巨大集中から携帯分散へ。ミュージアム概念の根本的転換をはかる実験プロジェクト「モバイルミュージアム」が始動した。このプロジェクトは、これまで本館の西野嘉章教授が検討されてきた「パオ・ミュージアム」構想を発展的に具現化したものである。モバイルミュージアムのキーワードは「流動化」である。既存の概念・制度・施設の中で固定されてきたミュージアムを揺り動かし、「内から外へ、集中備蓄からネットワーク遊動へ、施設建物から市民社会へ」(西野教授)という流れを生み出すことに目的がある。本稿では、このようなモバイルミュージアム構想の背景と特徴について考察する。
国立西洋美術館の青柳正規館長によると、世界には蓄積文化と循環文化があるという。物質的永続を希求するヨーロッパの文化は「蓄積」型であり、環境的共生を基盤とする日本の文化は「循環」型である。ギリシアのパルテノン神殿のような石造建築物は、モノ自体に記憶を刻印して恒久存在物をめざす。一方で、伊勢神宮をはじめとする日本の木造建築物では、度重なる造替・転用・再建を介して技術と伝統を継承する。
ギリシアのムーセイオンを起源とするミュージアムは、当然ながらヨーロッパ的な蓄積文化の象徴となる施設である。まさに蓄積の一大拠点といってよい。このような従来からのミュージアム概念に対して、別の流れを生み出すことはできないか。すなわち、膨大な蓄積を徐々に開放して世界に還流させる「循環型ミュージアム」の構築である。博物館の学術資源を自所に溜めこむだけでなく、外部に流動させて社会全体で共有・活用することが可能になる。それは、ミュージアムの活動領域を施設から環境へ、学術から生活へと拡張させる過程である。すなわち、私たちの生活環境全体がミュージアム化することを意味している。モバイルミュージアムとは、まさにこのような循環型ミュージアムのことである。本構想は「蓄積から循環へ」というミュージアム概念の転換点に立つだけでなく、物質文明に対する非ヨーロッパ圏からの概念提起という点でも重要になるだろう。
では、モバイルミュージアムの特徴とはどのようなものか。以下に「モバイルミュージアムの5原則」をあげてみた。小型(compact)、分散(distributed)、連携(networked)、共有(common)、再生(regenerated)、である。これらは、既存の蓄積型ミュージアムの特徴(大型、集中、単独、専有、保存)にことごとく相反するものである。特徴を反転させてみることで、動かざるミュージアムは流動をはじめる。
小型: モバイルミュージアムは「最小のミュージアム」である。ハコモノとして完結した巨大博物館をつくるのではなく、既存の社会空間の中にミュージアムの小型ユニットを次々と挿入していく。ユニットは「展示物+空間装置」(標本+ケース)からなる。たった一つの展示物という最小単位からミュージアムを立ち上げることができる。これらのユニットは、オフィス、学校、住宅、駅、官庁、公園など、今までミュージアムでなかった場所をミュージアムに変えていく。小型であることによって、既存空間に無理なく組み込むことができる。同時に、今までそこに無かった文化的雰囲気を布石効果のように醸成していくのである。さらに、モデュール(規格寸法系)の考え方を導入することによって、ユニットどうしの自由な組合せ展開も可能になる。小型でありながら拡張性を内包した自律発展型ミュージアムとしての可能性をもっている。
分散: モバイルミュージアムは「遍在のミュージアム」である。小型のユニットが社会の各所に配置され、いわば環境全体がミュージアムとしての性質を帯び始める。古くは、多数の人間が1つのミュージアムを共有するという集中状態(n:1)であった。今後は、1人の人間のまわりに多数のミュージアムが存在する分散状態(1:n)に変化していく。大規模集中から小規模分散への流れである。この流れによって、ミュージアムと社会のインターフェイスは領域的に大きな拡がりを獲得する。ミュージアムは象徴的に隔離された聖所ではなく、日常に潜在する結節点のような存在になっていく。見方を変えれば、社会の各所を小さなミュージアムとして発見する動き、いわばフィールドワーク型ミュージアムの形成につながっていく。
連携: モバイルミュージアムは「網状のミュージアム」である。分散配置されたミュージアムは相互に連携することによって、ネットワーク遊動を開始する。スタンドアロンからハイパーリンクへの機能的展開である。標本・装置・人が動くことによって、ミュージアムは全体的な流動性を帯びてくる。これを可能にするのは、モノの分散配置と情報の集中管理を統合するシステムの存在である。モバイルミュージアムは、まさに「システムとしてのミュージアム」である。共通基幹システムとして、ロジスティクス(物流)、スペースキット(装置)、ナヴィゲーション(人の誘導)、アーカイヴ(情報集積)などのデザイン開発を進めていく必要がある。さらに、ミュージアム拠点間の連携だけでなく、ミュージアムと周辺地域との連携も大きな課題である。モバイルミュージアムは、地域の社会教育活動に貢献し、モノ・人の多面的交流を促進する参加型ミュージアムになりうる。
共有: モバイルミュージアムは「所有しないミュージアム」である。特定施設に専有されている学術標本をネットワークに開放還流することによって、広い意味で資源の社会的共有が図られる。社会におけるモノの利用価値を重視し、死蔵から公開へ、独占的所有から社会的共有へという「所有意識の緩やかな変革」に向かうことが考えられる。実のところ、インターネットの世界ではこのような意識改革は先行して進んでいる。学術研究に支障の無い範囲で、資源の共有化が推進されることになるだろう。実際の運用においては、(現行のモバイルミュージアムがそうであるように)ミュージアム拠点の管理主体に対して、中長期のローンで標本が一定期間移管されることになる。「時限付き所有」と考えることもできるだろう。仮に、モバイルミュージアムによって地域に一定の経済効果が得られるならば、ストック(固定資産)をフロー(流動資産)としてハンドルする仕組みができるかもしれない。
再生: モバイルミュージアムは「創造のミュージアム」である。ミュージアムは過去の資源を保存するだけでなく、未来の価値を創造する拠点になりうる。世界中から採取された膨大な資源を再び社会に戻していくとき、モノたちは従前と異なる文脈の中で再生される。付加価値を伴った再資源化、学術研究における新発見、モノにインスパイアされた新規創造、といった効果が考えられる。過去の遺物であっても、大半の人にとっては初めて出会うモノかもしれない。そのようなモノの中から新たな学術的・実用的・審美的価値を発見し、人々の前向きな活動を引き起こすことが期待される。100 年前の最先端の工学機械模型が、現在ではクールな美術品として鑑賞対象になり、さらにはその形態原理が別種の新規発明を誘引する。このような物象価値の輪廻転生ともいうべき循環が発生しないだろうか。過剰な期待は慎むとしても、眠れる資源に再び生を与える機会は広汎に設けられるべきである。
モバイルミュージアムはシステムとしてのミュージアムである。そのシステムを考えることは、文字通り「動くもの」「変化するもの」が継続的に機能する仕組みを考えることであろう。現代社会では、モノ・人・空間・情報がすべて動いている。このような流動的な環境の中にミュージアムを設けるとき、それは刹那的でミクロ的で不定形でありながら生命力に溢れたものになるかもしれない。結局のところ、「循環の小拠点」が「蓄積の殿堂」を淘汰消滅させることはないだろう。モバイルミュージアムの本質は時間的なものである。それは、「循環」という継続現象の中で光を放つものである。