東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime13Number1



常設展
「イノシシ、かく生きる」

遠藤秀紀 (本館教授/遺体科学)

死体の意味
  「死体は表現型を独占する実体である」
  少し難しい言葉で、私は死体をそう位置づけてきた。
  当たり前過ぎることだが、ある種の動物の形や生き方を詳しく理解するためには、情報源としてその動物の死体が重要となる。明治維新以来ナチュラルヒストリーの伝統と蓄積を育て得なかった日本では、動物のアイデンティティを捉えようとすると、DNAかせいぜい細胞しか研究の対象にできないという現実があるのだが、実際に動物が見せる複雑多様な姿形や生き方を直接記録し、解析していくためには、丸ごとの死体が何より重要な情報を含んでいる。
  たとえば、体の大きさ、性別による特質、成長の様式、生息地ごとの特色といった、およそ基本的な動物の情報を、死体は丸ごと独占している。しかも、死体は単純で直接的なデータを残すのみにとどまらない。動物が厳しい自然環境のなかで、巧妙かつ大胆に形を変え、その環境条件に少しでも適した生き方を実現してきていることが、死体から明瞭に読み取れるのである。つまりは、運動、食性、代謝、繁殖、知能などの動物の基本的性能が、環境への適応によって確立され、それぞれの種や集団の生物学的特質として残されてきたことが、死体の研究から証明されるのである。死体こそ、動物がどのような自然淘汰を受けて、どのような形をもち、どのような生き方を身につけてきたかを明確に語ってくれる実体なのだ。
  これだけ無敵に近い死体にひとつだけ弱点があるとするならば、その多くの部分が短時間で腐って失われてしまうことだ。だが一方で、腐り果てたはずの死体が確実に残してくれるものがある。それは、骨だ。骨は真に記録性が高い。5千年でも1万年でも、動物が生きていたときの生の情報を大量に残してくれる。
  さらに付け加えると、骨は、もし1つしか存在しなければ、ただの個別個体情報に過ぎない。しかし、それが2つ3つと増えていけば、ある平均値や標準偏差をもつ、数値で扱うべき集合体に格上げされていく。つねに現象に散らばりを含みやすい生物学の研究対象として、数をできるだけ増やすことができれば、それだけ包含する内容は質が高くなる。つまりは、とある種の様子を人間が記述する内容は、骨が多ければ多いほど、正確で客観的なものとなるだろう。
  読者の皆さんは、博物館の収蔵庫に大量の骨が並んでいる様子を、写真などでご覧になったことがあるかと思う。自然史コレクションについては、先進国のなかでの日本のひ弱さは際立つものの、それでも数千体程度でよければ、動物の頭骨が並んでいる収蔵庫の様子は、日本国内でもまれに見出すことができる。骨がそれだけたくさん並んでいることは、そのコレクションが動物の特性をデータとして大量に含み、種の生物学的特性を規定し得る可能性をもっていることを示している。

林コレクションの登場
  さて、今日めでたく展示場に並ぶのは、日本最大級の動物骨格コレクションである。収集者の名は、林 良博。偶然ではあるが、展示の時期と一致して、当館の館長を務めている人物である。
  総個体数七百点以上。莫大な数を構成する主は、日本産のイノシシだ。東北南部から南西諸島は西表島まで分布を広げるこの動物。けっして珍しい種ではないが、逆に普通過ぎる故か、かねてから組織立った死体の収集がなされ、それがしっかりと保管されてきた例は乏しい。そのなかで、七百点の収集物が研究論文とともに残されてきた、稀有な標本群が「林コレクション」である。
  コレクションの形成はおもに1970年前後の猟期に行われた。各地の猟師を訪ね歩き、現場で狩猟されたものを譲り受けるなどして収集が開始された。巧みな収集手法としては、イノシシ料理店にやってきた個体から骨が取り出されるのを、厨房の外で待ち受けるという手が使われている。収集地はイノシシの分布域の大半を満たしているが、とくに関東北部、福井、三重、兵庫、大分、宮崎、奄美大島などにおいて収集努力が重ねられている。また、ごく少数だが、東南アジアはタイ周辺のイノシシ骨格も含まれている。
  この時代まで、まだ水準が高まっていなかった日本の哺乳類学では、わずか2、3点の標本をもとに新種のラテン語が提案され、地域集団の代表的な大きさとして信頼度の低い数値が一人歩きすることは珍しくなかった。それを、欧米に負けない確度の高い解析水準に引き上げたのが、林コレクションのイノシシ研究である。日本の動物学界の特徴として、こうした自然誌学的・形態学的研究は一貫して農学部で推進されたのであるが、標本を集めそれを大切にする動物学の体系が当時の農学に花開いていたことを、コレクションは如実に物語ってくれている。
  本来、日本人に相当なじみの深いイノシシのような動物は、実をいえば、毎年かなりの量が肉利用や駆除目的で狩猟され、収集の可能性は開かれてきたのである。事実、現在では、たとえばニホンジカなどは、数にして四桁代のコレクションが研究機関に残されてきている。しかし、いまだ研究水準の未熟だった70年代にイノシシに向けられた収集意欲と探究心がいかに熱気に満ちていたかを、林コレクションは現物をもって証明してくれている。

