月1日

東京大学では多岐にわたる研究分野で世界的な研究が行なわれているが、その最先端で大きな役割を担っているのは博士課程の若き研究者たちである。この最先端の研究分野は学会だけで公表されるべきではなく、広く社会に還元すべきであるとの考えから、「学位記」展を企画した。このため広く学内に協力を仰ぎ、11の研究科と1研究所から合計29の展示をすることになった。その内容は、法律、教育、文学から動植物学、人類学、宇宙学、最新のコンピュータ科学まできわめて広範におよんだ。このような学位研究の紹介展示は我が国では初めての試みであった。本展示では日本で最初に博士号をとった50名のうちの一人である加藤弘之をとりあげ、ひとつのコーナーを設けた。またオープンキャンパスで訪問する高校生たちにも門戸を開いた。「東京大学学位記展―ようこそ学問のフロンティアへ」というパンフレットを作成した。
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特別展示・東京大学コレクション]X
「貝の博物誌」展
2002年9月21日〜11月4日

海国日本は暖流と寒流が混ざり合う絶好の地理的条件に恵まれており、世界中でも際だって貝の種類の多い地域の一つである。貝類は熱帯から極域まで、あるいは深海から陸上域にも幅広く生息しており、地球上のあらゆる環境に適応している。そして、貝殻の形や色の繊細な美しさには世界中の人々が魅了され、装飾品として利用し、コレクションの対象として収集品の多寡を競い合っている。貝は自らの身を守る構造物として貝殻を分泌するが、結果として得られる形態には、人類には模倣し得ない美しさと洗練された機能を兼ね備えている。このように、種類の豊富さ、さまざまな生活様式、形の美しさは貝類を代表する特徴である。本展示では、身近な貝から稀少種まで、自然の多様性と造形美を代表する学術標本の数々を公開した。
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新規収蔵展示
「蓮實重康博士旧蔵美術史研究資料」展
2002年9月21日〜11月4日

博物館工学の教育研究プログラムの一環として企画された新規収蔵品紹介企画展示。学部生、院生、社会人からなる展示担当班が、展示物の選択から、作品解説、人物紹介、ポスター作成、展示プランの策定まで行なった。理系の学問や研究では、実験をすることは当たり前の日常であるが、文系では、具体的なモノを扱いつつ試行錯誤を繰り返す機会は稀である。ましてや、博物館での展示すなわち、一定のスペースに展示物を充填し、そこに1つの論理的で、創造性に満ちた「空間」を構築する体験は、現行の教育研究制度の枠組みのなかで容易に得難い。当館ではゼミ指導や研究活動を利用して、展示についてさまざまな試みを行ない、その成果の一端を実験展示として広く公開している。実体的実習教育の成果として、新聞など各種メディアに話題を撒いた。
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新規収蔵展示
「モノは私のフィールド・ノート――小田静夫氏旧蔵南太平洋コレクション」展
2002年11月18日〜12月20日

元東京都学芸員、小田静夫氏から寄贈された南太平洋考古民族コレクション(約1,000点)の一部を公開したのが本展示である。作品は、アンティークショップで売られる石器時代の考古遺物のムラージュ、現地の人々が伝統技術を用いて小田氏のために製作したレプリカ、彼らが使用していた民族資料、かつて使用していた伝世品、そして完全な土産物等々からなっていた。小田氏はホンモノを持ち帰ることが許されない中、現地調査のかたわら、それらを「フィールドノート」として収集したのだという。しかし、見方を変えれば南太平洋の歴史や生態、島民の伝統工芸の継承や変化、過去を売り物にした観光産業、島社会の経済等々、このコレクションは「石器時代」をキーワードにして20世紀末の南太平洋社会を読み解くための一級資料にほかならないとも言いうる。
本展示は10年目を迎えた本館の学芸員リカレント教育の一環として企画し、全国各地で活躍している現役の学芸員の方々ら15名とともに共同制作したものである。密な議論とハードな共同作業の結果、わずか5 日間で仕上がった。展示立案から準備過程の分析、結果の評価も参加者とともに実施し、啓発されるところ大であった。
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小石川分館開館1周年記念特別展示
「MICROCOSMOGRAPHIA――マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」展
2002年12月17日〜2003年3月2日

ニューヨークを中心に活動している米国人美術家マーク・ダイオン(1961-)とのコラボレーション展示。博物館工学ゼミに参加する学生・院生からなるプロジェクト・チームが、美術家ダイオンと対話を重ね、学内各所に見出される古い学術標本を今日的なアートの文脈のなかでどのように組み立て直すのかという課題に挑戦した。120 年を超える東京大学の歴史のなかで蓄積されてきた多種多様な学術標本を用いたアート・インスタレーションは、現代のミュージアムの原型とも言われる「ヴンダーカマー(驚異の部屋)」の珍奇な側面と、モノの収集にかける人間の不思議な魅惑を彷佛とさせるものとなった。ミュージアムの「原風景」を、科学(サイエンス)と芸術(アート)の関わりからあらためて掘り下げてみせる展示は、美術、デザイン、モード、映像などに関心のある、若い世代に強く訴求した。
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小柴昌俊先生ノーベル賞受賞記念特別展示
「ニュートリノ」展
2003年1月16日〜4月20日

