常設展
ラベルから辿る古生物標本の歴史
佐々木猛智 (本館准教授/古生物学)
伊藤泰弘 (本館キュラトリアルワーク推進員/古生物学)
見方によっては古ぼけた石の塊にしか見えないかもしれない。しかし、それが日本最古の学術的な化石コレクションとなれば評価は全く異なる。東京大学総合研究博物館が所蔵する標本、特に「クランツコレクション」は間違いなく国内最古の学術的な目的で収集された化石標本コレクションである。
クランツコレクションのクランツとは、ドイツの標本商クランツ商会(1833年設立)のことである。コレクションには独特なフォーマットで印刷されたクランツ商会のラベルが入っており(図1A, B)、一目でクランツ標本と分かる。コレクションの内容は、19世紀に知られていた世界中の有名な産地から集められた、あらゆる地質時代を網羅する化石標本であり(図2)、その点数は約6000点に達する。
一方、クランツコレクションには由来の異なるいくつかのラベルも含まれている。欧米の研究機関、標本商などのラベルがあり、本来のクランツ標本を核にして様々な由来の標本が集められたようである。例えば、James R. Gregory(図1E), Illinois Geological Survey(図1F), Comptoir Mineralogique & Geologique Suisseなどのラベルが含まれている。
クランツコレクションで注目すべきことのひとつは、開成学校のラベルが入っていることである(図1C)。開成学校は明治元年(1868年)に設立された東京大学の前身であり、明治7年(1874年)に東京開成学校と改称され、明治10年(1877年)に東京医学校と統合され東京大学が設立された。従って、開成学校時代の標本は明治最初期の標本であることを示す。
東京開成学校で古生物学を教えたのはナウマンゾウで有名なナウマン(Edmund Naumann)である。ナウマンは明治8年(1875年)に来日し、後に東京大学地質学科の初代教授になり明治18年(1885年)にドイツに帰国した。クランツ標本は、ドイツ出身のナウマンが教育のためにクランツ商会から購入を手配したものであると推定される。
我が国では古生物学はドイツから輸入され、その学風は日本の古生物学全体に影響を及ぼした。日本人最初の古生物学者、横山又次郎は、明治15年(1882年)に地質学教室を卒業し、ミュンヘンのZittelのもとに留学し、明治22年(1889年)に帰国した。続いて神保小虎、矢部長克がベルリン、ウィーンに留学し、日本人古生物学者の第一世代を形成した。彼らはクランツ標本を見て古生物学を学び、古生物学の中心地ドイツに留学し、帰国して古生物学の発展に尽力した。その標本が現在も保管され、1世紀以上が過ぎた現在でも一部は教材として現役で活躍している。
標本の価値はラベルで決まると言ってもよい。明治期には明治の、昭和には昭和の、平成には平成のラベルの作り方がある。クランツ標本には戦後に作られた新しいラベルも入っており、それはタイプライターで作られている。化石の同定の解釈も時代とともに変化し、その様子をラベルを辿ることによって遡ることができる。このような積み重ねを通じて標本1つ1つの歴史が作られ、学問の歴史につながっていく。
今後必要なことは標本とラベルの保全である。化石標本の場合、標本自体が劣化することは稀で、ラベルの方が保存が難しい。クランツコレクションではラベルと標本が擦れ合って破損しているものや、ラベルが折れ曲がったまま収蔵されているものがある。これらを1点ずつ袋に入れ確実に保管する作業を進めている。
また、代表的な標本400点とラベルの画像も作成し、博物館の古生物データベースのwebページに掲載した。歴史的に貴重な学術資料の情報が学問の歴史の解明に役立つことを期待している。