骨から知られる真実
  コレクションからは、当時の林の独壇場である日本産イノシシの地理的変異と成長の問題が次々と解明されていった。まずコレクションが明らかにしたのは、年齢と性別の確定である。イノシシに限らず、動物の年齢は歯の生え具合で確認することができるとされてきた。日本のイノシシの多くは春から初夏にかけて生まれる。しかもこのコレクションのイノシシの一定数は毎年11月から2月の間の狩猟期間中に捕獲されたことが分かっているため、標本個体の実際の年齢(月齢)は、ほぼ1年おきに周期をもっているはずだ。イノシシが5月に生まれ12月に殺されたとすれば、コレクションに含まれるあらゆる標本の月齢が7ヶ月、19ヶ月、31ヶ月、43ヶ月…と整った周期をなしていることになり、歯の生え具合は月齢に応じて不連続的な様子を示すはずである。この不連続性を検出する術を開発しておけば、狩猟期間中の収集個体であれば、年齢を誤差少なく特定することができる。実際、研究が進むと、奥歯の生え方や乳歯の抜け方を見ることで、イノシシの年齢は一目瞭然となった。それは、すべて、林コレクションの基礎データをもとに打ち立てられた理論である。
  他方、性別の判定は、たとえば2-3歳を過ぎた個体であれば、計測値がオーバーラップしないくらいに雌雄の犬歯(牙)の大きさが異なってくるので、一目見て明らかである。しかし、幼獣の場合には、性別は一見では分からない。そこで林は、X線写真を用い、まだ生えていない犬歯の歯根部を透過撮影することで、幼獣から性差を検出できないかと考えたのである。結果、生後4-5ヶ月にはほぼすべての個体で、歯根の深さが二群に大別され、大きなものを雄、小さなものを雌と識別できることが分かった。収集者の林はコレクションを作る際に、実際に生殖器を確認するという周到な方法で性別を確認しているため、性差を正確に語り得る基礎資料として、その後この大量の標本群が活かされることとなった。
  こうして議論の土俵に乗ったイノシシたちは、まさに第二の生命を与えられたといえる。死してなお、「かく生きる主体者」にすら名乗りを上げたといえるだろう。
  コレクションはイノシシの未知の特性を次々と語り始めた。まず、南北に広がる日本列島のイノシシの地域間サイズ差、成長パターンの異動を、実際の数値データとして研究の世界にもたらした。俗にベルクマンのルールと呼ばれる現象が哺乳動物の世界に見られ、寒冷地に暮らす集団は温暖な地域に分布する集団に比べてサイズが大きくなるとされてきた。このベルクマンのルールがイノシシには見事に当てはまってくる。低温下での体温維持のために体積の大きい個体の方が有利になるという適応的進化の実際を、日本のイノシシが明確に見せてくれたのである。また、イノシシが最初の一年半くらいの間に急激な成長を遂げることも、このコレクションをもとに各集団における幼獣期の大きさの変化を検討した結果、把握されてきた事実である。
  また、南西諸島のイノシシは非常に小型であるため、かねてからリュウキュウイノシシと呼ばれて本土産と区別されてきた。林コレクションは、リュウキュウイノシシの成長パターンや部位ごとの大きさが本土のものとは明確に異なる点があり、単に南に分布しているから小さくなったというような単純な現象ではないことを示した。その後の研究でも、リュウキュウイノシシがほかのイノシシとは系統進化学的位置の異なる集団であることが明確に指摘され、南西諸島の特異な生物の歴史に迫る貴重な成果となっている。
  さらに、イノシシのような動物が島に閉じ込められて進化すると、サイズが極端に小さくなるという、少し難しい言葉で島嶼隔離効果と呼ばれる形の変化が知られている。この島嶼隔離効果の実態についても、コレクションは明瞭に示してくれている。南西諸島やタイ島嶼産集団の下顎の検討結果や、その後に私が導入した台湾産コレクションとの比較を通じて、進化史途上で島に入ったイノシシが急速な小型化を示すことが、成長パターンなどから見て取れることとなった。