本展示は、素粒子物理学というモノよりも理論の世界をどのように見せるのか、という実験的な要素を多く含んでいた。本学名誉教授の小柴昌俊先生のノーベル賞受賞(2002年12月)を記念した本展示では、カミオカンデ、スーパーカミオカンデという巨大な観測装置によって太陽に起源を持つニュートリノや超新星爆発に起源するニュートリノの観測がいかに行なわれたかを示しつつ、太陽ニュートリノ異常・大気ニュートリノ異常からニュートリノ振動について、素粒子ニュートリノについて最新の研究成果を紹介した。展示会場では、博物館のメンバーによる小柴先生のインタビューやスーパーカミオカンデの建設ビデオを放映した。小柴先生が言われる「基礎科学の重要さ」とその魅力を感じ取って戴くことを目的とした。本展示はその後、巡回展として組み直されて全国9ヵ所を巡回した。
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新規収蔵展示
「痕跡の考古学」展
2003年1月16日〜6月20日

人々が生活を営なむということは、程度の差こそあれ周囲の環境を暮らしに都合の良い形に変革し、自分達の目的に合った生活環境を作り出してゆくことであろう。結果、その場には人々の生活によって変化したさまざまな痕跡が残されることになる。考古学は、その場に残されたさまざまなものを分析対象にして人々の生活を明らかにすることから始まり、それらを総合した分析・解析によって人類の歴史を解明して行くことを目的としている。その資料を得るために、発掘調査がいかに重要な位置を占めているのかは多言を要しない。研究者は調査に関わる情報を詳細に記録して、わずかな痕跡であっても可能な限り研究資料として扱うことから、出土資料には最大限の注意を払っている。しかしながら、その資料は断片的である場合が多く、長年埋蔵されていた結果、失われてしまった情報の量もまた計り知れない。資料の表面的な観察・分析するだけでは入手できるデータにも限界がある。したがって、残された資料に対してさらに詳細な観察・分析を行ない、包含されている情報を十分に使い切るための方法が必要となる。本展示では、遺構・遺物などに残されている削り痕や圧痕などさまざまな 痕跡を、その痕跡を残した原体のレプリカとして復元し、考古資料に残された新たな情報として詳細な観察・計測・分析を行ない、当時の生活環境や道具の製作技術を明確にする根拠を提示した。
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分館常設展示
「COSMOGRAPHIA ACADEMIAE――学術標本の宇宙誌」展
2003年3月19日〜2006年2月19日

小石川分館は、1970年に国の重要文化財に指定された東京大学現存最古の学校建築〈旧東京医学校本館〉をミュージアム施設に改修し、2001年11月に総合研究博物館の分館として一般公開したものである。本展は、医学・自然(動物・植物・鉱物)・建築・工学という4 つのセクションから構成された。展示コレクションとしては、本学最初の医学博士・名誉教授である三宅秀の学術標本コレクション、E. モースの直弟子佐々木忠次郎・飯島魁らの動物標本コレクション、工部省工学寮時代の工学模型・機器のコレクション、内田祥三・井口在屋・徳川武定らのガラス乾板原板・工学模型・機器のコレクション、加藤弘之像をはじめ本学の教育研究を担ってきた博士らの肖像のコレクション、E. エアトンの大型什器をはじめ本学の教育研究の現場を支えてきた標本・掛図・模型・機器・什器のコレクションがある。
小石川分館ではこれらのコレクションの学術的位相とともに、骨・剥製・植物・鉱物あるいは木・石・金属・なまりガラスなど、標本1 点1 点の質感のヴァリエーションを重視し、標本を支える什器も古いものを中心に厳選して相互に最適な組合せを模索することで、全体として一つのアート作品に比肩しうる三次元「小宇宙」の実現を図った。そのうえ旧東京医学校や旧小石川薬園・養生所という歴史的由緒、新旧の骨組みが混交する擬洋
風木造建築、自然豊かな植物園という都心有数の立地環境を享受する分館は、標本・什器・建築・立地環境というトータルな面において、まさに「学術標本の殿堂」とでも呼ぶにふさわしい状況を達成しつつある。
学術標本の展示が一つの究極形を獲得し、当初の「学校建築デジタルミュージアム」構想も新たな局面をむかえた。分館では、学問の実像と学問の場たる建築との関係、学術標本一般に対する建築資料・デジタル画像の特性、三次元〈小宇宙〉の構成要素としての適性を考慮し、既存の学誌財グローバルベースのコンテンツ拡充に加えて、いくつかの実験的な試みをスタートさせた。
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常設展示
「ニュートリノ」展
2003年4月22日〜6月20日

2002 年度の特別展示「ニュートリノ」展を常設展示とした。
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特別展示
「東京大学学位記展U――博士研究にふれて」展
2003年7月19日〜9月7日

2002 年度に引き続き「学位記」展を開催した。点数は前年度よりは少なめとした。多くの展示の中でも、バーナード・リーチについて新しい観点から挑戦した研究、人間との軋轢に直面するヒグマの保全学の研究、太陽系の外の惑星を新技術によって解明しつつある研究、そして人体と磁気の関係を新しい技術や手法で解析し医療にも応用しようとするバイオマグネティクスの研究などに関心が集まった。本展示では当館に新設されたミュージアム・テクノロジー研究部門のスタッフの協力が得られ、展示が充実した。また当館の西野嘉章教授による博物館工学ゼミの受講生が展示内容の取材、展示について大きな貢献をした。ことに日本で女性として初めて博士号を取得した保井コノ博士の取材は充実したもので高い評価を得た。保井博士の業績は社会と学問のあり方を考える上でも重要な意義を含んでおり、「学位記」展にふさわしい展示となった。「東京大学学位記展II―博士研究にふれる」というパンフレットを作成した。
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特別展示
「世界初公開――最古のホモサピエンス写真」展
2003年7月19日〜9月7日

エチオピアで発見された16 万年前の現代人の祖先の化石が、2003年6月に発表された。その研究成果は、エチオピア国、米国カルフォルニア大学、そして本学の研究者らが長年継続してきた共同研究のたまものであり、当館の人類形態研究室が重要な役割を果たしたこともあり、本展を開催した。
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新規収蔵展示
「川口コレクション――農園をもつ二枚貝類」展
2003年7月19日〜9月7日

岡山大学名誉教授・川口四郎博士(東京大学理学部動物学科1930年卒)が当館に寄贈された、永年の研究中に採集した造礁サンゴ貝類標本を公開した。共生褐虫類をもつ二枚貝としてよく知られたシャコガイ類の他に、川口博士はリュウキュウアオイ、カワラガイなどを発見され、これらを比較総合的に調べ、共生による貝形殻質体部などの変化を明らかにされた。各種とも発生初期には共生藻はなく、約2 週間後に摂取すると変態する。殻が巨大で共生部が外面に出る種類と、殻が薄く透明で共生部が殻内のものとがある。
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国際共同展示・特別展示・東京大学コレクション]Y
「シーボルトの21世紀」展
2003年10月4日〜12月7日

日本とオランダの修好400年に当たる2000年に、当館はライデン大学からシーボルトと彼の後継者が日本で収集した植物標本の一部、およそ400 点の寄贈を受けた。ライデン大学植物学博物館・オランダ国立自然史博物館との共催による本展ではこれらの標本を初めて公開し、21 世紀という新しい時代を迎え、改めてシーボルトの果たした役割を再検討した。 本展示では、第1にこれまでのさまざまな個別的分析に基づくシーボルト像を、シーボルトが当時の日本人に与えた衝撃とその受容、帰国後のシーボルトが当時のヨーロッパの人々に与えたインパクトと受容という点から見直した。第2 にシーボルトの最も大きな業績である日本の植物研究への貢献を、日本で収集した標本とそれに基礎をおいた学術研究から展望した。また、21 世紀においてますます高い評価が与えられるシーボルトの諸活動には当時のオランダの貢献が大きく、シーボルトの日本コレクションの大部分は、専門性に応じて複数の博物館・大学に散逸することなく大切に保管されている。そこで、学術研究と博物館のあり方の一つのモデルとして、その一端も紹介した。
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特別展示・東京大学コレクション]Z
「石の記憶――ヒロシマ・ナガサキ/被爆資料に注がれた科学者の目」展
2004年1月24日〜4月12日

1945 年10 月、広島・長崎の原爆投下2ヵ月後に、現地を調査する科学者団がいた。学術研究会議の被爆調査団のメンバー達であった。その中の地学班長であった渡武男・東京帝国大学教授は、岩石の被爆状況と被爆範囲の調査や岩石に残された熱線の影から爆央(爆発の中心)を決定するという目的をもって、調査にあたった。本展示は当館に収蔵されていた渡教授採集の広島・長崎の被爆岩石・瓦など、教授自ら撮影した写真、被爆調査団関連紙資料、野帳に光を当てて、原爆投下直後の極限状態の中で、渡教授が研究者としてどのように試料を収集し、そこから何を読み取っていったかという科学者の真摯な視点、そして体系的に収集された試料をもとにして現代の科学者である私たちが解き明かしていった過程を明らかにした。
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新規収蔵展示
「平林武収集鉱山資料」展
2004年1月24日〜4月12日