進化するコレクション
  ところで、このコレクションにこれまで大きく欠けていたものは何だろうか。私の考えでは、キュレーティング(curating)である。キュレーティングとは聞き慣れない言葉かもしれないが、要は、学術的問題意識をもった人間が、コレクションをしかるべき環境に収蔵して、世界中の人々が自由に研究できる状態に整えることである。残念ながら、林コレクションは、長く東大構内の狭い一室に置かれ、標本データの積極的な発信は行われず、利用者にとってけっして使いやすいものとはなり得なかった。収集者の個人的努力で大規模に構築された標本群ではあるが、それは70年代の標本収蔵の水準にとどまってきたといえるかもしれない。確かに一部の好奇心旺盛な学者たちがこのコレクションで多大な成果を残したものの、コレクションの情報発信のレベルは不十分なままだった。
  キュレーティングの質は日進月歩だ。いまや、年齢、サイズ、性別、産地、収集年月日、収集者などが自由に閲覧できるデータベースが自然史博物館に発達している世の中である。その程度の基本的な情報などは、当然のごとく発信されていなければならない。私はその程度では飽き足らず、サルの頭骨標本などで互換性の確立されたフォーマットによる三次元デジタルデータの蓄積と公開を実施し、いくつかの博物館や研究機関で、標本情報の発信体系として先導してきた経緯がある。その水準からすると、林コレクションがおよそ40年の大きな遅れをとってきたことは事実だ。

  いま私にできることとして、このコレクションのキュレーティング体制の高度化が挙げられよう。近日中に三次元デジタルデータの無償配布を総合研究博物館から開始する予定だ。もちろん、標本を用いた情報発信の進歩は限りない。かつていわれたように、デジタル技術を導入すればそれだけで博物館が変わるなどという安易な主張がまかり通るものではないことは、もはや明らかだ。博物館の成否を左右するものは、インフラやソフトの導入ではなく、標本と起居をともにする人間の、論理的能力や表現センスなのである。博物館に働く人間個人がいかに真摯に、そして熱狂的に標本と付き合っているかどうかが、現実に問われる時代を迎えているのだ。林コレクションは何十年も前の収集物でありながら、いまこの時代に新たなナチュラルヒストリー像を生み出すべく、博物館やそこで働く人間とともに進化しつつあるといえるだろう。
  1970年、一人の収集者の類まれな能力によって、このイノシシコレクションは学術文化の歴史に第一歩を記した。それから40年を経ようとしているが、標本の意義は色褪せるどころか、学問と文化を支えるべくますます厚みを増している。700体に及ぶイノシシは、骨になっても、けっして死んでいるのではない。さらなる輝きにあふれながら、生き続けているのである。

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図1 兵庫県産の雄成獣。牙(犬歯)がよく発達している。


図2 同じ場所で獲れたイノシシだが、大きさが異なる。
手前の個体が成長をほぼ終えているのに対し、奥のものは
まだ成長途上の若い個体だ。



図3 年齢はほぼ同じ両個体だが、右は雄で、左は雌だ。
犬歯の太さの違い以外に、全体の大きさが雄の方が
大きいことが分かる。