明治から昭和初期にかけて農商務省技師、東京大学工科大学校教授として全国の鉱山や治水現場を調査した故平林武教授の全資料が当館に寄贈され、新規収蔵展示として公開された。本展示では、ほとんど全ての資料が散逸してしまったと考えられる日本各地の中小鉱山の坑道図や鉱山経営の実態を示す各種の資料を展示した。また平林教授の調査の綿密さを示す野帳も展示し、調査の実態を示した。資料のカタログは当館の資料報告として出版した。
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東京芸大川俣ゼミ+西野ゼミ合同展示
「物見遊山――出会いのカタチ」展
2004年2月28日〜3月14日

東京芸術大学で油彩画・彫刻・情報デザインを学ぶ学生・院生と、当館の博物館工学ゼミの学生・院生、さらには両大学の助手・教官など、併せて20名を超える参加者による協働展示。小石川分館の常設展示「学術標本の宇宙誌」の展示スペースの各所に、芸大生らの制作するコンセブチュアルな仮設制作物がはめ込まれた。本学の学生は制作の手伝いから、レセプションの開催、会場の運営などを行なった。参加者のなかから、ケータリング・フード・アートのプロ集団が誕生した。
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特別展示・東京大学コレクション][
「プロパガンダ1904-45――新聞紙・新聞誌・新聞史」展
2004年4月29日〜8月29日

植物部門で押し葉標本の乾燥用に使われてきた古新聞を、人文系諸学に資する歴史的な文化財として再評価することを企図した実験展示。1)然るべき公的な研究機関、発行元の新聞社、民間の組織や個人のいずれにおいても、国内では古い新聞の歴史的な価値に対する認識が乏しく、保存管理体制も整っておらず、早急に手を打たないと取り返しのつかないことになる、2)植物標本の保存庫から古い新聞を取り出し、それらを再評価するという試みは、現行の学術体制をかたちづくる自然史と文化史の両セクターを架橋することに他ならず、こうした学術資源リサイクルとも積極的に取り組んでいかなければならない、3)「新聞紙」はわれわれが普段考えている以上に造形的な素材として面白いものであり、それを利用してさまざまなアートの可能性を考えることができる、以上の3 点を伝えようとするもの。
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新規収蔵展示
「東大総長のプレゼンス――渡邊洪基から内田祥三まで」展
2004年4月29日〜8月29日

2004 年4 月の国立大学法人化にともない、大学の「顔」としての総長の役割が従来に増して拡大されることとなる。このようなことも念頭において歴代総長と関わりの深い歴史的標本資料の小展示を大学史史料室と共催した。大学の会議室へ歴代総長の肖像写真が一堂に掲げられていることを考えれば、歴代総長の展示ということも基本的にはその延長上へ位置づけられるものである。限られたスペースにおける法・文・理・農・医・工の各学部へわたる戦前期の12人の総長の展示となると、それぞれの点数も限られてくるが、当初の予想以上に手がかかるものとなったのは、そもそも総長の標本資料がそれほど残っているわけではなく、展示という観点からはその中からさらに選ばざるをえないことによる。肖像画・肖像彫刻ですら外山正一・菊地大麓の肖像画のように震災消失したものも含めて全てが揃っているわけではない。3 点の長与又郎の肖像彫刻を縦一列に配し、その両側へ2 点の山川健次郎の肖像画、小野塚喜平次の蔵書、加藤弘之・松井直吉の肖像彫刻を配し、さらにその両側のガラスケースへ残りの肖像画・肖像彫刻・図面・模型・写真・文化物品・文書資料を配し、濱尾新の肖像彫刻 をポスターとするコンパクトな構成ながら、その後複数の総長をめぐって本展示を意識したと見られる動きがあった点では一定の意義があった。
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特別展示・東京大学コレクション]\
「Systema Naturae――標本は語る」展
2004年10月2日〜

18 世紀にいたるまで植物、動物、鉱物などの自然物は神の創造物と考えられてきたが、自然界に存在するあらゆるものを秩序立て、分類の大綱を示すことに成功したのはリンネであった。1735 年にリンネは Systema Naturae(自然の体系)を著し、自然物を鉱物界、植物界、動物界の3 界に分類した。自然の理解にはさまざまな方法があり得るだろう。体系化はその優れた方法の一つであり、この方法によって蓄積されてきた知識も膨大である。リンネの構想は多くの学者の支持を得ることになり、動物も植物も、そして鉱物も種を基準に、自然の体系化が進んだ。標本は自然そして自然の体系を知る上で重要な手がかりとなるものであり、いまや標本なしには自然の科学的理解は不可能である。さらに未知の種を見出すために世界中から標本が集められた。研究を通じて標本は自然の体系の主役となった。標本を集める重要性が博物館の誕生と発展をも促した。リンネが自然の体系化を意図してから270 年になろうとしている。集積された知識を共有し、活用することが21世紀共生社会の実現には欠かせないだろう。その研究成果の公開こそは博物館の社会的使命ではないだろうか。本展示は、博物館での自然史研究から得られた「自然の体系」の様相を、収蔵する標本で具体的に展望した。
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特別展示
「ディジタルとミュージアム」展
2004年10月2日〜12月26日

ディジタル技術と博物館の接点を中心に「ディジタルとは何か」「文化とディジタル」「芸術とディジタル」「国際化」「新しいミュージアムの形」などといった観点から展示を行なった。世界遺産「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」、日本の国宝「源氏物語絵巻」といった世界の文化遺産や博物館の所蔵品などにディジタル技術を応用したディジタルアーカイブの各種事例を紹介することで、ディジタルの面白さ、すごさを伝え、さらにこれらを通してディジタル技術を応用した新しい博物館の姿や博物館の重要性を提示した。また、単にアーカイヴを構築し残すだけではなく、バーミヤンの破壊された壁画の修復や復元、失われた龍の天井絵の再現、そしてオリジナルに近い質感を有するプリントなど、ディジタル技術ならではの事例を紹介した。また、本学の「象形文化の継承と創成に関する研究」にて構築されたローマ・ポンペイに関する集積検索システムや当館小石川分館の「学誌財グローバルベース」など、大学博物館の特徴を生かし、ディジタル技術を用いることによって得られた最新の研究成果の紹介も行なった。
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新規収蔵展示
「須田昆虫コレクション―東京の昆虫たち〜その衰亡の歴史をたどる」展
2004日10月2日〜12月26日

当館に寄贈された約10万点の昆虫標本(須田コレクション)のうち、戦後杉並区を中心に採集された代表的な昆虫を、10年きざみで標本箱に展示した。標本箱には同じ昆虫を同じ位置に並べたため、「いなくなった」ことが一目でわかるようにした。これによって1960年代に東京の昆虫が激減したことがよくわかった。また1980年以降になって少し回復したこともわかった。その要因や背景について解説したパネルを展示した。これと並行して、本学理学部元教授の飯野徹雄先生が小学5 年生のときの観察記録を展示した。これは1940年の杉並区荻窪におけるきわめて詳細な記録で、当時の東京にいかに豊富な昆虫がいたのかをよく伝えるものであった。  なおこの展示はその後、多摩六都科学館(2005 年4 月16 日から5 月15 日)、港区でも巡回展示を行なった。
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分館特別展示
「森万里子――縄文/光の化石トランスサークル」展
2004年10月16日〜12月19日

国際舞台で華々しい活躍を続ける日本人美術家森万里子とのコラボレーション展示。現代社会の「文化状況」を一身に具現する美術家が、人類先史部門の所蔵になる麻生遺跡出土縄文晩期遺品「土面」(国指定重要文化財)から強い霊感を得て、現代の先端的テクノロジーを駆使した作品を制作し、小石川分館内に仮設した。古代縄文人の精神生活のありようを、宇宙的な時間の流れとそれを巡る儀礼の形式から探ろうとする試みは、「縄文」という新たなテーマを美術家にもたらした。美術家自身が国内各地の遺跡で行なった調査と、大学の研究者を交えた共同研究とを統合するかたちで実現したものであり、文字通り、「アート&サイエンスの協働」の成果である。会期中に「博物館工学ゼミ」の参加者が公開パフォーマンス・シンポジウムの夕べを組織し、美術家と多数の公衆との交流が実現した。
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特別展示
「メディアとしての建築――ピラネージからEXPO70まで」展
2005年2月5日〜5月8日

建築を含む全ての人工物は、多少ともメディアすなわち情報媒体の役割を担うと言えるであろう。本展示では、もう少し焦点を絞り、その時代の建築・芸術の思潮に大きな影響を及ぼした建築の図像(ピラネージの版画など)や、国力や産業技術の力を謳い上げるために作られた建築(万国博覧会の建築)などに照明をあて、メディアたるべくデザインされた建築というものを取り上げた。展示物は、明治時代にヨーロッパから持ち帰られたG.B.ピラネージによる古代ローマの想像的復元図ほかの版画集(本学総合図書館所蔵)、18世紀の建築家による古代の建築遺跡の想像的復元の書物、万国博覧会の歴史に関する諸資料および映像などであった。18世紀以降の近代という時代の中で、建築が何を伝えようとしたのか、そのためにいかにデザインされたかを、展示を通して提示した。
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新規収蔵展示
「蒙古高原の旅/江上波夫コレクション」展
2005年2月5日〜5月8日

江上波夫本学名誉教授(1906-2002)が戦前に内蒙古(現中国内蒙古自治区)で収集した考古歴史標本の一部を公開したのが本展示である。標本は2003 年から2004 年にかけて御遺族から寄贈された。
騎馬民族征服王朝説の提唱者、あるいは1956年に派遣された我が国戦後初の人文系海外学術調査(イラク・イラン)の主宰者として知られるとおり、江上教授は終生、歴史をユーラシア規模でながめつづけたスケールの
大きな研究者であった。そんな江上流歴史学をはぐくんだのは戦前の内蒙古調査の体験だったと思われる。1930 年の3 次にわたる予備踏査を皮切りに、1931年、1935年には走行距離4,000 キロにもおよぶ本格踏査を敢行しておられる。さらに1939年、41年には元代オングト族の王府址発掘、1944年にはラマ廟調査も手がけられた。内蒙古調査は都合8 度におよんでいる。騎馬民族征服王朝説が提唱されたのは戦後1949 年であるが、晩年の書物で、その着想を得たのは27-28 歳の時だったと書いておられる。まさに内蒙古調査を繰り返しておられたさなかのことである。今般ご遺族から寄贈された旧蔵コレクション(約4,000点)には、内蒙古調査で得た各種の資料、写真類がたくさん含まれていた。それは今となっては得難い学術資料であるだけでなく、20代の江上青年が、生きた騎馬民族を前にして何を見、何を思い、新説提唱にいたったのかを探るまたとない物証の数々だということができよう。
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国際協働企画展示
「Hiroshi Sugimoto, Etant donne: Le grand Verre」展
2004年11月13日〜2005年2月27日

カルチエ現代美術財団との共同企画で、パリの同財団美術館で3ヵ月間にわたって開催された。国際舞台で瞠目すべき仕事を発表している日本人写真家杉本博司に協力を頼み、東京大学コレクションのなかで特異な輝きを放っている2 種の学術標本群すなわち、1860年代英国製作の機構学模型群と1880年代独国製作の数理科学模型群の2 つのコレクションの撮影を行ない、その大型モノクロ・プリント約40点を、ヨーロッパの公衆に展示公開した。現物(モノ)でなしに写真(イメージ)による標本公開事業は初めての試みとなったが、まさに「巨匠」と呼ぶに相応しい杉本のプリント作品は、現物の不在を埋め合わせるに余りある迫力と魅力に満ちていた。展覧会開催にあたって、フランスの出版社アクト・シュッドから図録を刊行した。
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分館特別展示
「国際協働プロジェクト――グローバル・スーク」展
2005年5月27日〜8月28日

イタリア人建築家セルジオ・カラトローニ、ミラノ在住の服飾評論家矢島みゆき、サンパウロのカーサ・ブラジリエイラ国立美術館館長アデリア・ボルヘス、総合研究博物館西野嘉章の4 人の呼びかけにより、欧州、アフリカ、アジア、南北アメリカなど、世界各地の人々から寄せられたさまざまな人工物約300 点を観覧に供することで、人間の有する造形感覚、表現手法、価値体系がいかに多様か、その多様性を相互に認め合い、結び合う寛容さこそが、現代社会に分断をもたらしている言語、宗教、文化、人種の隔てを克服する上でいかに大切かを、視覚的かつ悟性的に理解させようとするもの。展示物と送主に関する情報は、現実の展覧会と連動しつつ成長する「グローバル・スーク・インデックス」のなかに蓄積され、コンテンツはデザイン資源として会期終了後にも役立てられる。情報と物流の地球規模的ネットワークの上に成り立っているプロジェクトは、時代に縛られぬもの(a-temporary)、国家に縛られぬもの(anational)、地域に縛られぬもの(a-regional)、名前に縛られぬもの(a-nonymous)といった概念を現代社会のなかに定位させることで、グローバリズムとトリヴィアリズムの対立項の止揚という、優れて今日的な課題にひとつの解答を見出そうとする試みとなった。展示、広報、運営、来館者調査などを博物館工学ゼミのメンバーが担った。
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特別展示・東京大学コレクションXX
「関野貞アジア踏査――平等院・法隆寺から高句麗古墳壁画へ」展
2005年6月4日〜9月4日

関野貞(1867 〜 1935)は、明治時代後半から昭和前期にかけて活躍した建築史学の研究者である。本学には1901 年から1928 年に定年退官するまで在籍した。本展示は本学生産技術研究所から関野が残した関連資料が移管されたことをきっかけに、彼の仕事の再評価を試み、日本と東アジアにおける文化財研究法、保護行政がいかに発達したかを追跡しようとしたものである。もとより関野の資料を多数保管していた工学系研究科建築学専攻との共催事業として実施した。
東アジアの古文化財を語るとき、関野の業績は避けて通れない。「文化財」という概念やその調査法、扱い方がまだ確立されていなかった一世紀ほども前、関野は日本、朝鮮半島、中国大陸という広大な地域を駆け抜けるように「踏査」して、現地に残る建物や彫刻、古墳などの網羅的リストを作り、そこから「価値の高い対象」を選びだして研究し、そして「保護すべき文化財」を選別、提言していった。この地域で現在ユネスコの世界遺産に登録されている文化財の多くは、関野が最初に詳細な報告を作成したものである。また、今日では当たり前のものになっている文化財の調査・研究法も、実は関野が確立した手法がかなりある。文化財の整備、再評価の動きがさかんになりつつある現在、関野の仕事の内容を正確に把握しておくのは大変時宜を得たことと考えられた。
関野の文化財踏査は奈良・京都に始まり、徐々に大陸へと広がっていった。今回の展示では特に奈良と朝鮮半島における踏査の足跡をたどり、関野がなした仕事の意義を検証してみた。膨大な数に上るフィールドカード、乾板写真、評価修復に関わった平等院鳳凰堂、法隆寺、薬師寺など古社寺の模型、図面、東アジア古建築の瓦、朝鮮古墳関連資料などが主たる展示物である。それらには、近年世界遺産に指定された高句麗古墳を保存すべく関野が制作した壁画実大模写も含まれた。
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ミニ展示
「ヒューマン・イメージ――先史時代の儀礼と人物像」展
2005年6月4日〜9月4日

太古の昔から私たちホモ・サピエンスは、ヒトの姿を絵にしたり像にしたりしてきた。ヒトの絵や像(ヒューマン・イメージ)をつくりだす目的はさまざまである。今日の社会をながめてみても、芸術はもちろん、装飾、玩具、呪術具、神像、教育用具など、実に多様な意図をもって作られた作品があふれている。先史社会においても目的は多様であったはずであるが、特に重要だったと考えられるのは儀礼に関わる製作である。祖霊像、仮面、神像、巫術師人形など事例は枚挙にいとまがない。それらは、宗教儀式や神聖な場において超自然的な世界と触れ合うための暗喩として使われていたらしい。つまり、象徴性という観点からいえば、そうしたイメージは自然界と超自然界の中間に位置していたのである。各種の像は、両方の世界の間のコミュニケーションを成り立たせる役割を果たしていたのではなかろうか。
本展示では、さまざまな儀礼に用いられたヒトのイメージの例を紹介してみた。中心としたのは西アジアと東アジアの考古資料で、それに東南アジアやオセアニアの民族資料を加えて展示を構成した。日本の縄文土偶やパプア・ニューギニアのセピック偶像、シリア、イランの古代土偶など異なる背景で生まれた作品群であるが、どれも、かつては自然界と超自然界の接点で活躍したモノたちであることは共通している。それらをながめることで、異なる世界に生きた人々の心と向き合う機会を得てみようというのが展示の意図である。
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特別展示
「ディオニュソスとペプロフォロス―東京大学ソンマ・ヴェスヴィアーナ発掘調査の一成果」展
2005年10月15日〜11月13日

東京大学海外学術調査隊がイタリアのナポリ近郊ソンマ・ヴェスヴィアーナ市のローマ時代遺跡「アウグストゥスの別荘」(通称)で発掘した、ローマ時代の「ディオニュソス」と「ペプロフォロス」の彫刻2 体を紹介する展示。彫刻が、愛知万博への出品のため、国内に将来されている機会を利して、ソンマでの東大調査隊の研究成果の一端を学内外に広く紹介しようとするものとなった。学内での教育研究の成果を社会一般に向けて開陳することは、まさに総合研究博物館の使命そのものでもあり、東京大学全体にとっても意義深い展覧会となった。
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新規収蔵展示
「重井陸夫博士コレクション――ウニの分類学」展
2005年10月15日〜2006年6月9日

重井陸夫博士が日本全国の海から収集されたウニの貴重なコレクションを展示公開した。ウニは浅海から深海に至るあらゆる海洋環境に適応し、日本に約160 種、世界全体では約900 種が知られている。ウニは体全体が石灰質の殻と棘で覆われ、複雑で美しい形を作り出している。我々にはなじみの深い食用ウニから、珍奇な希少種まで、ウニの多様な世界を紹介した。
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東京大学総合研究博物館開館10周年記念特別展示
「アフリカの骨、縄文の骨――遥かラミダスを望む」展
2005年11月26日〜2006年6月9日

本展示は、博物館としての原点、「もの」=学術標本における専門性に立ち返りながら、博物館における公開活動の可能性を追求する、人類学とミュージアム・テクノロジー研究のコラボレーションとして執り行なった展示である。人類学における先端的な発見とそれを巡る研究現場として、人類の起源に迫るラミダス猿人(440万年前)とカダバ猿人(570万年前)、さらには最古の「現代人」化石頭骨のヘルト人(16万年前)に焦点をあて、また、伝統のある本学ならではの学史的な重要発見、学術の積み重ねとして当館収蔵の姥山貝塚出土の古人骨とその背景にある膨大なコレクションを取り上げた。一見つながりのなさそうな「アフリカの骨」と「縄文の骨」との間の有機的な関わりを、展示というメディアを用いて三次元空間で効果的に表現することを試みた。
「アフリカの骨」としては、ここ10 年ほどの間に直接関わってきた研究活動の中から、特に興味深いと思われるものを展示公開してみた。1994 年当時、最古の人類化石として注目されたラミダス猿人の発見過程やレプリカをエチオピア国外で初めて展示公開した。また、最古の「現代人」化石頭骨の展示では、本館で行なったマイクロCT 調査から導出したハイテク・レプリカや、世界各地の現代人集団との統計的な比較、あるいは日本人の中ではごついとされている縄文人がどれだけヘルト人に迫るのか、などの研究興味を展示表現してみた。また、展示ディスプレイの実験をさまざまに織り込んでみた。例えば、人類と類人猿の違いを骨から読み解く展示コーナーでは、近接効果を出すため、骨標本を透明フィルムに挟み、天井からつるす方式をとった。「縄文の骨」としては、当館のキュラトリアル・ワークの成果を紹介するとともに、そこから波及する骨標本を扱うためのさまざまなノウハウや研究興味を、標本室そのものを展示場に展開した様相で示してみた。
本展示では、人類学における我々の日常的な研究場面を、すなわちフィールド・ワーク、標本研究、キュラトリアル・ワークの現場を、まさに展示場で表現することを試みた。過去から現在まで続く人類学研究への思いと、その過程と成果のおもしろさが、若干なりとも来館者に伝わったならば展示目的は達成したと考えたい。
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分館常設展示
「驚異の部屋――The Chambers of Curiosities」展
2006年3月9日〜

本展は、常設展示「COSMOGRAPHIA ACADEMIAE―
学術標本の宇宙誌」へ新たな標本や什器を加える形でスタートした。大航海時代の西欧諸国においては、Wunderkammer(驚異の部屋)と呼ばれる珍品陳列室が王侯貴族や学者たちによって競ってつくられたことが知られている。人は誰しも生まれたばかりのときには、眼に見えるもの、手に触れるもの、「世界」を構成するありとあらゆるものが「驚異」であったはずである。このような「もの」をめぐる原初的な「驚異」の感覚は、体系的な知の体得へ先立つものであるとともに、新たな知の獲得へと人々を駆り立てる潜在的な原動力ともなっている。交通・通信技術の発達とともに地理的な「世界」が縮小されていく一方で、知の「世界」は加速度的に拡大され、高度に細分化され、その先端的な広がりの全貌を把捉することはもはや容易ならざることとなっている。
このような21世紀という時代において、東京大学草創期以来の各分野の先端的な知を支えてきた由緒ある学術標本をもとに、「驚異の部屋」が構築されることは、次世代の知を担うべき人々にとっても少なからぬ意義を持つことと思われる。大学の過去・現在・未来へ通底する学際的かつ歴史的な原点とは何なのかということが、本常設展示へ込められたひとつの問いかけでもある。当初の「学校建築デジタルミュージアム」構想を踏まえた学誌財グローバルベースのコンテンツ拡充、最新のデジタル技術を駆使したミュージアム・インターフェース構築をめぐる実験的試みも継続的に進められている。
学内外からの多大なるご協力のもと、これまでと同様に学術的位相や造形的特性が異なった標本を幅広く備えることで、総体としての学術標本の魅力を伝えようとするとともに、標本1 点1 点の質感を重視し、標本を支える什器も古いものを中心に厳選して、相互に最適な組合せを模索することで、全体としてひとつのアート作品へ比肩しうる究極のミュージアム空間の実現を図った。新旧の木造骨組みが混交する東京大学現存最古の学校建築、都心有数の自然環境を享受する日本最古の植物園という基礎条件を鑑みても、標本・什器・建築・立地というトータルな面において、まさに「学術標本の殿堂」とでも呼ぶにふさわしい状況を達成しつつある。
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特別展示
「時空のデザイン」展
2006年7月22日〜10月9日

本展示ではアインシュタインの物理学そのものを前面に打ち出すというよりも、アインシュタインの提示した理論がニュートンを頂点とする古典物理学から現代物理学へのターニングポイントになり、多くの先端科学技術の源流がアインシュタイン物理学にあることを示し、本学を中心とした最先端科学を紹介した。展示を準備する議論の中で佐藤勝彦教授(本学理学系研究科)が述べられた「物理学の究極の目的は、我々人類を取り巻いている全ての現象がどのように構築され、どのような物理法則が支配しているかを明らかにすることである。近代物理学は相対性理論と量子論を2 本の縦糸とすれば、非平衡統計力学によるカオスや揺らぎが横糸となって織りなされている」ことを展示のコンセプトに据えた。このコンセプトの中に、アインシュタインの「相対性理論」「光量子仮説」「ブラウン運動」から導き出された、ビッグバンや重力波、GPS、ニュートリノ、太陽電池、フラクタルなどをはじめとする先端研究を展示した。このコンセプトは大学博物館に相応しく、そこから実現する展示は「実験展示」の名に十分に値するものになった。
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新規収蔵展示
「サンゴ礁の貝類 川口四郎博士コレクション」展
2006年7月22日〜

サンゴ礁生物学の世界的権威、川口四郎博士が収集された貝類標本が当館に寄贈された。サンゴ礁に生息する生物の多くは美しい色彩と形を持つが、貝類はその代表例である。沖縄、奄美、フィリピンの貝類を中心として、自然の造形美を示す貴重なコレクションを公開した。
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